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kan-haruの日記

イベント 江戸東京博物館 江戸時代の東京を見る

2007年08月06日 | イベント
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江戸東京博物館常設展示室
7月22日の午前中に1階展示会場で開催の大鉄道博覧会を孫と観た後、午後には江戸東京博物館常設展示室に寄りました。
江戸東京博物館は、何年か前に見に来ておりますが、大鉄道博覧会で訪れましたので常設展示の観覧もしてきました。常設展示には、江戸ゾーンの他東京ゾーンの展示もありますが、時間の都合で今回は「江戸ゾーン」だけを見ることにしました。

江戸東京広場

江戸東京博物館の常設展示室観覧料は、小学生以下と都内中学生は無料であり、第3水曜日はシルバーデーと称して65歳以上の人も無料になります。
1階展示室から常設展示室へは、エスカレータかエレベータで3階の江戸東京広場に出られるのですが、孫が以前に来た時に覚えていたJR両国駅から通じている動く歩道から上がりたいと云うので、そこからチケット売り場に行きました。観覧券を購入したところ、第3の土・日曜日はふれあいデーなので半額で、2人での入場が合わせて何と150円で済み大変なサービスを受けました。

6階常設展示室

6階常設展示室へはエレベータでも上がれますが、メインエスカレータで壁面の錦絵の大画面を眺めながら進むと、常設展示室入り口で自動改札機を通り入場すると、5・6階の吹き抜け会場に幅が約8mで再現した「日本橋」を渡る様になってます。
橋上から左手の下を見ると「中村座」の入り口正面の建物で、その演壇では江戸東京寄席の落語を口演しておりました。右手には、今回は見学をスキップの「東京ゾーン」の朝野新聞社の建物の模型が見られます。

   再現した日本橋           中村座             朝野新聞社

日本橋を渡ると「江戸ゾーン」で、武家屋敷と寛永の町人地などの展示が見られます。
      
5階常設展示室



      町人長屋            木工具屋            錦絵屋

      越後屋          賑わう江戸の盛場        商い運搬船

5階常設展示室へはエスカレータで下ると、先ず江戸の棟割長屋で武士の暮らしと町の暮らしを見てから、三井越後屋の大模型で江戸の商業を知り千両箱の重さを体験します。
江戸と結ぶ村と島で江戸時代の人々の暮らしを見て、肥桶担ぎの体験をしてから、江戸の四季と盛り場により文化都市の江戸を知ります。

   千両箱重さ体験       肥桶担ぎ体験       纏担ぎ体験

江戸時代文化の展示物は、沢山来ている外人観覧者には興味のあるコーナーで、同伴の知人からの説明を聞いて関心を示しておりました。
次いでの見ものは、江戸の美の歌舞伎舞台の艶姿を鑑賞し、さらに歌舞伎の東海道四谷怪談の模型による、舞台のからくりの実演が見られます。
同階の「東京コーナー」展示は廻らずに、江戸東京寄席の演芸の続きを見て、ミュージアムショップでお土産を買い、専用出口からエレベータで降りて帰りました。
帰路は、往路とは異なるルートの大江戸線両国駅から都営浅草線大門駅で乗り換えて、京浜急行線の大森町駅に帰りました。

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イベント 江戸東京博物館 大鉄道博覧会

2007年08月04日 | イベント
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江戸東京博物館
小学生の孫が夏休みに入り遊びに来ましたので、7月22日に江戸東京博物館で開催中の大鉄道博覧会を見に行ってきました。
江戸東京博物館へは、京浜急行大森町から都営浅草線浅草橋でJR総武線に乗り換えて、両国駅下車で国技館横を通って行きます。大鉄道博覧会は、特別展示の催しものでありますので江戸東京博物館の1階展示室で展示されています。

             大鉄道博覧会(於 江戸東京博物館1階展示会場)

江戸東京博物館(東京都墨田区横綱1-4-1)は、1993年(平成5年)に、失われつつある江戸東京の歴史遺産を守るとともに、東京の歴史と文化をふりかえることによって、未来の東京を考える博物館として開館しました。
博物館の常設展示室は、5階と6階が吹き抜けになった、広さが約9,000㎡の大きな展示室を生かし、綿密な調査研究を踏まえて実物大に復元した大型模型などが展示されており、当時の人びとが、実際に使っていた実物資料も豊富に展示しており、江戸東京の都市と文化、そこに暮らす人びとの生活を楽しみながら学ぶことができます。

大鉄道博覧会
大鉄道博覧会は、副題が“昭和への旅は列車に乗って”で、7月10日(火)~9月9日(日)の期間開催し、7月16日(月・祝)と8月13日(月)を除く毎週月曜日と7月17日(火)は休館です。
入り口を入ると、博多駅の蒸気機関車C59の大写真に出迎えられ、煙を吐いてばく進する動画画面を見ると、昭和30年代の鉄道の黄金期に活躍していた懐かしい交通機関の紹介です。

  蒸気機関車黄金期               黎明期の蒸気機関車

展覧会は、副題のテーマに沿って昭和30年代を中心とした黄金期の鉄道に重点を置き、鉄道発祥の旧新橋停車場跡より出土の双頭レールや、開業以来の姿を伝える歴史的考古的な鉄道展示資料から始まり、黎明期から鉄道を支えたいろいろな名車両の模型で鉄道の歩みが先ず示されておりました。

 鉄道発祥の双頭レール     歴史的な鉄道用品  鉄道通信設備と切符収納器 

鉄道の実物の展示は、100年ぶりに里帰りした走行可能な小型の蒸気機関車として国産最古の「下工弁慶号」と、国産最後の産業用蒸気機関車とされる糸魚川「くろひめ号」のSLは日本の鉄道技術が物語られております。

                   国産最古の「下工弁慶号」

             国産最後の産業用蒸気機関車「くろひめ号」

次いで、旅を楽しむ食堂車のメニューや旅の荷物を運ぶ「赤帽」の資料の展示に、旅の想い出の記憶として、乗車ができる特急「つばめ」の展望デッキの実物大模型で旅の想いでを呼び覚まされます。
また、一部復元の3等寝台車は、成長期のビジネス活動で昭和30年代に使われた3段式ベッドで、下段は座席がベッドに使われ、中段は座席の背もたれを横にしてベッドとし、上段は固定のロフト式のベッドです。両側6人の各段のベッドは周囲をカーテンで囲われての寝台車で、寝過ごさないかと心配したり、列車が停まると目が覚めたりの今思えば、この狭いベットによく寝ていたものだと、懐かしく思われました。

