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kan-haruの日記

イベント 国立科学博物館 大ロボット博~からくりから最新ロボットまで~ その2

2008年01月27日 | イベント
kan-haru blog 2008 大ロボット博公式ガイド(読売新聞社刊)

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ロボット・スタジアム コーナー(続)
WABOT-1は、1973年に完成した世界初の人間形知能ロボットで、人工の口で日本語の会話を行い、人工の耳・目により対称物を認識し距離・方向を測定し、触覚を有する手で物体の把握と移動ができ、2足歩行を行います。
WABOT-2は、人間の作業を芸術活動に絞り、人間と自然会話を行い、楽譜を目で認識し、両手両足で電子オルガンを演奏します。
SCARAは、屏風の様に上下方向は曲がりにくく、左右方向は曲がり易い構造を持ち、電子機器などの製品組立作業に向いており、1978年にシンプルな組立作業用に開発されたロボットです。

     WABOT-1            WABOT-2           SCARA

からくり コーナー
からくりコーナーは、第1会場中央のトランペット演奏ロボットのステージの奥にあり、からくり山車「浦島」展示の裏側にあります。


からくりは、江戸時代に遊び心、好奇心、豊かな感性を備えた職人たちの技と知恵の結晶で、祭礼の山車や庶民の娯楽芝居に、おもちゃに発想を加えながら伝えられ、日本のものづくりの源流として現在にも息づいています。からくり人形の一端を覗きました。

うちわ扇ぎ人形は、和時計の機構を利用して、ゼンマイの力でうちわを上下に動かし、ゆっくりと首を回す首ふり装置もついてます。
茶運び人形は、人形が持つお盆に茶碗を置くと客まで運び、茶碗を取ると停止し、飲み終えて茶碗を戻すと回転して元の位置にかえるからくりで、1796年の「機巧図彙」に紹介されてます。
鯉の滝のぼり(写真右)は、台付きのからくりで、台横の取っ手を回すと人形の太鼓や笛の音に合わせて鯉が滝をのぼる室町時代から始まったからくりです。

    うちわ扇ぎ人形        茶運び人形        鯉の滝のぼり(写真右)

源内焼自動噴水器(写真左奥)は、サイホンとポンプを利用して作られ、平賀源内が考案したもので、携帯用の源内焼きのからくり噴水器です。
盃洗からくり噴水器(写真左手前)は、上部の皿に水を注ぐと、逆止弁のついたパイプを通りタンクへ水が落ち、盃洗内部の空気を圧縮し、水を先端のノズルから噴き出させるからくりです。
文字書き人形(現代からくり)は、ネジを巻くと筆を持った右手が動き、筆を硯につけ、紙に「寿」や「竹」などの文字を書くからくりで、田中久重のモデルです。
流鏑馬(現代からくり)は、神事の行事を再現し、馬を走らせて矢を放ち的を射るからくりで、「愛・地球博」の世界からくりコンテストでグランプリを受賞した江戸末期の田中久重の「弓曳童子」がモデルです。

源内焼自動と盃洗噴水器      文字書き人形          流鏑馬

ロボットラボ コーナー
ロボットラボ コーナーは、第1会場の一番奥のからくり コーナーの裏側にあります。ロボット研究の最前線の息吹を伝える先進大学の試作機や実験機などが並び、ロボット開発の発展とそれを担う人材育成の「今」を伝えるコーナーです。

Lily(写真左)は、住宅の床下の点検を目的としたロボットで、小型で軽く狭い場所で動き、段差や排水管を乗り越えて走行し、状況を撮影し、シロアリ、木部の腐れ、基礎のひび割れ、水漏れなどを調査します。
Kenaf(写真右)は、災害現場のレスキュー活動を目的として開発され、ボディをに装備されたクローラと、4本のサブクローラアームにより、がれきの上でもスムーズに走行し、地震で倒れた人を探すバンチルトズームカメラ、赤外線サーモグラフィを装備したロボットです。
ハルク ツーは、足車輪用に56個のモーターを装備し、車両モード、昆虫モード、動物モードの3形態で走行と歩行し、あらゆる場所に移動ができ、13個の距離センサー、周囲360度の物体の検出センサーを有し、危険を察知し臨機応変に活動できるロボットです。
Morph3(写真左)は、138個のセンサーと14個のコンピュータを搭載して、分散協調制御システムが30個の関節を巧みに動かすロボットで、床運動や太極拳ができる小型ヒューマノイドです。

Lily(写真左)・Kenaf(写真右)    ハルク ツー         Morph3(写真左)       

KARFEは、日本工学院の2002年に教育用に開発された、ロボット科のシンボルです。
マッサージ(写真左)は、第14回全国専門学校ロボット競技会有線部門の優秀メカニック賞受賞のロボットです。

      KARFE                            マッサージ(写真左)

Jumping Joeは、跳躍などの新しい移動機構をコンセプトに開発した4種類のアクチュエータモジュールを持ったロボットです。
ネットワーク ロボットは、センサー情報を無線LANで近くのアクセスポイントに送り、複数の計算機でデータ処理を行うので、ロボットに計算機の搭載を必要としないため軽量で安価が特徴です。

    Jumping Joe       ネットワーク ロボット     見学者で混雑の会場 

ロボットファクトリー コーナー
ロボットファクトリー コーナーは、ロボットラボ コーナーの先にあり、「ロボット大国」ニッポンのお家芸のものづくりの基である産業用ロボットの展示コーナーです。

産業用知能ロボットのファナック社の部品取り出し知能ロボットM-16iBと、高速ハンドリング知能ロボットM-430iAは、「今年のロボット」大賞展2007(「ITと技術 ロボット大国日本 「今年のロボット」2007 その1」参照)で大賞(経済産業大臣賞)を受賞したロボットです。

          部品取り出し知能ロボット         高速ハンドリング知能ロボット 

第2会場 ASIMO館
第2会場のASIMO館は、第1会場を出て階段を上った階上の会場です。

Hondaの2足歩行ロボットの草分けとして知られる「ASIMO」(アシモ)のステージ・ショーを中心としたコーナーで、性能はますます進化を遂げ、駆け足をしたり、サッカーの練習をしたり、ダンスをしたり、家のお手伝いをしたりの活躍で家に来てくれたら良いなというロボットです。

               Hondaの2足歩行ロボット「ASIMO」 

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イベント 国立科学博物館 大ロボット博~からくりから最新ロボットまで~ その1

2008年01月25日 | イベント
kan-haru blog 2008

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国立科学博物館では、2007年10月23日から2008年1月27日まで、読売新聞社、日本テレビ放送網などの主催により、日本の伝統的な「からくり」をはじめ、2足歩行ロボットや産業用ロボットなどの世界最高水準にある日本のロボットや「鉄腕アトム」や「機動戦士ガンダム」などの未来のロボットを展示し、日本経済の未来を拓くロボット技術を科学史的な視点から展観することを銘打って開催しました。

時を同じく、その年に活躍した産業用ロボットを表彰する2007年12月21日に開催の「今年のロボット」2007大賞展(「ITと技術 ロボット大国日本 「今年のロボット」2007 その1、2」参照)を見学した後、小学生の孫をつれてその週の24日に「大ロボット博」を見てきました。

国立科学博物館
国立科学博物館は、1877年(明治10年)の創立で開館130周年を迎え、十数年にわたる建物の新築、改修と展示工事を終、国立の唯一の総合科学博物館として、幅広く自然科学とその応用に関する調査研究、標本・資料の収集、整理、保管を行い、広く展示しています。

博物館は上野本館(台東区上野公園 7-20 地図参照)の他に、自然教育園(港区白金台5-21-5)、筑波実験植物園(茨城県つくば市天久保4-1-1)と新宿分館などがあります。
上野本館の常設館には、2007年4月に改修工事で公開の日本館や地球館、「愛・地球博」で人気の「地球の部屋」を移設した「THEATER 360(シアター・サン・ロク・マル)」と屋外展示があります。

                       国立科学博物館屋外展示の蒸気機関車

大ロボット博
大ロボット博は、地球館・特別展示室の第1会場からASIMO館(第2会場)へと展開されており、100点を超す「ロボット」とその仲間たちが展示してあります。

第1会場
会場に入るとすぐ、マルチメデア音声ガイドシステムの貸出があり、興味のある孫に1台借り、早速見学です。

・アニメ・おもちゃコーナー
第1会場を入ると、壁沿いの展示コーナーは、「アニメ・おもちゃコーナー」で、「鉄人28号」から「マジンガーZ」、「機動戦士ガンダム」まで、マンガやアニメに登場したさまざまなキャラクターや、懐かしいブリキや「超合金」のおもちゃが所狭しと満載です。しかし、孫の年代ではあまり興味がないようです。

