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kan-haru blog 2010 勝海舟邸跡
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勝海舟邸跡
二度目の住居の勝安房邸跡から勝海舟邸跡に向かうには(前回勝海舟邸跡周辺地図参照)、「プラザ赤坂なんでーも」から西へ進み、日本キリスト教団赤坂教会の前を右折して100mほど先で突き当たりの道路にでます。この道路を右に行くと通ってきた氷川公園で、反対の左に曲がると転坂でその坂を降り突き当たりの道を右折しますと、50m程の所に丁字路がありそこを左に曲がります。
・転坂
転坂(ころびざか)の標識には、江戸時代から道が悪く、通行する人たちがよくころんだために呼んだ。一時盛徳寺の元氷川坂もころび坂といったと、書いてあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/ed/c9d291d5bd4c3f54f7b84b04ffbc6611.jpg)
転坂を経て勝海舟邸跡(左:氷川公園方から見た転坂、中:転坂の坂下、右:本氷川坂への角地ビルが勝海舟邸跡)
その道を100mほど進むと左側に丁字路があり、その丁字路を曲がると本氷川坂の登り道で、氷川神社に通じています。この本氷川坂道との丁字路角地が勝海舟邸跡で、そこには3階建てのバー(THE GABY)のお店の白いビル(ソフトタウン赤坂)が建っています。そのお店の窓辺際の植え込みに、「勝海舟邸跡」の木製の標識が建てられており、標識の下に大きな銀色の「勝海舟邸跡の記」が掲げられています。
この場所が勝海舟邸跡(港区赤坂6-10-39)で、幕末から明治にかけて、幕臣として活躍した勝海舟が36歳の1859年 (安政6年)から 45歳の1868 (明治元年)まで、最初に住んだ氷川の旧跡です。
坂本竜馬と勝海舟の出会いは、海舟が残した「追賛一話」の中で、1862年(文久2年)に千葉重太郎が坂本龍馬を伴って、海舟を切ることを目的としたこの地での面談の結果は、勝の人物に惚れ親密になったという逸話があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/1d/0af5fdb089d2fdfdbf8370a7fe135cb1.jpg)
勝海舟邸跡(左:勝海舟邸跡、中:勝海舟邸跡標識、右:海舟邸跡曲がり角は本氷川坂の坂下)
・本氷川坂
本氷川坂(もとひかわざか)は勝海舟邸跡のソフトタウン赤坂の丁字路を曲がって登って行くと、曲がりくねった坂道が氷川神社(港区赤坂6-10-12)まで続いています。本氷川坂の標識には、坂途中の東側に本氷川明神があって坂の名になった。社は明治16年4月、氷川神社に合祀された。元氷川坂とも書いた。とあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/2b/221ac5c3d7f3ee0362a9b8a41aacc069.jpg)
勝海舟邸跡記
氷川神社
勝海舟邸跡から海舟ゆかりの氷川神社へは本氷川坂を反時計方向に登るか、転坂下まで戻り南東への坂道(氷川坂)を直進して時計方向に曲がり神社の正門に進みます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/b7/ec6cae06019051b9db916c8b1288e641.jpg)
氷川神社周辺地図
氷川神社(港区赤坂6-10-12)への坂を登ると、鳥居の正面に楼門が見えかなり歴史のある趣を備えた風格のある神社です。説明板を見ると、氏子の地域は、元赤坂1・2丁目、赤坂1~9丁目、六本木1・3・4丁目、虎ノ門1丁目と広大です。
・由緒
創立の起源は、951年(天歴5年)に州豊島郡人次ヶ原(俗称…古呂故ヶ岡・赤坂4丁目一ツ木台地)に祀られたと、古書物に記録されています。
幕府の尊信が篤く、江戸時代に八代将軍 徳川吉宗公が1716年(享保元年)に将軍職を継ぎ、1729年(享保14年)に老中岡崎城主水野忠之に命じ、現在地(豊島郡赤坂今井台)に現社殿を造営し、翌年(享保15年)4月に、一ツ木台地から現在地への遷宮が行われて、将軍直々の御参拝がありました。以後十四代家茂公まで歴代の朱印状(港区文化財)を下附され、御神徳を高め氷川の鎮守神として尊崇を深められました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/ce/7e44606713a89b884100484d5476df85.jpg)
氷川神社正門(左・中・右写真拡大)
鳥居を潜って境内に入ると、右手に天然記念物の大イチョウが聳えています。このイチョウは地上1.5mの幹の太さが約2.4mで幹の周囲が約7.5mあり、樹齢が400年の雄株です。現在港区にある最大の善福寺「逆さイチョウ」(国指定天然記念物)に次ぐ大きさと樹齢を保っている貴重な樹木です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/68/3b9bc21ff82675a32a557f360783dcb0.jpg)