          特急「つばめ」の展望デッキ             3等寝台車

昭和30年代の鉄道による暮らしと社会の様子として、上野駅に上京の中学卒業生の集団就職列車や山手線・中央線の通勤ラッシュに揉まれた乗客の姿は、懐かしくも辛いペーソスの当時の生活が想い起こされます。
昭和30年代の食料不足の時代に、野菜などを担って列車に乗った行商人の荷物の重みを体験する「荷物を担いでみよう」のコーナーでは、約35kgの重みを体験できます。

      酷電通勤ラッシュ          行商人の荷物の重みを体験  

その後、高度成長期を迎え貨物列車が物流を支えた、さまざまな専用用途を持った貨車の模型が当時の貨物輸送の姿を現しております。
現在の列車のシートは、乗り心地を配慮して長時間乗車に配慮されておりますあすが、昭和30年代の修学旅行列車は3人掛けシートでした。

学旅行列車は3人掛けシート 一般シート    リクライニングシート

この様にして昭和を駆けた車両模型300両が一堂に並んで、大ギャラリーに展示されておりますので、鉄道開業から現在に至るまでの歴史を概観しつつ、近代化を支えた日本の鉄道の文化が観られます。

                   昭和を駆けた車両模型

小学生3年生の孫には、鉄道が歩んできた道は多少理解できたと思いますが、この展覧会のテーマの昭和の変遷についてはかなり難解の様でした。
博覧会のテーマとは関係が薄いですが、小学生の関心は鉄道模型のジオラマです。かなり精密に作られた地方鉄道模型のジオラマが展示されておりました。

                   鉄道模型のジオラマ

大鉄道博覧会を見終わりレストランで昼食後、江戸東京博物館の常設館に寄りました。
特別展の当日入場料は、一般1300円、大学・専門学校1040円、小中高生・65歳以上650円であり、特別展と常設展共通券は、一般1520円、大学・専門学校1210円、小中高生・65歳以上760円ですが、都内の小・中学生は650円です。

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イベント タイムスリップした趣きあるお部屋「花みち」で開催の異業種交流会

2007年05月17日 | イベント
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東京都異業種交流会
東京都異業種交流会H11メトロの5月例会は、11日18時から会場を文京区白山1-14-2の「花みち」で開催されました。
東京都異業種交流会H11メトロは、地方独立行政法人東京都立産業技術研究センターが異業種交流事業(異業種交流グループ)が毎年募集している東京都異業種交流会のグループで、平成11年に設立されWebに共有のグループサイトを設けて毎月定例活動を開いております(「風景・風物詩(A1) 東京百景 山の上ホテルとその周辺(その3)」参照)。

H11メトロの活動は、5月が新年度で新役員が専任され、例会で平成19年の活動計画が策定されました。
また、H11メトロには分科会のXML応用研究会があり、そこでは研究用の専用のサーバーマシンを保有し、毎月の活動を積極的に進めており最近の活動テーマとしては、会員企業においての「Web 2.0 時代におけるIT活用は如何にあるべきか」を実践的な学習で継続的に勧めており、その学習は第55回を数えております。

フリースペース 趣きあるお部屋「花みち」
H11メトロの開催会場の選定は、毎回役員の頭を悩ませます。
ところが、交流会例会開催会場も探せばあるもので、新年度の役員さんが見つけた文京区白山のフリースペース「花みち」は、安くて、交通の便も良いうえ、大変と赴きの深い大正年代に建てられた純和風のお部屋なのです。
まず料金ですが、14畳のお部屋の場合1部屋で1時間当たり800円(18~23時まで)です。
場所は、都営地下鉄三田線白山駅から徒歩5分の位置にあり、新宿から約30分で「花みち」に着きます。

部屋の付帯設備は、座卓の他、ホワイトボード、冷蔵庫、ポット・急須や湯のみ等の食器、などが利用できますが、建物の全館が禁煙であることは、歴史資産的な建造物であるので仕方がないでしょう。
それと、懇親会の使用として、お弁当やビールなどの飲食物がフリーに持ち込めるので、小宴会には不自由しません。

      花みち玄関            花みち玄関端             花みち襖

「花みち」は大正・昭和時代の待合茶屋
白山を歩くと古い木造建築が建ち並び、ほかとは違いなんとも味のある佇まいです。
文京区白山は、明治時代には三業地で花街のあった場所で、「花みち」も置き屋から芸者を呼び、料理屋から料理を調達して、待合茶屋として使われていた、大変と趣きのある建物で、各お部屋も花街独特の只住まいの雰囲気を持っております。

   お部屋の掛軸         茶屋の四畳半の間         茶屋のお部屋への階段
 
大正時代には、250人もの芸子さんがいたといわれております。
お部屋に入ると、掛け軸や行灯、欄間・障子など雰囲気から、今にも芸者さんが来るような錯覚におちいります。
なお、白山の由来は、白山神社が鎮座していたことからと云われております。

交流会恒例の懇親会
異業種交流会の例会が、滞こうりなく終り、仕出し屋の弁当とビール、酒などを取り寄せて、恒例の懇親会が行われました。

               懇親会の乾杯

懇親会後は、艶のある雰囲気の場所から、日頃から邦楽に深く傾注されているTさん、Sさんのお二人の横笛の演奏が公開され、厭が上にも「花みち」独特の雰囲気を盛り上げ、交流会出席の全員が何時しか待合茶屋の世界にタイムスリップしたようでした。