                 アニメ・おもちゃコーナー展示品

・大展示場
アニメ・おもちゃコーナーの先を曲がると、大ロボット博のメインの大展示場です。展示場には、山車からくりの屋台の骨組模型や、1649年(慶安2年)から続く古い犬山祭りのからくり「浦島」が、犬山祭保存会新町組から出展されています。
「汎(はん)と六将(りくしょう)」のモチーフは、「汎」は天地間に存在する全てのものが繋がり、「汎」を介して地球、自然、人間が結線し、究極のロボット化と言える。「六将」は、動物の形を借りた「自然界の代表者」であり、「汎」を介して人間の記憶、人類の軌跡を傍観する歴史の目撃者であると、解説書に書いてありました。

 山車屋台の骨組模型   犬山祭りのからくり「浦島」      汎と六将

・トランペット演奏ロボット
大ロボット博の目玉は、なんと云ってもトランペット演奏ロボットです。大展示場の体感ステージでは、観客がぐるりと取り巻き、「愛・地球博」で絶賛のトランペットを吹くロボット(TOYOTA PARTNER ROBOT)の演奏を待っております。人とのコミュニケーションを目指して開発されたロボット(DJロボット)の解説で演奏が始まります。

    DJロボット       トランペット演奏ロボット(TOYOTA PARTNER ROBOT)

・ロボット・スタジアム コーナー
ロボット・スタジアム コーナーでは、マイクロロボットの世界のマイクロギヤーや、新道路交通システムにより周囲の状況を理解して走る1人乗りの電気自動車(i-unit)の先端技術ロボットに、警備ロボットの「セコムロボットX」が出展してあります。

    マイクロギヤー       電気自動車(i-unit)      セコムロボットX 

コミュニケーションロボットの「Wakamaru」は、周囲の人を検知し視線を合わせて、音声認識で会話を交わし、自律移動機能や自動充電を行います。食事支援ロボットの「マイスプーン」は、利用者の身体状況に合った操作モードで、ご飯、おかず、お菓子など食べることができます。ロボット情報家電の「アプリアルファ」は、家族を認識し音声認識応答をしたり、呼ばれた人のそばまで移動し、家電の操作や天気予報の情報サービスが行えます。

    Wakamaru            マイスプーン         アプリアルファ
          
ヒューマノイドロボットの「プロメテ」(「ITと技術 筑波宇宙センターとサイエンス・スクエアつくば見学 その2」参照)は、人と同じサイズで一緒に働くロボットとして開発され、世界で初めて寝転んだり、起きたりの動作を実現し、人間協調・共存ロボットとして研究されています。社交ダンスパートナーロボットの「PBDR」は、人と共存・協調してパートナーの意図を推定して社交ダンスを踊るロボットです。
アニメのロボット「ガンブラのガンダム」は、人間が登場してテクノロジで戦うのが、アトムや鉄人からの鉄則でありました。

     プロメテ       PBDR      ガンブラのガンダム  

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イベント 明治大学理工学部 ホームカミングデー その2

2007年12月20日 | イベント
kan-haru blog 2007 写真:構造物試験棟

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ホームカミングデー行事(2)
・記念講演
ホームカミングデー目玉の行事の記念講演は、開会式に引き続き11時30分から農学部桶渡さゆり准教授の司会により、農学部OBの上野動物園園長小宮輝之氏(略歴)の「動物とともに35年」をタイトルにした、1時間にわたる講演でした。

 上野動物園園長小宮輝之氏の講演(拡大)

講演は、今人気の高い旭山動物園も意識し、多摩動物園での新米飼育時代、飛来数の少なくなったツルの人工孵化、くまたちの丘、外国の動物園との関係や動物園の役割などについて話され、長年動物園で数多くの生き物と真剣に接してきた豊富な体験談の一端を披露して頂き、大変興味深く拝聴し感動しました。

       (拡大)                                (拡大)

・懇親会
会場を生田食堂館のスクエア21の3階に移し、12時50分から鎌田弘之氏の司会により懇親会が開かれました。懇親会は、副実行委員長倉田武夫氏の開会挨拶にはじまり、1977年卒業代表の渡上志郎氏挨拶、退職教職員代表のやや長い挨拶の吉本晋氏の乾杯で懇親に入りました。

      懇親会会場         開会挨拶倉田氏       卒業生渡上氏挨拶


 退職教職吉本氏乾杯音頭                懇親風景

・アトラクション
懇親会のアトラクションとして、「明治大学混声合唱団」による合唱が披露され、演奏曲目は、「いざたてた戦人よ」「宿埴生の宿」「Chim Chim Cher-ee (メリーポピンズより)」「なぎさ歩めば」「農民の合唱(喜歌劇マルタより)」を鑑賞しました。
合唱の最後は、全員で校歌を斉唱しエールの後、中〆挨拶、閉会挨拶で懇親会を終了しました。



                      全員で校歌斉唱           エール

・施設見学ツアー
懇親会が終了し後は、待望の卒業半世紀後の学びやの研究室の見学です。先ず最初に、生明祭でかなり混雑の構内路を北に、第二校舎1号館に向かいあった「構造物試験棟」で、構造物に3軸の圧力をかけて地震に対する実挙動の試験・研究をする装置を見学しました。
次に、北隣の「振動試験解析棟」で、機器装置等の3次元の振動を加える振動台の見学をしました。

    振動試験解析棟               構造物試験棟実験室


                    振動試験解析棟実験室

3番目の施設は、式典を行った2号館校舎の隣の6号館で2班のコースに分かれて、「超音波物理実験室」と「機器分析室」の見学で、実験設備装置の値段が10臆円と聞き驚きました。われわれの工学部時代には、とうてい想像もつかないことで、母校も時代にのり発展していることが感じられました。

   二号館6号校舎                    機器分析室

最後の見学は、6号館の南隣の受付場所の第二校舎A館と一巡して、「電子素子実験室」の無機エレクトロルミネッセンス(EL)の次期研究の状況を、説明して貰いこの分野の革新の早さに感心すると同時に、もうわれわれの時代ではないことも認識させられました。

            超音波物理実験室               A館電子素子実験室

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イベント 明治大学理工学部 ホームカミングデー その1

2007年12月18日 | イベント
kan-haru blog 2007

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第4回ホームカミングデー
明治大学理工学部の第4回ホームカミングデーが生田校舎で、11月24日土曜日に開催され招待状が届きましたので、参加して現在の学びやの変革振りを見てきました。
昨年は、駿河台の第9回ホームカミングデー(「イベント 明治大学 ホームカミングデー(その1、2)」参照)に招待され、2年連続で楽しく参加させて頂きました。

第4回ホームカミングデーの招待対象者は、1956、57年から10年おきに1996、97年までの10学年次の卒業生が該当し、卒業後半世紀が経過しての最初で最後の参加です。
入学当時は、工学部の電気工学科、機械工学科、建築学科の3科で、神田駿河台地区校舎で(「風景・風物詩 東京百景 山の上ホテルとその周辺(その2)」参照)学び、卒業式は、明治大学記念館で行われました。

生田キャンパス
明治大学理工学部生田(いくた)校舎(川崎市多摩区東三田1-1-1 地図参照)は、1964年4月に明治大学農学部内に工学部校舎を新築して移転を開始し、翌年には工学部、大学院の全てが移転しました。
生田キャンパスは、多摩川の西岸の川崎市多摩区の丘陵地区生田の高台にあり、農学部の畑をはじめとして、周囲は農業地区でありました。また、小田急線の生田駅の両隣方向には、読売ランドと元向ヶ丘遊園地(現在「生田緑地 ばら苑」として残こされている)の二大遊園地があった所です。


・理工学部沿革
1944年に東京明治工業専門学校設置。1949年に神田駿河台地区校舎で新制大学工学部開設。1964年に生田校舎に移転。1989年に工学部6学科、理系3学科を加え理工学部の発足。2007年に電気電子工学科と電気通信工学科を再編して電気電子生命学科を新設。
・農学部沿革
1946年に明治農業専門学校設置。1949年に新制大学工学部開設。1959年に大学院農学研究科設置。

生田校舎式典会場へのアクセス
生田校舎(地図参照)は、大森町から西北西の川崎市多摩区にあり、京浜急行で京急川崎でJR南部線に乗り継ぎ、登戸駅で小田急電鉄に乗り換えて生田駅南口下車して徒歩10分でキャンパスの登校路門(Top写真)です。

登校路門からホームカミングデー開催の式典会場へは、高台を階段か坂道を登って行きますが、足の衰えを考え坂道を選びましたがかなりの急坂で、元気な学生に追い越されながらの休み休みでやっと登りつめました。
坂を登りつめた校舎の構内は、南北に直線の広い構内道路があり、式典会場の2003番教室は第二校舎1号館前の広場を抜けた奥が受付のある第二校舎A館で、その後ろ側の校舎が第二校舎2号館が会場です。
初めてのキャンパスなので、密集した校舎群と生明祭の混雑で迷いました。

