『北風や 寄する浪々 わらべ鳥』
強い北風に波がたえず打ちよせてきます。
波打ち際には親を待つヒナ鳥が数羽、固まるように
じっとしています。
親鳥はエサを求めてどこかに出かけているのでしょう。
幼鳥たちは「置き去りにされた」と不安なのでしょうか。
親は敵に襲われて帰ってこられないかもしれません。
いや、自分たちに恐ろしい敵がいつ襲いかかってくるか・・
ま、それは人間が勝手につくる物語。
言葉を持たない彼らにはそんな考えは浮かばないでしょう。
とはいえ漠然とした不安はあるのではないか。
とてもハッピーには見えませんからね。
いわば生存に関わる深い不安。
少なくとも全ての高等生物には存在するのではないか。
母親が帰ってきたときの喜びようがそれを証拠だてます。
ハラが減ったと騒ぎたてるだけではないようです。
涙を流せるものなら「淋しかった」と泣くのではないか。
北風しか聞こえない中、取り残されて。
○
母親ってありがたい。
◎
さて、上記の句(?) かなり怪しいでしょ?
「北風」は季語としては冬。
今は幼鳥のいる初夏。(風は冷たいけれど)
更には「わらべ鳥」という言葉があるか?
素人が勝手な造語はつつしまねばなりません。
ヒンが悪い行為です。
では、辞書などをひっくり返し難しい言葉を探すか?
無理をすることはないですよね。
作句には3つのパタンがあるのでしょう。
1 伝統のお勉強→添削など
2 交流の手段(句会とかね)
3 自分の日記代わり
いずれのパタンでも俳句の基本は「自分のため」でしょう。
私などは3だけで、ほぼ100%私的な行為。
読み手はもう一人の自分、あるいは未来の私。
難しい語を使ったとて、将来の私はもう一度辞書を引かねば
ならないでしょう。
季語なんてものは(有効ではありますが)あまり捉われる必要は
ないのです。
業界の金儲けの手段と化しているのですから。
古いものを味わうためには勉強が必要ですが
自分の日記には不要です。
無茶苦茶な句でも、それができたままのほうが日記ですね。
「ああ、母の日のころにシギの幼鳥を見たな、寒かった」と
浮かんでくるでしょう。
強い北風に波がたえず打ちよせてきます。
波打ち際には親を待つヒナ鳥が数羽、固まるように
じっとしています。
親鳥はエサを求めてどこかに出かけているのでしょう。
幼鳥たちは「置き去りにされた」と不安なのでしょうか。
親は敵に襲われて帰ってこられないかもしれません。
いや、自分たちに恐ろしい敵がいつ襲いかかってくるか・・
ま、それは人間が勝手につくる物語。
言葉を持たない彼らにはそんな考えは浮かばないでしょう。
とはいえ漠然とした不安はあるのではないか。
とてもハッピーには見えませんからね。
いわば生存に関わる深い不安。
少なくとも全ての高等生物には存在するのではないか。
母親が帰ってきたときの喜びようがそれを証拠だてます。
ハラが減ったと騒ぎたてるだけではないようです。
涙を流せるものなら「淋しかった」と泣くのではないか。
北風しか聞こえない中、取り残されて。
○
母親ってありがたい。
◎
さて、上記の句(?) かなり怪しいでしょ?
「北風」は季語としては冬。
今は幼鳥のいる初夏。(風は冷たいけれど)
更には「わらべ鳥」という言葉があるか?
素人が勝手な造語はつつしまねばなりません。
ヒンが悪い行為です。
では、辞書などをひっくり返し難しい言葉を探すか?
無理をすることはないですよね。
作句には3つのパタンがあるのでしょう。
1 伝統のお勉強→添削など
2 交流の手段(句会とかね)
3 自分の日記代わり
いずれのパタンでも俳句の基本は「自分のため」でしょう。
私などは3だけで、ほぼ100%私的な行為。
読み手はもう一人の自分、あるいは未来の私。
難しい語を使ったとて、将来の私はもう一度辞書を引かねば
ならないでしょう。
季語なんてものは(有効ではありますが)あまり捉われる必要は
ないのです。
業界の金儲けの手段と化しているのですから。
古いものを味わうためには勉強が必要ですが
自分の日記には不要です。
無茶苦茶な句でも、それができたままのほうが日記ですね。
「ああ、母の日のころにシギの幼鳥を見たな、寒かった」と
浮かんでくるでしょう。
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