                趣のあるお部屋の雰囲気を盛り上げた横笛演奏
 
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イベント 船に関する知識の宝庫 「船の科学館」

2007年04月24日 | イベント
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科学館・技術館
新交通「ゆりかごめ」に乗ると、船の科学館駅前に大型客船が停泊しているかのような偉容な姿の「船の科学館」が大変に目立っております。
船の科学館が完成したのは、かなり古く今から33年も前の1974年(昭和49年)7月の海の記念日に一般公開されました、戦後では同年4月に開館した「科学技術館」と並ぶ老舗の技術館です。
東京にある科学館の先輩は上野にある「国立科学博物館」ですが、老舗の博物館だけあり1871年(明治4年10月)に文部省博物局の観覧施設として湯島聖堂内に博物館を設置され、1877年(明治10年1月)に上野山内に教育博物館として竣工し創立年としております。
最近の新しい科学館としては、船の科学館と通りが連なっている青海の「日本科学未来館」が2001年7月の開館です。

船の科学館
船の科学館の最初の見学は、開館も間もない子供が小学生の頃ですので、およそ30年も前のことです。科学館や科学博物館の見学は、行って見たいのですがなかなか行く機会が得られないのが実情で、小学生の子供がいれば一緒に出かけるのが精々です。今回は、春休みに小学生の孫が遊びにきましたので、青海の「東京のみなと館」(「イベント 東京の港と海の情報基地 「東京みなと館」」参照 地図再掲)を見た後に、子と孫の3世代に亘る歴史的な船の科学館の見物を行いました。


・1階(一部地下1階)展示場
船の科学館(東京都品川区東八潮3-1 地図拡大地図参照)は、ゆりかごめの船の科学館駅から広場を通り6万トン級の客船を模して建てた船腹あたりの科学館入口に入ると、自動券売機で入館料(一般が700円、18歳以下が400円)を払い、自動改札機を通り入館すると1階展示場の「シンボルホール」です。
科学館の開館時間は10時から17時まで、休館は年末年始と月曜日(祝日の場合は翌日)が休館です。
ホール中央には日本独自の造船技術によって建造された江戸時代の船"樽廻船"が展示してあります。続く「船のあゆみ」では丸木舟から、帆船、汽船そして超電導電磁推進船まで、船の発達の歴史を紹介しています。
船の仕組みの紹介では、船を動かす日本で、はじめて開発された舶用大型ディーゼル機関の実験機や、各種の機関やスクリュープロペラなどが展示してあります。


船の建造を見るために、造船所パノラマ模型、21,000重量トン貨物船の実物ブロック、鋼材の実物サンプルなど船の造るための様々の姿でわかりやすく展示してあります。
地下1階には、海との共存を考えるため、海底、海中、海上における海洋開発の姿をパノラマ模型で紹介し、深海艇のしんかい2000模型などが展示してあります。

・2階展示場
2階展示場には、「東京のみなと館」で見た船がものを運ぶ海運や、東京港を例にとり、模型と映像で東京港の過去、現在、未来についての展示の他、漁船の活躍、船舶航行の安全のための海上保安庁の業務、海上自衛隊の役割と潜水艦コーナーでは、潜水のしくみや潜望鏡の模擬体験ができます。また、人間と海との接点をさらに近いものにするためのマリンレジャーやマリンスポーツを紹介しております。

・3階展示場
海上保安庁の東京港内交通管制室は、東京都に出入りする船舶(500総トン以上)は、年間でおよそ20.000隻にものぼり、これらの船舶が安全に航行できるよう、出入航の航行管制と海上交通情報の提供をします。東京港内には、この管制室を含む7個所の信号所があり、すべての信号はこの管制室よりコントロールされています。
和船コーナーでは、江戸時代の経済を飛躍的に発展させた海運の主力である弁才船を中心に、古代から中世、近世へと、その時代の経済的・風土的条件に対応して独自に発達した和船の歴史を展示紹介しています。
マリタイム サルーンでは柳原良平氏のイラストによる、船の歴史年表を眺めながらご休憩ができます。

ラジコン船コーナーには、有料(1回100円)ですが13隻もの客船、貨物船、潜水艦、自衛艦、黒船、巡視船などさまざまなラジコン船の操縦で船長になった気分になれます。ここを訪れた子供たちは、皆すっかり船長気分となり、何回も操縦して楽しんでおりました。
この他、6階コーナーには、操船を試すことのできる操船シミュレーションや模擬ブリッジに各種航海用機器を可動状態で展示してあります。

・展望室
地上高さ70mの展望室からは、東京港内を行き来するさまざまな船はもちろんのこと、360度の視界で東京港の全貌と臨海副都心と大東京の街並みを見渡すことができます。しかし、当日は残念ながら、曇天で見晴らしは今一歩(フジテレビを望むレインボーブリッジを望む)でした。

屋外展示場


船の科学館の屋外展示場には、南極観測で活躍した宗谷、1965年(昭和40年)に就航し青函トンネル完成までの22にわたって活躍した羊蹄丸、灯台やプロペラなど10点の展示品が並んでおりますが、時間の都合により「宗谷」の船内を一巡して帰りました。


今回は、午前中に「東京のみなと館」を見学して東京港についての情報を学んでおいてから「船の科学館」をみましたので、一層理解が深まりました。みなと館と科学館は、およそ徒歩10分ほどの距離ですので、時間に余裕のおありの方は、両方の見学をお勧めします。

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イベント 東京の港と海の情報基地 「東京みなと館」

2007年04月22日 | イベント
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東京みなと館
東京港とは、東京に長く住んでおりますがあまり縁がなく、よくニュースで「南極観測船が晴海ふ頭から出港」などと聞いたり、首都圏と北海道、四国、九州などを海路で結ぶカーフェリー航路は東京港フェリー埠頭から運行されており、夏になると人気の東京湾クルーズの東京ヴァンテアンクルーズは竹芝から出ている程度の知識しかありません。
横浜港といえば大さん橋埠頭が代表的な埠頭ですが、東京港の貨物埠頭はどこにあるのかは分かりません。そこで、春休みに小学生の孫と東京港について調べようと、前に行った「大江戸温泉物語(「小さな旅(8) 大江戸温泉物語 ドクターフィッシュ」参照) (地図再掲)」の近くにある、新交通「ゆりかもめ」テレコムセンター駅傍の東京都港湾振興協会「東京みなと館」(青海フロンティアビル20階 東京都江東区青海2-43 地図参照)に行きました。

展示会場からの展望
東京みなと館は、パンフレット(拡大参照)に記載のように青海フロンティアビルのエレベータで最上の20階に上がると目の前に受付がありますので、入館料(一般が200円、小・中学生が100円)を払い入館すると、展示会場は地上100mにありますので、周囲の前面ガラス張りの展望窓から眼下の東京港などのワイドな眺望を眺めながら、展示体験ができます。