                         生田坂

生明祭
当日は、23から25日開催の第7回生明祭と重なり、賑やかな生田キャンパス風景を眺められましたが、残念ながらホームカミングデーの行事で時間がなく、折角の青春のお祭りには参加できませんでした。


明治大学の学園祭は、この生明祭と和泉校舎の明大祭(11月2~4日開催)があります。今年の学園祭には、7万6千人(生明祭4万3千、明大祭3万3千)の来場で賑わったようです。
生明祭は、昔の生田祭から衣替えして今年7回目のテーマは「虹~find your color~」です。


ホームカミングデー行事
ホームカミングデーの行事は、農学部と共催で開会式と記念講演が行われ、懇親会と施設見学ツアーは理工学部の主催で開催されました。
・記念式典
10時半に登校路門に着き、坂を登り構内道路に生明祭の沢山の露天と第二校舎広場の屋外仮設舞台の学生のアトラクションを眺めながら、第二校舎A館3階で受付を済ませました。
11時少し前に、第二校舎2003番教室に入場して記念式典を待ちました。

               受付風景                   記念式典会場

農学部・工学部合同開会式は、11時15分に理工学部教務主任の鎌田弘之さんの司会で開始され、農学部長の米山勝美教授と理工学部長の向殿政男教授の挨拶の挨拶で式典が行われました。

                農学部長米山勝美教授(拡大) 理工学部長向殿政男教授(拡大)

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イベント 東京国際女子マラソン 大森町旧東海道三原通り交差点がマラソンの折り返し点

2007年11月22日 | イベント
kan-haru blog 2007

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11月18日の日曜日は、東京国際女子マラソン大会が行われました。

東京国際女子マラソン
東京国際女子マラソンは、1979年11月に世界で初めて国際陸上競技連盟が公認する女性限定のマラソンとして第1回大会が開催されました。
2007年の大会は、第29回を迎え北京五輪代表選考会を兼ねた大会で、アテネ五輪金メダルの野口みずき(シスメックス)が2時間21分37秒の記録で、大会記録を8年ぶりに塗り替えて優勝しました。
レースは、野口と前日本記録保持者の渋井陽子(三井純友海上)にサリナ・コスゲイ(ケニア)の3人が先頭集団を引っ張る展開で進みましたが、29キロ付近で渋井が暑さに消耗して遅れ、36キロすぎではサリナ・コスゲイも突き放し、高低差25mの坂もスピードで走り抜けての優勝でした。

マラソンコース
コースは、東京国際マラソンコースで、国立競技場をスタートとゴールとして、東京ドーム、東京駅、皇居、増上寺、品川駅、大井競馬場、平和島競艇場の各施設の付近を通過して、第一京浜国道と旧東海道の美原(三原)通り(「大森町界隈あれこれ 大森町風景 旧東海道(三原通り) その1」参照)の分岐点にある、大森海岸交番前を折り返し点とした42,195kmのコースです。

 拡大地図クリックすると東京国際女子マラソン大会公式ホームページのコースマップのPDFファイルが開き表示されます。表示PDFマップのアイコンバーのズームを大きくすることによりによりコース図が拡大して表示します。

コース折り返し点
大森海岸交番前に設置される東京国際マラソン折り返し点は、30年ほど前から日曜日に自動車の通行を止めて、東京で男子や女子の国際マラソンが60回も開催されるようになって以来、大森町の風物誌となりました。
11月18日の女子国際マラソンは、五輪代表選考会を兼ねたビッグなもので、天気も快晴で気温も20度と暖かく絶好のマラソン見物日和でしたので見に行きました。


第一京浜国道と美原通りの交点にある、大森海岸交番の前面の歩道上には、折り返し点を通過する選手を撮影するテレビカメラが設置されております。

   大森海岸交番            折り返し点の通過選手撮影のテレビカメラ     

折り返し点ポールは、運搬トラックから降ろされ、13時には車の交通を遮断して、折り返しポイントに設置されました。

                     折り返し点の設定 

折り返し点の周囲は、大勢の整理員と見物の観客で半周が取り囲まれました。

               折り返し点を囲む多数の整理員と観客

やがて、マラソンの先頭を走る規制車、計時車、先導車が続いて来ました。

      規制車              計時車             先導車  

先導車の後には、先頭集団の渋井陽子、野口みずき、サリナ・コスゲイの順に並走して折り返し点を通過していきました。


以下、2番手以降の選手団が続き、第29回東京国際女子マラソンの熱戦がくりひろげられました。

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イベント 新田神社 例大祭の古武道奉納演武 その2

2007年10月18日 | イベント
kan-haru blog 2007

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新田神社の宝物
10月10日の例大祭に、新田神社の宝物殿が公開されましたので、拝観しました。宝物殿は、神社境内に入って左側に、校倉(あぜくら)造にて1977年(昭和52年)に建てられたものです。
宝物殿の撮影は可との事で、貴重な内部の一部を写してきました。
宝物「新田十騎士画の義興」は、1928年(昭和3年)の菊池容齋の筆です。

    校倉造宝物殿          宝物殿正面      新田大明神掛軸(拡大)

「新田義貞公画掛軸」と「新田義貞大明神画掛軸」は、江戸時代に古河藩主の土井大炊頭が奉納したものです。
「太刀と脇差」は、上段の太刀は銘が久幸で、1846年(弘化3年)に新田大明神御神楽講中が奉納したものです。中段は銘が備前国長船祐定で、1522年(大永2年)のものです。下段は銘が備前国長船祐永で、1823 年(文政6年)に脇屋久勝氏が奉納したものです。
「勝兜と大鎧」は、御祭神の新田義興公が智・勇にすぐれ、勇猛果敢な御神徳であることを称えて、平成2年2月に崇敬者奉納復元で奉納されたものです。

 新田義貞公画掛軸 新田義貞大明神画掛軸   太刀と脇差      勝兜と大鎧   

「神楽面」は、『調布日記』に「此神の祭は十月十日、正月十日に太々神楽をなす」とあり、江戸時代には、年二回の大祭でこの神楽面が使われていました。江戸時代に、高家畠山氏 が奉納されたものです。
左の「和鞍」は、御祭神新田義興公ご愛用の品と伝えられ、保存状態が悪く破損などにより、1976年(昭和51年)に補修を行いました。右の「神宮撤下御神宝」は、第60回式年遷宮の後の同昭和51年に、伊勢神宮から特別に撤下された『天照大御神の御神宝三品 御櫛笥・御弓・御楯』です。
左の掛軸「鍾馗画」は、明治時代に新田俊純の筆によるもので、右の掛軸「新田公神霊図」は、画が世田芳柳、書が書峯間信の1937年(昭和12年)の制作です。 


      神楽面         和鞍と神宮撤下御神宝    鍾馗画と新田公神霊図

「新田大明神掛軸」は、1813年(文化10年)の雅楽頭源朝臣忠衛の書です。
左の「矢口渡掛軸」は、江戸時代の書家の松下鳥石葛辰の書です。右の掛軸「新田大神」は、東郷平八郎元帥御真筆で、1932年(昭和7年)に海軍少将東條明次氏が奉納されたものです。
平成20年10月は、新田神社鎮座650年大祭に当たり、10月5日(日)に神幸祭を斎行し、約70年ぶりに新田神社から町内に担ぎだされます。

    新田大明神掛軸     矢口渡掛軸と新田大神 

奉納演武大会
新田神社例祭の奉納演武大会が、境内演武場で午後1時30分より行われました。
大会の次第(プログラム)は、演武者の全員が神社本殿で払い清めた後、演舞場に整列して師範の挨拶と説明があり、奉納演武に先立ち、初めに高津奏家による越前琵琶の「稲村ケ崎」が演奏されました。


ご存じ「稲村ケ崎」は、足利尊氏が京・六波羅で幕府の拠点を陥落させた、1333年(元弘3年)5月7日の翌日、上野国の新田義貞が翌8日に鎌倉攻めの旗を挙げ、幕府方と膠着状態の攻防から、21日夜稲村ケ崎の波打ち際を突破して、鎌倉に突入して北条高時一門を滅ぼし、鎌倉幕府は滅亡したくだりです。

 越前琵琶「稲村ケ崎」              立身流桁打ち・廻し打ち

続く演武次第は、立身流を中心として、白刃一閃会、天然理心流により17種目の演武が奉納されました。

    立合           短棒術         手裏剣術        剣術     


    短刀術          居組                      居合     

立身流は、16世紀初頭の永正年間に伊予の立身三京により、千葉県佐倉堀田藩の藩士教育の重要な総合武術で、居合と剣術の刀術が表芸であり、千葉県の無形文化財に指定されています。