樹齢400年の天然記念物の大イチョウ(左・中・右写真拡大)
境内の大イチョウの反対の参堂の左手には九神社、天祖神社・春日神社・鹿嶋神社・八幡神社・諏訪神社・秋葉神社・厳島神社・金刀比羅神社・塞神社の九社を合祀したお社があります。
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勝海舟邸跡
二度目の住居の勝安房邸跡から勝海舟邸跡に向かうには(前回勝海舟邸跡周辺地図参照)、「プラザ赤坂なんでーも」から西へ進み、日本キリスト教団赤坂教会の前を右折して100mほど先で突き当たりの道路にでます。この道路を右に行くと通ってきた氷川公園で、反対の左に曲がると転坂でその坂を降り突き当たりの道を右折しますと、50m程の所に丁字路がありそこを左に曲がります。
・転坂
転坂(ころびざか)の標識には、江戸時代から道が悪く、通行する人たちがよくころんだために呼んだ。一時盛徳寺の元氷川坂もころび坂といったと、書いてあります。
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転坂を経て勝海舟邸跡(左:氷川公園方から見た転坂、中:転坂の坂下、右:本氷川坂への角地ビルが勝海舟邸跡)
その道を100mほど進むと左側に丁字路があり、その丁字路を曲がると本氷川坂の登り道で、氷川神社に通じています。この本氷川坂道との丁字路角地が勝海舟邸跡で、そこには3階建てのバー(THE GABY)のお店の白いビル(ソフトタウン赤坂)が建っています。そのお店の窓辺際の植え込みに、「勝海舟邸跡」の木製の標識が建てられており、標識の下に大きな銀色の「勝海舟邸跡の記」が掲げられています。
この場所が勝海舟邸跡(港区赤坂6-10-39)で、幕末から明治にかけて、幕臣として活躍した勝海舟が36歳の1859年 (安政6年)から 45歳の1868 (明治元年)まで、最初に住んだ氷川の旧跡です。
坂本竜馬と勝海舟の出会いは、海舟が残した「追賛一話」の中で、1862年(文久2年)に千葉重太郎が坂本龍馬を伴って、海舟を切ることを目的としたこの地での面談の結果は、勝の人物に惚れ親密になったという逸話があります。
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勝海舟邸跡(左:勝海舟邸跡、中:勝海舟邸跡標識、右:海舟邸跡曲がり角は本氷川坂の坂下)
・本氷川坂
本氷川坂(もとひかわざか)は勝海舟邸跡のソフトタウン赤坂の丁字路を曲がって登って行くと、曲がりくねった坂道が氷川神社(港区赤坂6-10-12)まで続いています。本氷川坂の標識には、坂途中の東側に本氷川明神があって坂の名になった。社は明治16年4月、氷川神社に合祀された。元氷川坂とも書いた。とあります。
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勝海舟邸跡記
氷川神社
勝海舟邸跡から海舟ゆかりの氷川神社へは本氷川坂を反時計方向に登るか、転坂下まで戻り南東への坂道(氷川坂)を直進して時計方向に曲がり神社の正門に進みます。
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氷川神社周辺地図
氷川神社(港区赤坂6-10-12)への坂を登ると、鳥居の正面に楼門が見えかなり歴史のある趣を備えた風格のある神社です。説明板を見ると、氏子の地域は、元赤坂1・2丁目、赤坂1~9丁目、六本木1・3・4丁目、虎ノ門1丁目と広大です。
・由緒
創立の起源は、951年(天歴5年)に州豊島郡人次ヶ原(俗称…古呂故ヶ岡・赤坂4丁目一ツ木台地)に祀られたと、古書物に記録されています。
幕府の尊信が篤く、江戸時代に八代将軍 徳川吉宗公が1716年(享保元年)に将軍職を継ぎ、1729年(享保14年)に老中岡崎城主水野忠之に命じ、現在地(豊島郡赤坂今井台)に現社殿を造営し、翌年(享保15年)4月に、一ツ木台地から現在地への遷宮が行われて、将軍直々の御参拝がありました。以後十四代家茂公まで歴代の朱印状(港区文化財)を下附され、御神徳を高め氷川の鎮守神として尊崇を深められました。
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氷川神社正門(左・中・右写真拡大)
鳥居を潜って境内に入ると、右手に天然記念物の大イチョウが聳えています。このイチョウは地上1.5mの幹の太さが約2.4mで幹の周囲が約7.5mあり、樹齢が400年の雄株です。現在港区にある最大の善福寺「逆さイチョウ」(国指定天然記念物)に次ぐ大きさと樹齢を保っている貴重な樹木です。
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樹齢400年の天然記念物の大イチョウ(左・中・右写真拡大)
境内の大イチョウの反対の参堂の左手には九神社、天祖神社・春日神社・鹿嶋神社・八幡神社・諏訪神社・秋葉神社・厳島神社・金刀比羅神社・塞神社の九社を合祀したお社があります。
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