当日は、残念ながら雨模様で遠望の眺望は霞んで見られませんでしたが、眼下の東京港などは展望できました。すぐ下のコンテナふ頭では巨大なコンテナ船が停泊し、クレーンでダイナミックに荷役をしていました。
一周すると、臨海副都心が一望で有明のビックサイトから観覧車、そしてお台場、フジテレビ、レインボーブリッジから日本科学未来館船の科学館、とまるで展示模型でも見るようでした。
なお、東京みなと館の開館時間は9時30分から17時30分まで、休館は年末年始と月曜日(祝日の場合は翌日)が休館です。

展示施設
展示施設は、反時計周りに5の展示ゾーンに区切られておりますので、各ゾーンを見てみます。
・東京港のあゆみ
東京港のあゆみゾーンには、江戸期から現在までの東京港の歴史に関して、新川河岸の大型模型や、東京港の成立、埋立地の記録写真などが展示されております。
東京港はかつて江戸湊と呼ばれ、大都市江戸を支える水運の要衝として発展してきました。


・東京港の姿
東京港の姿では、衛星や上空から見た東京港の特徴や魅力を写真や映像で展示されております。
大戦開始の昭和16年には、外国貿易港として開港しました。
・国際貿易港東京港
国際貿易港東京には、国際コンテナ物流模型と新大井コンテナ埠頭(ふとう)模型や、国際的な物流基地としての役割とともにこれからの東京港の長期構想などの説明が展示されています。
首都圏4千万の人々の生産と消費を支える海の玄関として、コンテナ輸送革新に取り組みわが国を代表する国際貿易港として発展を続けています。
・東京港の都市づくり
東京港の都市づくりでは、東京港の都市施設や臨海副都心の魅力についてを、地図模型などのより展示してあります。
東京港は古く江戸期から海面を埋立て市街地を形成してきました。いま、東京港埋立地の中心部で「臨海副都心」の開発が進行し、お台場地区を中心に賑わいあるまちが形成されつつあります。
・臨海副都心開発計画
臨海副都心開発計画では、臨海副都心の全貌の大型模型により、開発計画の解説がしめされております。

 写真説明:開館10周年記念「ボトルシップ特別展示」、平成18年12月20日(水)から平成19年5月31日(木)まで展示。5人の講師のみなさんが心をこめて造った自慢のボトルシップ約50作品。

東京港
東京港の埠頭(埠頭の位置)には、「江戸湊」と呼ばれていた昔から、人々の生活に必要な品物が国内各地から運ばれて、コンテナ埠頭、内貿埠頭、客船ターミナル、その他の埠頭などが東京湾の各地に点在しております。
・コンテナ埠頭
東京港のコンテナ埠頭は、東京みなと館の足元に見える「青海コンテナ埠頭」が、大型コンテナターミナルで4バースがフル稼動中の埠頭を初めとして、わが国を代表する「大井コンテナ埠頭」は全長2300mの直線岸壁で70000トン級の超大型コンテナ船7隻が同時に接岸できます。
「品川コンテナ埠頭」は、1967年(昭和42年)にオープンした日本で最初のコンテナふ頭で、東京都が直接管理運営する公共コンテナふ頭です。
・内貿埠頭
内貿埠頭は、首都圏最大の国内海上輸送の拠点として、北は北海道、南は四国、九州、沖縄の主要港と定期航路で結ばれ、私たちの消費・生産活動に必要な食料品や紙類、鉄鋼、自動車などが入出貨されています。
「日の出埠頭」は、1925年(大正14年)に完成した東京港で最も古い埠頭で、業務、商業施設等の立地を進めるとともに、貨客船ふ頭としての整備を行う予定です。「芝浦埠頭」都心に近い在来船主体の内貿雑貨ふ頭です。「品川内貿埠頭」は、北海道と東京港を結ぶ定期航路の基地で、ローロー船が接岸し、新聞巻取紙、自動車、諸雑貨を取り扱っています。
その他の内貿埠頭には、「フレイリー埠頭」、「辰巳埠頭」、「10・15号地埠頭」などがあります。
・晴海客船ターミナル
東京港は客船の発着基地として優れた立地条件を有しており、晴海ふ頭において、首都東京の海の玄関にふさわしい平成3年5月にオープンした「晴海客船ターミナル」では、数々の豪華客船を迎えており、「竹芝客船ターミナル」では夏に人気の東京湾クルーズ船なども出港しております。

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イベント(15) あれから62年「東京大空襲を語り継ぐ集い」

2007年03月19日 | イベント
kan-haru blog 2007

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62年前、本所・深川で一夜にして十万人が犠牲となったとされる東京大空襲の戦災に遭ったのは3月10日で、毎年この頃に台東区、墨田区、江東区などの各地では戦災の法要が営まれ、東京空襲に関するイベントの資料展や戦争を語り継ぐ催しなどが開催されます。
墨田区のすみだ郷土文化資料館では、空襲体験を自ら描いた企画展、「東京空襲を描く人々‐空襲体験者の記憶と表現‐」(「小さな旅(10) すみだ郷土文化資料館と墨田川江戸流しびな」参照)が4月15日まで開催しております。

東京大空襲資料展
今年の東京大空襲62年の3月10日は土曜日にあたりましたので、台東区の浅草公会堂での「東京大空襲資料展」(東京大空襲犠牲者追悼・記念資料展実行委員会主催)と、江東区の亀戸のカメリアホールでの「東京大空襲を語り継ぐ集い」(東京大空襲・戦災資料センター実行委員会主催)に行ってきました。この日は訪問者の約束があり、大森町を出たのは11時30分頃となり、浅草公会堂に着いたのは12時半を廻っておりましたので、「東京大空襲資料展」は30分足らずの見物でした。

   会場の浅草公会堂                  浅草公会堂ギャラリー

東京大空襲資料展の初めは、台東区が東京空襲被災41周年にあたる1986年(昭和61年)に東京大空襲犠牲者追悼碑を建立し、その翌々年の1988年(昭和63年)の3月10、11日に第一回(被災四十三周年)資料展[第一回東京大空襲資料展]が浅草公会堂ギャラリーで公開されたとあります。第一回資料展では、台東区三筋町の焼け残った電柱、大空襲惨状の写真、戦時中の国民生活を示す物品や資料などを展示し、1120名が入場したようです。