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イベント 新田神社 例大祭の古武道奉納演武 その1

2007年10月16日 | イベント
kan-haru blog 2007

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10月10日の新田神社例大祭には、毎年古武道奉納演武が行われます。
古武道奉納演武は、立身流矢口支部他による居合、剣術、棒、半棒などが披露されるほか、手裏剣、くさり鎌や短刀、二刀流、俰などの特別な演武も披露され、また、当日は年に一度の宝物殿を公開されるとのことで見てきました。

新田神社
新田神社(大田区矢口1-21-23 地図参照)は、東京急行電鉄の蒲田駅から東急多摩川線で2駅目の武蔵新田駅を降りて商店街を多摩川方向に進むと、昔なつかしの雰囲気が漂う古いお店があり、その間の道をさらに行くと右側に鳥居が見え、正面に神明造の本殿があります。

    武蔵新田駅      昔なつかしい雰囲気のお店     武蔵新田商店街 

本殿は、世界大戦により戦災で焼失し、1960年(昭和35年)に神明造にて明治神宮旧御本殿を復元して奉建しました。御祭神は、新田義興(にったよしおき)公で、創紀は1358年(正平13年)です。
本殿前の手水舎と神燈は、伊勢神宮より下付されたものです。
境内左で陳列している宝物を公開している宝物殿は、校倉(あぜくら)造にて1977年(昭和52年)に建てられたものです。

      新田神社         神明造の本殿            手水舎

境内に入りすぐ右側の欅の御神木は、樹齢七百年で過去に雷や戦災の被害に会い、真二つの状態になってしまったが、新緑の季節になると青々と葉を付け、参拝者にひとときの安らぎを与えております。

    (拡大)                                  (拡大)

御神木の右手奥にある末社は、江戸時代の頃にこの矢口村の稲作や農業を守護するために、711年(和銅4年) 鎮座の京都の伏見稲荷大社から、その御分霊が祀られたと云われ、御祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)です。

                                           (拡大)

・御塚
社殿の後ろは15メートルほどの円墳があり、『御塚』と呼ばれ、義興の遺骸を埋めた墓だとの伝承があります。

                          御塚              (拡大)

・境内の石碑、狛犬
神社本殿横の「新田神君」の碑(大田区文化財)は、1746年(延享3年)に忠臣としての義興の事跡を顕彰し、松平政種が寄進したものです。
唸る狛犬は、阿像のみで吽像は失われており、造られた年代ははっきりしないが、全体の印象から江戸時代のものとみられています。伝承として恨みを持つ畠山一族の人が近づくとうなり声を上げたと言い伝えられています。


       (拡大)             (拡大)               (拡大)

・由緒
当神社の御祭神である新田義興公は、稲村ケ崎にて名剣を投じて鎌倉に攻め入り「建武中興」を成し遂げられました新田義貞公の第二子で、幼名を徳寿丸と申し、元服の折には後醍醐天皇より「義貞の家を興すべき人なり」として「義興」という名を賜り、「従五位左兵衛佐に任ぜられました。ところが足利尊氏が謀反を起こし、父義貞公亡き後、義興公はよく遺志を継がれ新田一族を率いて吉野朝(南朝)の恢復に尽力をされました。そして、武蔵野合戦を始め各地に奮戦され、終始一貫その忠義を尽くされましたが、1358年(正平13年)10月10日、足利基氏の執事である畠山国清、江戸遠江守らの卑怯なる謀略により、多摩川の「矢口の渡」で壮烈なる最後を遂げられました。

その後、義興公の怨霊が現れ悪計加担の者どもに祟りを及ぼしたり、夜々「光り物(火の玉)」が矢口付近に現われて往来の人々をも悩ますようになりました。そこで義興公の御霊を鎮めるために、義興公の墳墓の前に社殿が建てられ、「新田大明神」として広く崇め奉られました。これが「新田神社」の起こりであります。

江戸時代に入ると、将軍徳川家の祖先がこの新田家であるということより、松平家から「縁起絵巻物」(都文化財)や「新田神君碑」 (大田区文化財)等の奉納などもありました。また、蘭学者である平賀源内が新田神社に参拝して、境内の篠竹で厄除開運・邪気退散の「矢守」を作ったり、新田神社の縁起を浄瑠璃歌舞伎の「神霊矢口渡」として脚色し、現在でもその一部分が各地の歌舞伎場などでしばしば上演されています。その後、1873(明治6年)1月に社格が「府社」に列せられ、明治42年9月には特旨を以て御祭神に「従三位」が追贈せられました。(新田神社資料より)

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イベント 江戸天下祭 江戸の風情と粋な山車と神輿が丸の内を巡行 その2

2007年10月12日 | イベント
kan-haru blog 2007

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江戸天下祭山車巡行
天下祭の山車巡行の行列は、江戸木遣り、手古舞などが先導し、民謡流し踊りと朝鮮通信使に続いて14台の山車が丸の内のオフィス街を江戸情緒に染めあげます。
その往時の華麗さを今に伝える山車の巡行を都合により見られませんので、山車巡行出発間際の時間帯に展示場を覘いて見ました。江戸フェスティバル会場は、見物者と山車・神輿の曳き手、担ぎ手が待機して大変な人出でした。

・山車巡行出発の式典
江戸フェスティバルステージでは、巡行前の式典が行われ、最後の木遣で巡行の出発です。

                                          木遣り

出発に備える山車の前では、川越の奇麗どころと、若い女性の囃子手や女性神輿の担ぎ手が待ちかねております。

       (拡大)              (拡大)               (拡大)

今回のパレードには、朝鮮通信使を再現した一行も山車巡行の先導に加わりました。

       (拡大)          朝鮮通信使(拡大)           (拡大)

朝鮮通信使の起源は、1375年に足利義満によって派遣された日本国王使に対して信を通わす使者として派遣された返礼が始まりであり、日本の国情視察目的も密かに含まれており3度来日しています。
その後、豊臣秀吉による文禄・慶長の役の後、断絶していた李氏朝鮮との国交を回復させ、400年前の1607年(慶長12年)に、通信使は将軍の代替わりや世継ぎの誕生に際して、朝鮮側から祝賀使節として派遣されました。1811年に通信使が対馬までで差し止められまで、計12回の通信使が派遣されましたが、それを最後に断絶しました。(Wikipediaから)

・巡行の山車
巡行の山車は、明治時代に市内電車の開通により電線が引かれ、山車を引くことが出来なくなり、1889年(明治22年)の憲法発布を記念し、山車100台を皇居前に集結しての巡行を最後とし行われなくなりました。そのため、それらの山車を地方に移したので、関東周辺での祭が盛んになったようです。

展示の山車を順不同で見てみます。

 張飛翼徳(拡大)   弁慶と牛若丸(拡大)    羽衣(拡大)     弁財天(拡大)
・張飛翼徳(ちょうひよくとく) 栃木県栃木
・弁慶と牛若丸 千代田区九段4
・羽衣 千代田区神田
・弁財天 茨城県石岡


 翁二人立(拡大)     石橋(拡大)      神武天皇(拡大)    石橋獅子(拡大) 
・翁二人立 港区赤坂
・石橋(しゃっきょう) 埼玉県本庄
・神武天皇 埼玉県飯能
・石橋獅子(しゃっきょうじし) 千葉県佐倉


   牛若丸(拡大)    徳川家康(拡大)    二見ヶ浦(拡大)    稲村ケ崎(拡大)
・牛若丸 千代田区九段3 
・徳川家康 埼玉県川越
・二見ヶ浦 静岡県掛川旭組
・稲村ケ崎 静岡県掛川せ組


        東郷元帥(拡大)
・東郷元帥 千代田区三番町

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イベント 江戸天下祭 江戸の風情と粋な山車と神輿が丸の内を巡行 その1

2007年10月10日 | イベント
kan-haru blog 2007

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江戸天下祭2007
江戸天下祭は、江戸開府400年を記念して2003年に復活して開催され、以来2年毎に開かれ、今年第3回目が9月29、30日に雨天決行で開催されました。
・江戸フェスティバル
江戸天下祭2007では、江戸フェスティバルが日比谷公園で行われ、山車・神輿の展示と江戸職人長屋、バザール横丁などでの物品販売などの他、ステージで三味線・和太鼓演奏などのショーや式典が行われました。
・山車、神輿巡行
9月29日は、16時からメインイベントの往時の華やかさを伝える、山車14台、神輿9基などによる総延長2kmの巡行が、日比谷公園の日比谷門を出発して、丸の内仲通りを進み行幸通りを経て、皇居前広場までの5時間にわたり練り歩き、当時の賑わいを再現しました。
また、丸ビル1階マルキューブでは、25日から30日まで山車・人形・神輿の展示が行われました。

