この頃、故郷が遠くなってしまった。
東日本大地震の前までは、茨城県北部や福島県南部には車を跳ばしていた。
墓参や写真撮影のためだった。兄弟たちにも逢いたかった。
あの大地震で気持ちが萎えたのだろうか。
福島県だから恐いわけではなく、茨城県だから敬遠しているのでもない。と、私は思っている。
あの地震の夜、私は帰宅難民となり、東京駅で一夜を過ごした。
もちろん、被害に遭われた人々に比べれば、私の苦労などは極々微細なものだ。災害とは言えない。
しかしその後の行動範囲は狭くなってしまった。
私の写真フィールドは、裏磐梯、奥日光、茨城北部などだったのだが、あの時以来、足が向かなくなってしまった。
写真撮影自体から遠ざかってしまったのだ。
福島県南部や茨城県北部は父母の故郷だ。茨城県北部は私の生まれ在所なのだ。墓参りにも行かなくなっていた。
災害と私の加齢や病気とが重なり、すっかり出不精になってしまったのだ。まったく情けないことだ。
幸いにも今のところ、病気と病気の間にいる。次の病気までのハザマを使って、行動範囲を元に戻したいと思っている。
写真にも力を入れようと思っているし、出来るならばゴルフにも精を出したい。
恋人にも逢いたい。(これは妄想で、ちょっと言ってみたかっただけ)
父祖の地の日毎に疎し竹の春 ひよどり
竹は春に繁殖し、竹の子に養分を廻してしまう。だから親竹は衰えて黄葉したり落葉する。つまり「竹の秋」。
秋になれば竹の子も生長し、親竹も元気を取り戻して枝葉も青々となってくる。つまり「竹の春」だ。
驚きましたが、大きな建物なので、観客がパニックをおこすようなことはありませんでした。
意外に冷静でした。
それからが大変でしたが、いい経験だったと思っています。
主人もその日は会社にいました。連絡もなかなかつかず初めて伝言ダイヤルを。それからIP電話を使って群馬の姉の家に電話をかけ姉から無事でいることが伝わりました。ネットは使えていました。その前の年松島や平泉を訪れていましたし、あの事故があった九段会館にはちょうど一週間前におりました。 まさか震災がおこるとは
火山 地震 大雨 などなど人災も怖いけど天災も怖いですね。
コメントありがとうございました。
うれしいです (*^-^*)
私の場合、災害がきっかけとなって、身体の状態や加齢による消極性が表にでたのでしょう。
あなたは立派に行動されているように伺えますよ。
期待しております。
東京も怖くなってしまいました。
自然の成り行きなのかもしれませんが、ちょっと寂しいですね。