今年の「東京大空襲資料展」は、3月8日から11日まで開催され、第一回資料展から19年を経過し被災62周年になり、資料展の副題が「ふたたび惨禍を繰り返さないために」とありますが、戦争を知らない世代が増えております。このブログでも、悲惨な戦争を語り継ぐ目的で「大森町界隈あれこれ 空襲編若山武義氏手記」の連載29回完結の記事を掲載しており、現在は後編の「戦後編若山武義氏手記」の連載を解説の記事を付けて掲載中です。口コミで皆様へお伝え頂き、二度と愚かな戦争を繰り返さないように、平和の持続を望んでおります。

 被災体験者の空襲体験談                大空襲惨状の写真

空襲資料展を見たのは今回が始めてですが、資料展の会場では私と同年代の被災体験者の方が、空襲の悲惨な惨状を語り継いておられました。展示品には、大空襲惨状の写真、体験画、被害の統計データや刊行物資料、当時の国民家庭の居間を模したセットや銃後を守る国民の国防着姿の人体模型など、色々と沢山の展示品が出ておりました。

   混雑の資料展会場                東京大空襲当時の再現セット

東京大空襲を語り継ぐ集い
午後1時30分の開始の東京大空襲を語り継ぐ集いには約600人の参加があり、浅草公会堂からタクシーで着いた時には開場しており、亀戸カメリアプラザ3階のカメリアホールへの入場は満員となっておりました。ホールへ入場できない人は、2階の椅子を並べた第2会場で、投影スクリンと音声中継による画像表示で見る形式での集いの参加となり、ここもすぐ満員となりました。しかし、この会場の音声中継の整備が悪く、最初は画像のみで音声が中継されず、ハープ演奏番組の途中から音が伝わり始めましたが、すぐ音声が途絶え「空襲体験を語る 二瓶治代さん」のお話の殆どが聞くことができませんでした。
これに対して、主催者側の不備の説明が全く無く、参加費を払っているのですから、一言のお詫びがあって然りと思います。

会場のカメリアプラザ  混雑する集いの受付   70代・80代の参加者で満員の第2会場

このため舞台での生の出演の模様を撮影できないため、とりあえずスクリンの映写画面を撮影した写真の掲載であり、大変不鮮明ですが会場の雰囲気を見て下さい。
集いの第1部では、先ず八木ご夫妻の鎮魂のハープ演奏があり、続いて「残虐非道な戦争体験は子どもたちに絶対にさせたくない」と訴えた、空襲当時に八歳だった二瓶治代さんが、自身の体験の報告でしたが、音声が通じず残念ながら東京大空襲の語りがほとんど聞けませんでした。

スクリンの映写で見る第2会場   鎮魂のハープ演奏    空襲被災を語る戦争体験者 
 
次に、都立葛飾野高校と芝商業高校の生徒らが、被害者の体験談を元に自分たちでつくった紙芝居があり、修学旅行で徳島県の北島中学生が戦災資料センターを訪れて学んで作成したビデオレターと、江東区第五小学3年生の「社会」で学んだ戦争についての感想が述べられました。

高校生の戦災紙芝居 小学生が学んだ戦争報告 早乙女勝元さん挨拶 井上ひさしさん講演

第2部では、東京大空襲・戦災資料センター館長の早乙女勝元さんの挨拶と、作家の井上ひさしさんが講演しました。講演のなかで、空襲を指揮した米軍のカーチス・ルメイ司令官に日本が戦後、勲章を与えた事について「なんて馬鹿げたこと」と云い、「戦争で死ぬのは私たちのような普通の人。偉い人は死なない。あらゆる戦争に大義や正義はありません」と語りました。

・東京大空襲訴訟
62年前、約10万人の命が奪われた東京大空襲の被災者や遺族112人が、国に総額12億3200万円の損害賠償と謝罪を求める集団訴訟を3月9日、東京地裁に空襲被害を受けた民間人として初の集団訴訟を起こしました。
東京大空襲訴訟に触れている「写真で伝える東京大空襲の傷あと・生き証人」鈴木賢士著 高文研社2007年3月1日発行 1700円を、同世代の著者と同じように戦争体験者としての思い入れから、浅草公会堂で購入してきました。

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イベント(14) 外国人邦楽演奏 インターナショナル邦楽の集い その2

2007年03月11日 | イベント
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第一部の演奏が済み、10分の休憩をはさんで第二部の開演です。
・第二部
三谷(尺八)
三谷は中京所伝の曲で、ブルース ヒューバナーさんの独奏です。奏者のブルース さんは、1983年に来日し、外国人として初めて東京芸術大学邦楽課修士課程尺八専攻を修了し、琴古流尺八演奏会では好評をはくし、現在日本の学校で音楽講師を勤められております。

            三谷                         砧三章

砧三章(箏曲合奏)
砧三章は、沢井忠夫の作曲で、第一章と第三章はリズムの絡みと流れを軽快に表現し、二章では謡曲「砧」をテーマに、秋の終りの寒々とした季節感、三連音による虫の声等などドラマチックに表現する演奏曲です。奏者のカーテイス パターソンさんは、1986年に来日し、外国人として初めてNHK邦楽技能者育成会を卒業、沢井忠夫に師事。現在、邦楽教育・指導で幅の広い世界を目指しています。

橋弁慶(仕舞)橋弁慶は、「五条橋に少年が現れて不思議な早業で人を斬り回る」ことを聞いた弁慶は、少年を討ち取ってやろうと夜更けを待つ。牛若が今宵を最後と五条橋で人が通るのを待つと、鎧に身を固めた弁慶が大長刀を担いで現れる。すれ違いざまに弁慶の長刀の柄元を蹴上げて戦いを挑む。激闘の末に弁慶は牛若の秘術に降参した弁慶は、主従の契りを結ぶという演題を、ご子息と息の合った仕舞を熱演されました。