                       読売新聞「江戸天下祭」PR版から転載

天下祭見物
徳川将軍が見物したという、江戸の話題をさらった人形を乗せた山車を見に、29日の16時までの時間を都合つけて行ってきました。残念ながら、予定があり天下祭ハイライトの山車・神輿の巡行は見られませんでしたが、江戸の風情にちょっとだけ触れてきました。

大森町から日比谷公園には、京浜急行・都営三田線と乗り継いで日比谷駅下車で江戸フェスティバル会場です。

                       読売新聞「江戸天下祭」PR版から転載

日比谷公園の江戸フェスティバル会場には、日比谷駅入り口を直進して噴水広場からが会場で、噴水を囲うようにして山車の展示の大きなテント小屋が取りまいてあります。噴水広場の南端には、各町会テントの前に巡行神輿が勢揃いしており、担ぎ手が沢山詰めかけております。

29日は、あまり天気が良くなく、日中は雨がぽつぽつ落ちていましたが、会場に着いた時には何とか雨は上がっておりました。このため、巡行で待機している神輿に、ビニールの蔽いを掛けてありました。天下祭の巡行は、雨でも決行ですが、折角のお祭りですので雨をもたせて、多数の見物客で盛り上げたい願いです。
当日は、山車・神輿巡行の見物は都合によりできませんでしたが、天気の方はまあまあのようでした。巡行の模様は、Webで見た様子を後で紹介します。

       (拡大)              (拡大)

・巡行神輿
巡行神輿は9基で、神田公園地区連合町会の神輿が大きさ3尺で最も大きく、万世橋地区町会連合会の神輿が一番古く1926年(大正15年)の「だしてつ」の作です。また、須田町中部町会の神輿は女性神輿が登場しました。
巡行神輿の所属は、千代田区の各町会のもので、大小それぞれあり3尺1基、2尺7寸1基、2尺5寸1基、2尺3寸5基、2尺1基の構成でした。

・山車展示
山車の展示小屋は3棟あり、巡行の山車14台が勢揃いして展示してあり、山車の名前は山車の上に立つ人形の名前で呼び、前面の囃子台の周囲を屋台で囲い、嗜好を凝らした刺繍や金糸銀糸・金箔で飾りを施した山車は「江戸の華」です。
巡行に参加の山車は、東京が5台、埼玉県3台、静岡県2台のほか4県から山車が参加しております。

 山車の展示小屋① (拡大) 山車の展示小屋② (拡大) 山車の展示小屋③ (拡大)

・バザール横丁
バザールには、ワールドバザール横丁とちよだバザール横丁があり、時間をかけて寄れませんでしたが、千代田区内大使館の各国料理や飲食・物販などを販売しておりました。
山車の展示小屋の並びには、江戸職人長屋があり、江戸伝統職人による実演と作品の販売をおこなっておりましたが、見に行った時間帯には展示屋台の見物客と山車巡行の曳き手とが輻輳して、長屋前の見物は不可の状況でした。


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イベント 東京オペラシティ ドイツ留学中の倉澤杏菜ピアノリサイタル

2007年10月08日 | イベント
kan-haru blog 2007

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倉澤杏菜さん
ドイツ留学中の倉澤杏菜ピアノリサイタルが、ハートフェルトコンサートの企画で東京オペラシティにおいて、9月29日に満員の盛況で開催されました。
倉澤杏菜さんとは、お父さんとコンピュータの関係で親しくして頂いた縁で知り合い、昨年のコンサート会場でお目にかかっております。

倉澤杏菜さんは、2006年3月に桐朋学園大学音楽部を卒業し、同年「アルス五重奏団」の演奏活動を始動し東京(「春の花とアルス五重奏団コンサート」参照)、新潟、宮城にて公演しました。同年12月東京国際フォーラム主催の音楽コンクール「ピアノ部門」で、優秀賞を受賞しました。

また、同年5月には、ヤマハ音楽振興会本部「留学奨学制度」の留学奨学生として、10月から国立ベルリン芸術大学の対象者として選ばれ、留学を記念して7月にカワイミュージックショップ青山2階パウゼでピアノリサイタル「倉澤杏菜 ベルリン芸術大学留学記念 ピアノリサイタル」参照)を開催しました。

留学記念リサイタル演奏の倉澤杏菜さん カワイ音楽振興会出典

この時のリサイタルのカワイ音楽振興会のレポートによると、モーツァルト、ショパン、スクリャービン、ラフマニノフのピアノ曲を演奏し、会場は多いに盛り上がりました。アンコールは、ブラームス/インテルメッツォOp.119-2、モーツァルト/トルコ行進曲、ガーシュイン/アイ・ガット・リズムの3曲でした。

アンコールが終わった直後、サプライズに甘利マネージャーの粋な演出で、突然バースディケーキが登場しました。実は、この日は、倉澤杏菜さんのハッピーバースディ・イヴ(誕生日の前日)で、飛び入り参加して下さった、下田幸二先生のピアノ伴奏で、みんなでお祝いしました。感激のリサイタルでした。
参加者のアンケートでは、ショパンのノクターンがとてもきれいな音で、連符の入り方など勉強になった。キラキラ星の変奏曲は、細かい音までていねいに弾けていて大変良いと思った(小学生の女の子)。心が洗われました。生のピアノソロの演奏は、ほぼ初めてだったのでとても感激しました。人によって奏でる音楽って違うんですね。素敵でした。これからも頑張って下さい!!(20代女性)。緩急織りまぜ、非常に情熱のこもったダイナミックな演奏であった(30代男性)。ダイナミックで良かったです。私も弾きたくなりました(40代男性)。などで演奏の素晴らしさを感激しております。

ドイツ留学中のピアノリサイタル
これまでに、小西由紀子、兼松雅子、奈良場恒美、下田幸二氏の各氏に師事し、現在、国立ベルリン芸術大学留学して、ファビオ・ビディーニ氏の下で学んでおります。
ファビオ・ビディーニ氏の倉澤杏菜さんの評価は、パンフレットの記述によると次に示す通りです。


杏菜さんの留学の成果を示す留学中の帰国リサイタルが、予定通り東京オペラシティ リサイタルホールにて2007年9月29日18時から開催されました。
プログラムは、当初の曲目から一部が変更され、ブラームスのピアノ・ソナタ第3番へ短調 作品5の演奏時間が30分を超える長大曲の演奏が披露されました。


1年2月前の留学記念リサイタルと、今回のリサイタルを比べると素人目にも留学での成果がハッキリと感じました。まずピアノ演奏に自信があふれ、ドイツ音楽の力強い演奏には強烈な感激をしました。
満席の観客の盛り上がりのアンコールに、ショパン即興曲第4番「幻想」Op66と練習曲 Op10-5の2曲が演奏され、ますます素晴らしい演奏に堪能しました。

留学の成果については、杏菜さんのお父さんのメールにて、「1年ぶりに娘の演奏を聴きましたが、1年間のベルリン生活が無駄ではなかった事がはっきり判り、自分も、少々感激しました。また、今までのコンサートでは、ショパン、ラフマニノフ主体の選曲で、今回のベートーベン、ブラームスは、初演なんです。本人も言っていましたが、まさに、ベルリン留学の成果です。まだまだ、未熟ですが、これからも鍛錬を重ねてゆくと思います。」とおっしゃっておられます。

これは、杏菜さんご自身の厳しい勉強の努力の成果です。今回のリサイタルでも、22日(土)に帰国し、23日に家族で1日だけ温泉に行き、翌日からリサイタルの練習に励み、リサイタルの翌日の30日の夜便でベルリンに戻る強行な日程です。この様な努力により、明日のピアニストとして、大変に希望が持てます。

帰国リサイタルの評価を、ピアニストの高橋多佳子さんの日記(ブログ)で見せて頂きました。「今日は若いピアニスト、倉澤杏菜ちゃんのリサイタル。桐朋を卒業してまだ2年という若さですが素晴らしい演奏を披露してくれました。ブラームスの3番、ベートーヴェンの109、リストのスペイン狂詩曲等など、大曲をズラリと並べていましたが、どの曲も素晴らしい仕上がりで、しかも豊かな表情を持って弾いてくれたので、曲の素晴らしさを十分伝えていました。感動的だったなあ。」とあります。

