続ける

2012-05-13 11:22:52 | 塾あれこれ
『北風や 寄する浪々 わらべ鳥』

強い北風に波がたえず打ちよせてきます。
波打ち際には親を待つヒナ鳥が数羽、固まるように
じっとしています。

親鳥はエサを求めてどこかに出かけているのでしょう。
幼鳥たちは「置き去りにされた」と不安なのでしょうか。

親は敵に襲われて帰ってこられないかもしれません。
いや、自分たちに恐ろしい敵がいつ襲いかかってくるか・・

ま、それは人間が勝手につくる物語。
言葉を持たない彼らにはそんな考えは浮かばないでしょう。

とはいえ漠然とした不安はあるのではないか。
とてもハッピーには見えませんからね。

いわば生存に関わる深い不安。
少なくとも全ての高等生物には存在するのではないか。

母親が帰ってきたときの喜びようがそれを証拠だてます。

ハラが減ったと騒ぎたてるだけではないようです。
涙を流せるものなら「淋しかった」と泣くのではないか。
北風しか聞こえない中、取り残されて。



母親ってありがたい。


さて、上記の句(?) かなり怪しいでしょ?

「北風」は季語としては冬。
今は幼鳥のいる初夏。(風は冷たいけれど)

更には「わらべ鳥」という言葉があるか?

素人が勝手な造語はつつしまねばなりません。
ヒンが悪い行為です。

では、辞書などをひっくり返し難しい言葉を探すか?
無理をすることはないですよね。

作句には3つのパタンがあるのでしょう。

1 伝統のお勉強→添削など
2 交流の手段(句会とかね)
3 自分の日記代わり

いずれのパタンでも俳句の基本は「自分のため」でしょう。
私などは3だけで、ほぼ100%私的な行為。

読み手はもう一人の自分、あるいは未来の私。

難しい語を使ったとて、将来の私はもう一度辞書を引かねば
ならないでしょう。

季語なんてものは(有効ではありますが)あまり捉われる必要は
ないのです。
業界の金儲けの手段と化しているのですから。

古いものを味わうためには勉強が必要ですが
自分の日記には不要です。

無茶苦茶な句でも、それができたままのほうが日記ですね。

「ああ、母の日のころにシギの幼鳥を見たな、寒かった」と
浮かんでくるでしょう。


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