元禄花見踊&娘七種(長唄)
プロの長唄の囃子方のリードに頼りながら、代田インターナショナル長唄会の生徒さん達の半年間の稽古の成果の発表です。演技は、元禄の頃上野の山での花見を題材にした、1878年の八世杵屋正治郎作曲の元禄花見踊りと、春の七種を打つ曽我狂言を題材にした、1767年の二世杵屋六三郎作曲の娘七種からの抜粋で、唄9人(うち外国人3人)、三味線10人(外国人6人)、笛2人(外国人1人)、小鼓、大鼓、太鼓が各1人の大人数の演奏です。外国人にとっては、長唄を謡うのは大変難しいのではと思いました。長唄では、豊嶋さんは三味線での登場でした。

          (拡大写真)

かごめ、京の大仏、通りゃんせ、越後獅子(篠笛合奏)
ポピュラーな曲での篠笛合奏には、福原寛先生指導による演奏で、笛10人(うち外国人7人)、唄、三味線、太鼓が各2人と、大太鼓、当り鉦が各1人の大合奏です。豊嶋さんは笛と太鼓の2種の楽器での演奏をこなしました。


山月抄(笛独奏)
山月抄は、中島敦の短編小説「山月記」から想を得て作曲したものを、福原寛先生の前半を篠笛一管で、後半を能管一管で自作自演の素晴らしい演奏で聞かせて頂きました。福原寛先生は、東京芸術大学音楽学部邦楽科卒業で、人間国宝福原流宗家四世寶山左衛門に師事し、現在国立音楽大学講師を勤められております。
篠笛(しのぶえ)は、古来より伝わる横笛で、大和時代にはすでに使われていたようで、しの竹から作られます。現在では歌舞伎、長唄、浄瑠璃などの伝統芸能の伴奏としても広く活躍しており、最もポピュラーな横笛(竹笛)です。能管(のうかん)は、能の囃子で使われる横笛で、能笛(のうてき)とも云います。能の成立した室町時代に作られました。歌舞伎の伴奏楽器として三味線音楽に取り入れられ、現在は幅広く用いられております。


鶴亀(長唄)
鶴亀は、1851年十世杵屋六三郎の作曲で、観世流の謡曲「鶴亀」の歌詞を殆どそのままとってあり、わずか千代のためしの一節に相違がある曲で、婚礼などのご祝儀物として良く演じられます。第二部最後の演題で、唄6人、三味線7人(うち外国人3人)、笛、小鼓、大鼓、太鼓、箏が各1人と林千恵先生の林流家元の門下3人の立方が加わってのお目出度い演出です。邦楽は、楽器を演奏する囃方と踊り手の演技をする人を立方(たちかた)と云います。林千恵先生は、17歳で林流家元となり、東京芸術大学音楽学部邦楽科卒業で、現在「林千枝リサイタル」で古典と創作の両面で注目を集めております。豊嶋さんは三味線で出演しました。

       (拡大写真)             (拡大写真)

フィナレー
第二部の演奏が終わり、出演者全員が舞台に登場して、代田インターナショナル長唄会の西村真琴先生のご挨拶があり、先生方が演奏する笛、三味線、小鼓、太鼓などの囃方と林千恵先生の立方によるアンコールが演出され演奏会の幕が閉じました。


会館を後にして、鑑賞を共にした異業種交流会のメンバーで、邦楽の出演者の熱演と、大入り満員の会場の熱気により乾いた喉を潤すため、表参道でビールを傾け解散しました。

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イベント(14) 外国人邦楽演奏 インターナショナル邦楽の集い その1

2007年03月09日 | イベント
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3月4日に、南青山の銕仙会(てっせんかい)能楽研修所(東京都港区南青山4-21-29)で第6回インターナショナル邦楽の集いが開催され、今年の演奏は素晴らしく3時間たっぷりと鑑賞をさせて頂きました。

インターナショナル邦楽の集いは、代田インターナショナル長唄会の主催によるもので、日本に留学中の外国人が邦楽に魅せられてボランティアのプロの先生の指導を受け練習を重ね、三味線、笛、小鼓、唄、仕舞など一人が複数の器楽演奏や唄・踊りを発表するもので、日本人顔負けの古典芸を理解し身に付け、日本人の仲間と一緒に共演して競います。

インターナショナル邦楽の集いには、前回開催の本願寺のプディストホール、東中野の梅若能楽学院に次いで、今回で三回目の鑑賞になります。
この集いとの繋がりは、異業種交流会のメンバーの豊嶋さんが、邦楽が堪能で以前から代田インターナショナル長唄会の稽古に参加して、インターナショナル邦楽の集いで発表を行っており、演奏を紹介して頂いたのが縁で、毎回楽しく鑑賞させて頂き、異業種交流会のメンバーも6人が見にきました。

会場は、午後二時半の開場前から入場の行列が続き、演奏時には満員の盛況で、この邦楽の集いが指導のプロの先生方の共演と、外国人と競演の日本人出演者の熱心な演奏が人気を呼んでいる様です。今年の演奏は、昨年と比べ外国人の演技が充実していることと、プロの先生の独演が行われ、演奏は大変素晴らしいものでした。
なお、当日配られたプログラムパンフレット入場券のデザインは、演奏者の豊嶋さんがデザインの職を活かしてお手の物で作られた様で、素晴らしい出来で演奏会に花を添えております。

演奏会
演奏会のプログラムは、第一部と第二部の2部構成での演奏です。演奏会の司会は、出演者の外国人と日本人が2、3人で組んで、演奏曲の紹介を英語と日本語で行います。インターナショナルらしく、紹介の言語は母国語だけでなく、外国人も日本語で行います。これは、当然日本古典の芸能を行うのですから、日本語が判らなければ芸が身に付きません。

・第一部
末広狩(長唄)
1854年の狂言から得た古典の曲で、唄、三味線、笛、小鼓、大鼓、太鼓の総勢30名(外国人16名)の出演で、中々の壮観でした。三味線には代田インターナショナル長唄会の西村真琴先生が出演し、豊嶋さんは小鼓での出演でした。

           (拡大写真)

箏、尺八合奏
箏がカーテイス パターソンさん、尺八がブルース ヒューバナーさんで共に達人のプロの先生で、前回の演奏会で感銘を受けました。日本人で敵う者はいない程の領域の演奏家で、今回両先生が演奏のCDを購入して、サインをして貰いました。
合奏曲は、奏者のカーテイス パターソンさん作曲のゴーイングホーム他でした。