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イベント 運動会 第15回お茶の水小学校運動会

2007年10月05日 | イベント
kan-haru blog 2007

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お茶の水小学校運動会
昨年と同様に朝から良く晴れた残暑の9月22日に、孫の通っているお茶の水小学校で第15回目の運動会が開催されました。昨年(「イベント(6) 運動会 お茶の水小学校運動会」参照)の徒競争やリレーでは頑張っており、今年もリレーに出ると云うので応援に行きました。
お茶の水小学校(千代田区猿楽町1-1-1)へは、京浜急行大森町駅から三田駅で都営三田線に乗り換えて、神保町駅から書籍店街の靖国通りを通って横道に入り、明大の裏の錦華公園に隣接したところにあります。

・古書店街神保町
靖国通りを中心にした神保町の一体は、書籍店街・スポーツ用品店街の高度に専門化された広域的商業集積街です。このうち、書店街はWebの「BOOK TOWN じんぼう」によると、古書店160店、新刊書店30店、取次店25店、出版社500社があり、売場面積5,000坪、在庫1,000万冊の世界一の書店街が集積しています。

神保町書店街の生い立ちは、神保町に関する研究書の1979年『東西書肆街考』(岩波新書)脇村義太郎氏によれば、明治前期に学校、学生の神田への集中が書籍商の発展を促がしたものであったようです。
明治20年に東京書籍商組合が組織されたが組合自体が営業せずに、有志の発起で大市が行われ、貧乏な学生が次ぎの本を購入できるように、読終えた本を引取る新古書の取引が開始されました。後に、正式に組合業務として行われるようになりました。

大正・昭和前期には、古書の取引は増加してきて、坐して売りに来るのを待っていては間に合わなくなり、他の古書店から自店で需要の多い価格の安い本を買ってきたりして、「競取(せどり)」を使って、自店に向くものを探して持ってこさせるようにしました。また、同業者が集まり、商品を持ちよって交換する方法が自然に発生してきました。

その後、変遷を経て東京古書籍商業協同組合が設立され、現在小川町に古書会館を持ち、神田はあらゆる古書取引きの中心になるに至ったのです。
今年もまた、神田古書店街恒例の『東京名物・神田古本まつり』の時期となり、第48回目が10月26日(金)から11月1日(木)までの期間に、神保町表通りの舗道(駿河台下から専大前交差点まで)に書店約100店舗とのべ100万冊の書棚に囲まれた「本の回廊」が出現します。
また、10月27、28日に、すずらん通り、さくら通り、小学館、集英社前広場で第17回 神保町ブックフェスティバルが開催され、「明治大学応援団」パレードでオープンして古本チャリティーオークションが行われ、トークショウや楽団演奏、お茶の水小学校 和太鼓演技などが行われます。

・お茶の水小学校
お茶の水小学校(「風景・風物詩(A1) 東京百景 山の上ホテルとその周辺(その3)」参照) 運動会は、平成5年4月に近隣の小川小学校、西神田小学校と夏目漱石が通った錦華小学校が統合された小学校です。
錦華小学校は、明治6年に開校し錦坊学校と改称して猿楽町2番地(現神保町1-30 ホテルヴィラフォンテーヌ神保町地図参照)に校舎を新築しました。その後、現在地(千代田区猿楽町1-1-1 地図参照)に移転し、世界大戦の戦災で焼失しました。
統合の小川小学校跡(地図参照)は、現在公園となっていますが、統合前の1960年代、1980年代の小川小学校付近の貴重な写真が小川町北三町会のWebで見られます。

運動会
運動会のプログラムは、午前が14種目の午後が6種目であり、最初の種目が孫の出た徒競争のいのしし RUN!!! で今年も頑張りました。

    いのしし RUN!!!   

来賓・同窓会・児童保護会が参加する競技種目の大変身!! ではパパが参加して奮闘しました。

    大変身!!

午前最後の勝利をめざして(低学年リレー)では、今年はアンカーとして出場し奮戦しましたが、3位に終わりました。

お茶の水小学校の競技種目は、15種目が対抗競技で競争意識を持たせております。また、競技方法も、定位置に全員が張り付いて綱引きをするのでは無く、一部の者はスタートラインから綱をめがけて駆けて行き、そこから綱引きに参加するという競技で、早く綱にたどり着いた方が有利という体力を競うものです。

   ひっぱれ ヒッパレ 走ってひっぱれ!


   ロケットダッシュ

併設の幼稚園児の微笑ましい可愛い演技、組体操や対抗競技では、父兄が紅白に分かれて手に汗を握り応援して楽しんで秋の一時を過ごしておりました。

    KIZUNA~2007~

小学生の運動会といっても、高学年の対抗競技のロケットダッシュ、熱中時代!激走編!、対人!お茶の水の決戦、飛び出せ!青春!!や、演技種目のKIZUNA~2007~などは迫力がありました。

    対人!お茶の水の決戦


   飛び出せ!青春!! 

平成19年度運動会の競技は、694対662で白組が優勝し、優勝旗、優勝杯を手にしました。
応援合戦ひびけ和太鼓今日は一日頑張ったぞ

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イベント 目黒のさんま 第12回目黒のさんま祭り

2007年09月23日 | イベント
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9月に入ると寒流が日本列島の南部まで張り出し、冷たい水を好むさんま(秋刀魚)が北海道から三陸沖に産卵のため群をなして南下してきます。
三陸沖にかかる頃の今時分のさんまは、エサを十分に食べて太り、脂肪もグンと増えて栄養価の高いおいしいサンマになります。
1955年(昭和30年)頃の東京の夕餉のおかずは、七輪に炭を熾してさんまを強火の遠火で焼き、団扇(うちわ)であおぎながら、煙を身にからませて燻蒸(くんじょう)するように焼き上げ、落ちた脂肪から火を立てないように、煙を上手に魚にからめながら焼き上げるとグンと美味しくなり、秋の味覚として欠かせない庶民の味でした。

目黒のさんま
海にも面していない目黒でなぜさんまなのかは、実は落語の中の話なのです。
江戸時代、お殿様がお供を連れて、江戸郊外の名所、目黒不動尊近辺へ鷹狩りに出かけられました。久しぶりの遠乗りでお腹が空いたお殿様、目黒の茶店で夕食を所望しました。急なことで用意のなかった茶店の主人は自家の惣菜に買っておいたサンマを焼いてお出ししました。

お殿様は目黒で食べたさんまの旨さが忘れられず、城に戻ってさんまを所望しました。
お城の料理方は、さんまを油抜き・骨抜きにして蒸し、食べやすいようにしてお出ししました。
それを食べたお殿様は、ちっともおいしく感じられず、「この魚、いずこで仕入れたか」、「はあ、日本橋は魚河岸にございます」、「なに魚河岸?、さんまは目黒に限る」と言う話です。

目黒のさんま祭り
お殿様ではなくても、サンマは焼きたての「ジュ~ッ」というアツアツが最高の味です。
ところが、目黒駅近辺で、炭火で焼きたてのアツアツの三陸直送のさんま5000匹を、産地直送の「すだち」と「だいこおろし」で食べさせるという、2ヶ所の独自開催で別々の本家争いの目黒さんま祭りが開かれました。
さんま祭りに訪れた人は、そんな「ご当地争い」はどこ吹く風で、サンマをほおばり、旬の味覚を堪能していました。
・第12回目黒のさんま祭り
第12回目黒のさんま祭りは、品川区のJR目黒駅東側の目黒駅前商店街振興組合(品川区上大崎2)が9月9日の日曜日に開催(品川区協賛)しました。場所(地図参照)は、目黒通りの誕生八幡神社を中心とした周辺一体で開かれ、岩手県宮古漁港直送の新鮮なさんま5,000匹を、その場で炭火焼きにして、徳島県神山町産の豊潤すだちを10,000個と、栃木県黒磯市高林直送の大根を使った大根おろしも用意され、来場者に無料で振る舞われました。

「目黒のさんま祭り」が開かれたのは1996年からで、例年15,000人以上のお客さんが集まる人気のイベントです。第3回までは、鮮度の良い宮古産のさんまを築地で仕入れておりました。このことに感動し岩手県宮古市から、平成11年の第4回よりさんまを無料で提供するようになり、毎年5000匹の新鮮なさんまが、前日の水揚げから翌朝までの間に一気に目黒まで運ばれてきます。

・第31回目黒SUNまつり
第31回目黒SUNまつり(第12回さんま祭り)は、第31回目黒区民まつり実行委員会が9月16日の日曜日に開催(目黒区・目黒区教育委員会後援)しました。
場所は、目黒駅西口から目黒通りを西に進み、目黒川の目黒新橋から北側の両岸(地図参照)の各会場(会場案内図参照)で行われました。
当日は、午後から池袋での会合がありましたので、以前から興味を持っておりました「目黒のさんま」のイベントを、午前中に見に行きました。

