祖母が祖父に「教育」で注文つけた

2012-05-12 10:24:08 | 塾あれこれ
「おじいさん、困りますね」
祖母が文句を言っていました。

「北と東の間の方角は(北東)なんです。
 だめですよ、東北なんて教えちゃ、学校で叱られます」

孫の私に祖父幸兵衛が教えたことをチェックしたのです。

今の私がカミサンに言われたなら「じゃ青森は北東地方?」
「西郷さんは西南戦争じゃないの?」
「東南アジアってどうよ。」
なんて憎まれ口を叩きそうですが、祖母はおっかなかった
らしく、以後ジイサンは教育から(手を引きました)。

私が幼稚園に上がる前の記憶です。
私でも小さいころは記憶力があったのですね。

祖父母からはイロハから始まる日本語や算数その他
いろいろ勉強の手ほどきをうけていたようです。
うっすらと記憶に残っています。

家族からのみならず、親戚、近所のオジサン・オバサン
町で行き交う見ず知らずの人・・
実は多くの方が教育をして下さいました。

「ぼく、あの花、なんて言う?」
「お、十まで言えるのか。じゃ次は?その次・・」
「海の向こうにはアメリカがあるんだよ」

外国ではどうなんですかね。
やはり皆で教えるのかなあ。

少なくともいまの日本じゃ難しいですね。
ヘンな爺さんが声をかけようものなら逃げてゆきます。
あるいは不審者として学校に通報されちゃう。

そのくせ子供へは「路では挨拶しましょう」
大人には「子どもは地域のみんなで見守りましょう」

確かに正しいことなのですが、正しいことしかスローガン
として口にできない国になりつつあるのかもしれません。
近隣社会主義国と大差ないかもしれませんねえ。

あら、また脱線。

社会全体が教育をしていたという話でした。

算盤、習字、柔道・・習い事全般での教育と
家庭や地域でしていた教育に温度差は少なかったようです。
また学校とそれらもある程度似た考えもあったかな。

内容の良し悪しは、個別に検討すべきこともあるかも
しれません。
子供の人権を考えた教育であったか、など。

しかし、日本として、あるいは東アジアとしての思想に
沿った教育ではあった筈です。
考え方として寺子屋的な教育文化ですね。

明治に入り次第に寺子屋的な教育機関が途絶えていっても
民間では意識が深く根付いており、学校教育も支えていた
面があるのです。

寺子屋と名前がついていた機関があるかないかは二の次。
想い、文化、思想、・・これらは途絶えることなく連続して
いました。
私の爺さんもそんな教育をしてくれていた筈です。

別に寺子屋が開発した教育ではないでしょう。
連綿と続いてきた「常識」を寺子屋も受け継いだのです。


戦後、幾度かの塾ブームがあり、商売としての学習塾が
成立、認知されてゆくなかで、その基本的なありように
疑問をもつ人も出てきました。
全国で、自然発生です。

偉いさんやマスメディアなどの浅薄な認識とは違う
塾の講師たちが生身の人間と向かい合う中で苦しみ葛藤し
ふっと見えてきた光に、実は江戸時代の教育と通じる部分が
多くあったのです。

同じような時期に全国で「教えない」塾が生まれていました。

流行にひかれたこともなければ運動があったわけでもありません。

だいたいやね、塾の先生が(今の若いのを除き)そんなのに
乗っかるわけがありません。ちょっと変わってるもの。


ただの宣伝として(手作り)(アト・ホーム)のイメージを
与えるものとして寺子屋を持ちだした塾もあるでしょう。

集団一斉授業してて、寺子屋もないよね。

では個別であれば寺子屋か?

鶏小屋みたいな仕切りで子供を勉強させて手とり足とり
・・それは教育?
バイトで「教育」?

大きな塾でバイトを補助に頼むのとはわけが違いますね。


塾の経営者にも寺子屋を持ちだされると嫌う方も
おられるようです。

「現代の教育じゃ。新しい教育思想を!」
「経営体としてしっかりしていないと学習塾じゃない」

・・学校教育との関係がはっきりしてないのが弱点。


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