屋島、羽衣、江口、安宅(仕舞)
仕舞とは、能の曲の見所の部分を5~10分ほどにして、能面や能装束を着けずに紋付袴を着て、囃子もなしで、地謡だけをバックに舞う能の演奏形態です。出演は、仕舞が能楽師ぬえ(八田達弥先生)社中の4人と地謡3人です。

  左から屋島、羽衣、江口、安宅

なお、仕舞4演題の前に、プログラムに無い番外として、先生の可愛いご子息による仕舞(演題を聞き漏らしました)が演じられました。


小督、松風、班女(仕舞)
外国人出演の仕舞で、八田達弥先生が指導して小督がJenniferさん(香港)、松風がAnnekeさん(ドイツ)、班女がClaytonさん(ニュージーランド)で、地謡が先生ほか2名の出演です。

  左から小督、松風、班女

小鍛冶(長唄)
第一部の最後長唄の小鍛冶は、1832年初演された五変化の一曲で、唄、三味線、笛、小鼓、大鼓、太鼓の総勢25名(外国人10名)の出演で、豊嶋さんは小鼓での出演でした。

           (拡大写真)

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イベント(13) 展覧会 第56回東京都公立学校美術展覧会

2007年02月21日 | イベント
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東京都公立学校美術展覧会
第56回東京都公立学校美術展覧会が、2月14日から18日まで上野の東京都美術館で、平成18年度学校文化行事として、東京都教育委員会の主催で開催されました。
最終日の18日の日曜日は、午後2時までの開催でしたが他の日は都合がわるく午前から出かけて美術展覧会を鑑賞してきました。

当日は、たまたま「東京マラソン2007」の開催日と重なり、あいにくと天候は朝から雨模様で気温も低く、JR上野駅から美術館までのわずかな距離ですが体が冷え込む寒さでした。上野駅の公園口で降りた人は、天気がよい日曜日ですとほとんどが動物園に向かうところですが雨のため閑散とし、大部分の人が東京都美術館へと向かいました。

東京都美術館
美術館では、オルセー美術館展が開催されており、「19世紀 芸術家たちの楽園」というテーマでモネ、ルノワール、ゴッホなどの油絵、水彩、素描、写真、金属工芸、ガラスなどのフランス美術を紹介する展示の鑑賞に来た人が殆どですが、東京都公立学校美術展覧会の地下第1と第2展示室へも、展示品に関係する沢山の父兄や家族、友達などが連れ添って見に来ており、日曜の最終日とも重なり大変な混雑でした。

東京美術館については、昨年孫が書道に親しみを感じ出展した8月13日の第61回日本書道美術院「教育部展」が開催された時の鑑賞記(イベント(4) 東京都美術館 第61回日本書道美術院「教育部展」)に記載してありますので、ご参照下さい。

美術展覧会選出作品
美術展覧会出展作品は、東京都の公立の小学校、中学校、高等学校、盲・ろう・養護学校に通学する児童・生徒の図画工作、工芸と家庭、技術・家庭に書写(習字) などの全作品を、まず学校単位で選定し、それを各区単位の所属校に集めて作品を選び、美術展覧会作品として展示されたものです。
美術展覧会作品の選出を千代田区の例で見ると、先ず学校単位で主催のてんらん会(「イベント(11) 展覧会 お茶の水小学校展覧会(その1、2)」参照)が開催され、そこで選らばれた優れた作品を一同に会した区主催の選出作品展(「イベント(12) 作品展 千代田の子どもたち展(その1、2)」参照)が開催され、そこで選出された作品が美術展覧会に千代田区出展作品として展示されるのです。

  小学書写 (写真拡大)       (写真拡大)         (写真拡大)

このようにして選ばれた作品は、どれを見ても素晴らしいものであり、全ての展示品は展覧会のテーマにあるように、「素晴らしき 子供の想像の世界」をのびのびと表現されておりました。

      中学書写 (写真拡大)          (写真拡大)

東京都の公立学校は、平成18年度の資料で見ますと、学校と生徒数が小学校1,328 校の1 分校で児童数555,245 人、中学校639 校の1 分校で生徒数217,332 人、高等学校(全日制・定時制)、205 校2 分校で132,769 人、盲・ろう・養護学校59 校1分校で在学者数8,701 人と子供が少なく学校数が減少しているとはいえ、結構なマンモス振りです。

   小学図工 (写真拡大)      (写真拡大)           (写真拡大)

美術展覧会選出作品との縁
このような多数の学校の児童・生徒の選出作品との繋がりは、思ったより近くにあり、大田区の選出作品の中に、自宅からわずか200m程度の距離にお住まいの小学校の女子児童の書写が選ばれ、東京都美術展覧会に展示されておりました。

   小学図画 (写真拡大)      (写真拡大)           (写真拡大)

この小学校は、学校統合により二校が一緒になった学校であります。今から30年ほど前の時代ですが、統合前の大森第二小学校時代に小学3、4年生の頃の図画が選ばれ東京都美術展覧会に展示されたという、何かの縁があります。

小学家庭 (写真拡大)      (写真拡大)            (写真拡大)


中学図画(写真拡大)      中学技術・家庭(写真拡大) 盲・ろう・養護学校(写真拡大)

美術展覧会の展示風景
美術展覧会の展示は、各区から非常に多くの選出作品が処狭しと展示してあり、どの作品も優劣が付けがたい作品であり、会場も混雑もしておりとても短時間でじっくりと鑑賞が出来る状態ではないので、一回りした展覧会の雰囲気を示してみました。

     特別展示(写真拡大)              (写真拡大)

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イベント(12) 作品展 千代田の子どもたち展(その2)

2007年02月07日 | イベント
kan-haru blog 2007

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戦時中の小学校図工・習字授業の想い出
戦時中であった65年前の小学校時代の図画・工作の授業の記憶は、あまり好きな科目でなかったためハッキリとは覚えておりません。戦争初期の多少余裕のあった小学低学年時代には、習字の授業時間は結構多くあったような気がします。いつも苦手意識で墨磨りが上手くなく薄い文字を書いていたことが想いだされます。孫が書写で千代田の子ども展に選ばれたのとは大違いです。