さんまの行列
目黒から権之助坂を下ると、10時半頃には目黒新橋上にさんまの引換券を貰う列が並んでおりました。その列は、目黒川の右岸のさんま祭り会場を先頭として、目黒川を渡り左岸通りを行列して、列の後尾は目黒新橋から2つ先の橋まで達して(地図茶色線参照)おりました。10時10分から開始の炭火焼きさんまの配布から、わずかの間の行列の凄まじさをみて、「目黒のさんま」のイベントの人気にまず驚きました。


行列しても、とても午前中にはさんまには有りつけないと諦めて、目黒川左岸を目黒区民センターへと進み、1つ先の橋を渡りさんま祭り田道広場公園の会場に入り、5000匹ものさんまの炭火焼きの模様を見学しました。当日の行列は、過去最高の人が集まり2kmの列ができたとのことです。


気仙沼のさんま
目黒SUNまつりのさんまは、宮城県気仙沼のさんまで、さんまを焼いたり、すり身汁を作る気仙沼のスタッフの80人は全てボランティアです。前日土曜の夜10時に気仙沼をバス2台で出発し、約500kmの道程を経て当日の朝6時に目黒に到着です。


祭を盛り上げて、終われば観光もせず、夕方6時には家族の待つ気仙沼に向けてバスで帰り、気仙沼に着いたのが翌日の午前2時とのことです。「目黒のさんま」祭りのため、本当にご苦労様です。


目黒SUNまつり
あまりの人出に圧倒され、目黒川の道端の石垣に腰掛けて休んでいると、年配者が脇に座りさんまを食べてきたかを聞かれたので、行列の多さに諦めたというと、その方は6時20分に着いてさんまを食べてきたとのことで、さんまを食べるためには遅くても8時までに列に並ぶことが必要のようです。


午後の集まりに出かけるため、SUNまつりを行っている会場を通り抜けて、来たときと逆行して目黒川沿いに目黒駅に戻りました。

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イベント 歌舞伎座観劇 第二回秀山祭九月大歌舞伎夜の部

2007年09月21日 | イベント
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母校明大の恒例の歌舞伎観劇会の催しがあり、今年も9月9日に第二回秀山祭九月大歌舞伎の夜の部を見てきました。観劇会は、お弁当が付いて一般料金より若干お安く鑑賞でき、イヤホンガイドの使用料も割引となります。

齧り付きの席の観劇
座席は、抽選で決まりますが、今年は大当たりで一階の一番前の中央の1-19と20が当たり、いわゆる齧り付きの席で、なかなか普通では入手が困難な特等席でした。


昨年は、生憎と花道が見えない席でしたので、ブログ(「イベント(5) 歌舞伎座観劇 秀山祭九月大歌舞伎夜の部」参照)に今年はと願いをこめたのですが、それが何と、今回の出し物の「阿古屋琴責」では、玉三郎の琴、三味線、胡弓の独奏と唄が眼前で鑑賞できるとは思ってもおりませんでした。

     花道から見た齧り付きの席       齧り付きの席から見た舞台の目線 

玉三郎の演じる拷問代わりの演奏場面は、三曲の楽器を弾き語りながら景清に対する深い思慕の描写を演じる役どころの場面で、演奏の楽器と唄の声が直接生のまま届き、心情細やかな表現を演出しながらの名演技を、齧り付きの席から鑑賞をすることができて大いに感激し堪能できました。特に、歌舞伎での日本独自の胡弓演奏を初めて聞きましたが、玉三郎の名演奏で胡弓独特の哀調ある音と、西洋楽器のバイオリン演奏の様に弓を自在に操っての変化のある日本伝統の弦楽奏は初めてであり、何ともいえない魅力を感じ心底惹きつけられました。

第二回秀山祭
秀山は、初代中村吉右衛門の俳名で、昨秋生誕百二十年を記念して第一回の「秀山祭九月大歌舞伎」が上演されました。今年は、特に年紀とは関係なく、初代吉右衛門が9月に命日を迎え53年になり、第一回秀山祭の評判が良かったので、初代ゆかりの演目を揃えて第二回が開催されました。

夜の部演目
夜の部の公演は午後四時半からの開演で、出し物は初代吉右衛門が得意とした加藤清正物から秀山十種の「二条城の清正」と、坂東玉三郎の「壇浦兜軍規」に新古演劇十種の「身替座禅」が演じられました。

                     夜の部演目(拡大)

・壇浦兜軍規
壇浦兜軍規は、作者が文耕堂、長谷川千四で1732年(享保17年)に大阪・竹本座で初演された、全五段の時代浄瑠璃です。歌舞伎では、同じ年に移され上演されました。
壇浦兜軍規(阿古屋)のあらすじは、五条坂の遊女阿古屋(玉三郎)が、平家滅亡の後姿をくらまして源頼朝の命を狙う、平家の悪七兵衛景清に愛と命を捧げた源平もので、阿古やに景清の行方を尋問しているが何もしらないと言い張るので、裁きを執り行うため堀川御所に連れてこらえました。

堀川御所では、代官の智仁溢れる秩父庄司次郎重忠(吉右衛門)と、助役の私心を挟む人物の岩永左衛門致連(段四郎)が出御する。
当代吉右衛門が初役で勤める重忠は典型的な白塗りの生締めの捌き役で、一方の岩永左衛門は眉毛が仕掛けで動くように作られた赤面で、二人の人形遣いによる人形振りで滑稽な役どころを演じ、せりふは浄瑠璃が語ります。眉毛を吊り上げる演技では、観客の爆笑が沸きました。
重忠の郎党の榛沢六郎(染五郎)が、裁く阿古屋を連れてきたことを言上します。

やがて、この作品の最初の見所の捕手達に囲まれて、五条坂随一の遊女の風格を見せて、豪華絢爛な刺繍の衣装でのきらびやかな花道登場の場面は圧巻でした。
景清の行方を白状させようと、重忠は阿古屋を諭すが、景清の行方を知っていればすぐ白状していると言い、知らないことが信じて貰えないのであれば、いっそ殺してくれと身を投げ出す場面で袖を広げる姿の美しさは素晴らしいものでした。

そこで、重忠は拷問にかけて見極めようと、眼目の場面で責め道具の琴、三味線、胡弓が運ばれ、演奏するようにと命じます。
ここからは、初の阿古屋は歌舞伎を見ているよりも音楽劇の演奏といった錯覚で鑑賞し、鮮烈な印象を受けました。

       責め道具の琴、三味線、胡弓の演奏場面(ホームページから出典)

まず、最初は琴で、蕗組の唱歌を舞台下手の長唄と合奏し、景清との馴れ初めとその別れを唄います。玉三郎の唄は、心情を演じながらの美しい声で、平成9年の初演以来7回を重ね誠に素晴らしいものでした。

次いで三味線では、班女の故事を唄い、景清との逢瀬は人目を忍ぶもので、その別れも僅かに一言交わすだけであったと、長唄との合奏で唄います。
胡弓の演奏では、望月の一節を用いて景清との縁のはかなさを訴えます。今まで、日本古来の胡弓の演奏には縁が無く、江戸時代初期に三味線を小型に改造した胡弓は、弓を弾いて弦を鳴らす楽器なので、バイオリンと同様な変化のある演奏ができ、幻想的な音色が奏でられることが玉三郎の演奏により初めて聴かせて頂ました。

重忠は、一糸乱れず演奏した阿古屋には、言葉に嘘がないと情けある裁きを下し、阿古屋は感謝しながら堀川御所を後にしました。

・身替座禅
新古演劇十種の身替座禅は、岡村柿紅の鷺流の狂言を題材にした処女作です。1910年(明治43年)に下谷二長町の市村座で初演されたポピュラーな演題で、これまで数多く公演されております。あらすじは、右京(団十郎)が玉の井(左団次)を言い含めて、太郎冠者(染五郎)に身代わりの座禅をさせ花子のもとへ向かい、一夜の楽しみから戻ると身代わりが露見して、玉の井が座禅を被り待ち受けており、追い回されて幕になります。
身替座禅は、これで二度目の鑑賞になりますが、間近でみる右京と玉の井の演技の立会いは、大変迫力がありました。

・二条城の清正
秀山十種二条城の清正は、初代吉右衛門の懇望により小説家の吉田絃二郎の書き下ろしたもので、1933年(昭和8年)に東京劇場で初演されました。
二条城の清正は、二幕三場で当代の吉右衛門の加藤清正役で上演されます。第一幕清正の館では、病を患いながら命を賭けて秀頼を守ろうとする清正の姿を見せ、第二幕第一場の二条城大広間では、策略をめぐらせる徳川家康(左団次)、本多佐渡守(段四郎)主従と秀頼(福助)を必死に守ろうとする清正との腹の探りあいが見所です。第二幕第二場の淀川御座船の上では、清正が秀頼を狙う徳川の手の者を防ぎながら御座船で淀川をくだり、病中を押しての忠勤に感謝する主従の間柄を越えた結びつきを見せる場面であり、清正が秀頼の幼少期を述懐し、秀頼が爺と慕うやり取りの随一の見せ場を最前列で感激して鑑賞させて頂きました。

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イベント 東京都美術館 第62回日本書道美術院「教育部展」

2007年08月28日 | イベント
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8月は書道展シーズン
8月は書道に関する展示会が各地で開催されておりますが、その中で読売新聞社の書道展は最大規模の展示会で、8月24日から9月2日まで国立新美術館の第1会場とサンシャインシテイ(文化会館)を第2会場として開かれる「第24回読売書法展」は、関東を中心とした周辺県の方の出展数が29,506点というスケールの展示です。
この読売書法展は、9月以降は地方の関西展を手始めに、中部、中国、東北、北海道、九州、四国と順次開催されます。

第62回日本書道美術院教育部展
読売の大規模な書道展に驚いたのは、孫が書道塾に通い始めて昨年の東京都美術館に出品し、その日本書道美術院教育部展(「イベント(4) 東京都美術館 第61回日本書道美術院「教育部展」」参照)を見に行ったときに、読売書法展が東京都美術館で同時開催していたので、8月は書道に関する展示会のシーズンであることを知ったのです。

    東京都美術館日本書道美術院教育部展会場

第62回の日本書道美術院教育部展(13~19日東京都美術館地下三階第二彫塑室で開催)には、昨年に続き2回目の出品で優作に入れましたので、当事者は国内におらず孫の従兄弟に当る高校生が遊びに来てましたので一緒に14日に見に行きました。

    第62回日本書道美術院教育部展

主催の財団法人日本書道美術院は、第二次世界大戦後に一番最初に誕生した書道団体であり、毎日新聞社との共催で第52回全国競書大会と併催開催です。

    併催の第52回全国競書大会 

教育部展の出品作品の規定は、例年同様に幼年を含む小学生、中学生と高校生が対象であり、体裁は軸表装にしたものと定められており、今回の出展作品の語句は「一ばん星」でした。

        出展作品「一ばん星」(拡大)       教育部展特別賞入賞作品(拡大)

みんなの書賞作品(拡大)  優作(拡大)      優作(拡大)      優作(拡大)

出展の作品は、みな個性があり、どれものびのびと力強い筆運びで書かれております。特に感心したのは、幼年児の書道でも素晴らしい書き方を見せております。

       (拡大)              (拡大)               (拡大)

日本書道美術院教育部展の出展数は、高校の部が92点、中学の部が138点、小学生の部が822点です。作品の入賞は、特待賞(小学の部1点)、日本書道美術院賞(高校、中学、小学の部各1点)、理事長賞(高校、中学の部各2点、小学の部3点)、毎日新聞社賞(高校、中学の部各3点)、毎日小学生新聞賞(小学の部4点)、全日本書道連盟賞(高校、中学の部各4点、小学の部7点)、高野山金剛峯寺賞(高校の部7点、中学の部9点、小学の部14点)、教育部展特別賞(高校の部13点、中学の部22点、小学の部30点)、みんなの書賞(高校の部28点、中学の部49点、小学の部62点)、特選(高校の部34点、中学の部49点、小学の部83点)です。

 理事長賞受賞作品(拡大) 金剛峯寺賞受賞作品(拡大) 全日本書道連盟賞作品(拡大)        

なお、小学生の部では、特選以下に秀作、優作と佳作が授与され全員に賞状と副賞がおくられます。
全国競書大会の方は、高校・中学・小学の他一般の部漢字・かな・新書芸があり、賞には教育部展と同様に特待賞、日本書道美術院賞、理事長賞、毎日新聞社賞、毎日小学生新聞賞、全日本書道連盟賞、高野山金剛峯寺賞、全国競書大会賞、書道美術特別賞、みんなの書特別賞、書芸文化院賞の各賞があります。

小・中・高校生の素晴らしい出展作品を鑑賞すると心がやすらぎ、芸の奥行きがなんとなく分かるような気持ちになります。
ゆっくりと作品を鑑賞してから、お茶でもと思ったのですが、今年の格別の猛暑で喫茶室が満員のため諦めて帰路につきました。

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イベント 東京芝とうふ屋うかい 異業種交流会H11メトロ恒例の暑気払い

2007年08月24日 | イベント
kan-haru blog 2007

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異業種交流会H11メトロ
異業種交流会H11メトロは、地方独立行政法人東京都立産業技術研究センターが異業種交流事業として毎年募集している東京都異業種交流会グループの中の、平成11年に発足したグループの一つで、毎月交流会または研修会を開催しております。
H11メトロの5月例会の趣きあるお部屋「花みち」で開催の模様を掲載(「イベント タイムスリップした趣きあるお部屋「花みち」で開催の異業種交流会」参照)してあります。

6月の例会は、研修旅行で茨城県結城市にある「つむぎの館」にて浴衣 の絞り染め体験が行われ、参加者は仕立て上がりの浴衣を着て暑気払いに集まる意図でしたが、残念ながら仕立てが遅れて間に会いませんでした。

とうふ屋うかいでの暑気払い
交流会では、毎年暑気払いが行われ、昨年は御茶ノ水の「山の上ホテル」で開催(「風景・風物詩(A1) 東京百景 山の上ホテルとその周辺(その3)」参照)しました。
今年は、8月8日に東京芝の「とうふ屋うかい」で18時より開催しました。


とうふ屋うかい(東京都港区芝公園4-4-13 航空写真参照)は、東京タワーの真下の昔東京タワーボウルがあった所に、2005年9月にオープンした樹齢100年を超える古木が茂り、滝から流れ出るせせらぎの音が響く、閑静なおよそ2000坪の日本庭園に、山形の造り酒屋や新潟の豪農の屋敷を移築した重厚で風格のある木造建築の中で、江戸の食文化を代表する豆腐を主役にした日本料理のコースを食べさせてくれるお店です。


八王子・大和田の銘水で作られる濃厚で滋味深い極上の手作り豆腐を、多彩に楽しませる技と工夫が凝らされた料理を食するお部屋は、炭火で仕上げる中庭の田楽処を中心にして飛騨高山の匠たちにより造りあげられた、伝統ある数寄屋造りの御座席個室が53室と、3部屋の大広間があります。


H11メトロの暑気払いは、門をくぐり、じょうや坂をのぼり、邸内に入ると拭き漆の尺柱の日本建築のホールを通り、蔵造りの建屋の漆塗りの回廊を抜けて二階の大広間で行いました。


風流な江戸の食文化のとうふ料理のお献立には、「花」、「月」と「雪」の御膳が用意されています。

東京タワー見物
H11メトロの暑気払いで交流を暖めて散会ですが、折角東京タワーの足元に来ているのですから、普段見学に訪れる機会が殆どないのでこの際希望者で東京タワーを登ることになりました。
2011年にテレビの地上アナログ放送が終了され、地上デジタル放送への全面移行を契機に、2008年から墨田区押上に新東京タワーの建設が開始され、予定通りに高さ610mの電波塔が2011年に完成すると、放送事業者の設備が全て新東京タワーへ移ってしまうので、それまでの間が東京タワーの見納めとなります。

東京タワー(Wikipedia画像)は、1957年(昭和32年)6月に起工し、わずか1年3ヶ月の1958年(昭和33年)10月に竣工した高さが332.6mで、地上120~125mに2層の展望台と223mのところに特別展望台があります。特別展望台は、当初放送設備・機材置き場に使用されていましたが、1968年(昭和43年)になってオープンされました。
東京タワーは現在でも、自立式鉄塔として、世界最高を保っています。

8日は夏休みに入ったことと、昭和30年代の東京の下町を描いた映画「ALWAYS 三丁目の夕日」に、東京タワーの建設途上のリアルな再現場面が登場し、さらに、別の「東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~」などの映画により東京タワーは、今人気が高まって混雑しています。

・特別展望台
東京タワーに最初に登ったのは、かなり以前でその時は未だ特別展望台がなかった時ですので、今から40年も前になります。2度目に登ったのは、地方からのお客さんを案内した時で、特別展望台は出来ておりましたがそこには登らずで、今まで上がらずでしたので今回初めて登って見ました。

 東京タワー地上120mの展望台の夜景(拡大)

特別展望台へのエレベータは、1台でのピストン輸送でしたので、行列待ちで待たされました。地上223mの展望台の鉄塔の太さは、2層展望台の鉄骨とは比べ物にならない位細いもので、中越地震の後であり若し地震がきたらどうなるのかと、変な予感がよぎりました。
特別展望台の展望は、夜間でしたので遠望が適わず、近辺の夜景も2層展望台からの方が綺麗でしたが、思わぬ見納めの展望台での暑気払いも楽しめました。

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