当時の図画の画材は、小学1、2年ではクレヨンのみで、小学3年から水彩絵の具により兵隊さんへの慰問の絵を描いてたのです。今日のような創造性とか美的感覚とは全く縁がない時代でした。工作も土粘土のみのお粗末の教材で、とても美術の学習とは云えませんでした。小学の高学年になると、戦時体制が負け戦さに向かい、留守家族の農家への勤労奉仕などにかり出され、図工や習字の授業が行われませんでした。

最近の小学校の図工・書写を見る
孫の親が小学生時代には、仕事の都合で図工などの作品にじっくりと接触する機会はありませんでしたが、昨年11月にお茶の水小学校・幼稚園の展覧会(「イベント(11) 展覧会 お茶の水小学校展覧会(その1、2)」参照)の鑑賞により、最近の小学校の図工、書写や家庭などの作品に接し、考えられたテーマを自由な発想でのびのびと制作した作品を見て大変に感動しました。

千代田の子どもたち展は、千代田区の小中学から選ばれた作品の展示会ですので、どの展示物を見ても素晴らしい創作品です。学校ごとに、個性的なテーマの作品が展示されてます。
前回に続き、小中学と幼稚園の作品を鑑賞します。
・小学6年の作品
小学6年展示コーナーの中の工作には、人の動きや表情をとられて表現してみることに挑戦し、再現したお茶の水小学校の見事に熱中する人から選ばれた感動の作品が出展してありました。

・・・・小学6年展示コーナー・・・・・お茶の水小学の工作作品・・お茶の水小学の図画作品

・小学4,5年の作品
4年生は、丁度10才で大人までには道半ばです。それをテーマにしたお茶の水小学生の選ばれた図画を示しました。

・・・・小学5年展示コーナー・・・・・小学4年展示コーナー・・・・・お茶の水小4年の図画作品

・小学3年の作品
小学3年の作品には、お茶の水小からは個性的なテーマで制作した深海の王様を題材にした図画と創造的に作ってみた工作が展示してありました。

・・・・・・・小学3年展示コーナー・・・・・・お茶の水小展示の図工作品

・小学2年の作品
小学2年の作品には、お茶の水小からは王者に相応しいベルトとメダルをデザインした作品と珍しい動物を絵にした「新動物図鑑」を展示してありました。

・・・・・小学2年展示コーナー・・・・・・お茶の水小学の工作作品・・・お茶の水小学の図画作品

・小学1年の作品
小学1年の作品には、お茶の水小からは図画とお茶の水動物園を模そうした作品が展示してありました。

・・・・・・小学1年展示コーナー・・・・・・お茶の水小展示の図工作品

・幼稚園の作品
共同テーマに、園児個人がテーマに沿って作成した工作を並べて、全体的に纏めた作品の展示でした。

・・・いずみこども園・・・・お茶の水幼稚園・・・・・・昌平幼稚園・・・・・・千代田幼稚園

・小学1、2年生の書写
小学1、2年生の書写は、手本を鉛筆書きで書写した作品です。書写内容の本文を、2年生の作品から抜粋したものを示します。


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イベント(12) 作品展 千代田の子どもたち展(その1)

2007年02月05日 | イベント
kan-haru blog 2007

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平成18年度 千代田区立幼・こども園・小・中・中等教育学校作品展「千代田の子どもたち展」(連合作品展)が、千代田区立昌平小学校の多目的ホールで、平成19年1月31日から2月2日までの3日間にわたり開催されました。
千代田区立お茶の水小学校(「イベント(11) 展覧会 お茶の水小学校展覧会(その1)」、「イベント(6) 運動会 お茶の水小学校運動会」、「風景・風物詩(A1) 東京百景 山の上ホテルとその周辺(その3)」参照」)の2年生の孫から、作品展に選ばれたので見に来てとの誘いに応じ、2月1日の午後に作品展を鑑賞してきました。

連合作品展
連合作品展は、千代田区教育委員会、千代田区教育会の共済で、千代田区内の幼稚園、こども園、小学校、中学校、中等教育学校から推薦された作品が展示され、子どもたちの表現の発表と鑑賞の場としております。平成18年度の出品校・園は、お茶の水、千代田、昌平の各幼稚園・小学校と、いずみこども園・泉小学校ならびに、麹町、神田一橋の中学校と、九段中等教育学校が出展しております。
出展作品は、幼・こども園が造形作品などで、小学校が図画工作・家庭・書写を、中・中等教育学校が美術・技術家庭・書写を展示しております。


千代田区においては、いずみこども園が、乳幼児育成施設として、「幼稚園」と「保育園」双方の要素を取り入れながら、両園の枠を越えた新しい幼保一元化園として創設されました。
中等教育学校は、東京都から都立九段高校の移譲を受け、区立の中高一貫校の九段中等教育学校が設立されました。

作品展会場 昌平小学校
連合作品展の会場は、隔年で麹町地区と神田地区の小学校で開催しており、今年は秋葉原の電気街の真っ只中で最近ではITの町となった昌平小学校の多目的ホールでの開催です。
昌平小学校(千代田区外神田3-4-7)は、昌平童夢館の中にあり、小学校、幼稚園、児童館、まちかど図書館からなっております。
昌平童夢館は、豪華な建物施設で1996年(平成8年)に落成し、屋上は開閉屋根付きの校庭で天候に係わらず何時でも使用でき、地下1、2階には温水プールの複合施設となっております。


昌平小学校は、1993年(平成5年)に旧淡路小学校と旧芳林小学校を統合して生まれた学校で、新校舎を旧芳林小学校跡に建設のため、旧淡路小学校の校舎を使用してスタートした後、1996年から昌平童夢館内の新校舎で授業が開始されました。
旧淡路小学校の沿革は、1876年(明治8年)に神田小川町に小川小学校として生まれ、1879年(明治11年)に神田淡路町に移転し小川女子小学校と改称して、錦華(現お茶の水)小学校の男女児を入れ替えました。1912年(明治44年)に東京市淡路尋常小学校と改称して男児も受け入れ、淡路国民学校を経て、淡路小学校と改称されました。
旧芳林小学校の沿革は、1857年(安政4年)に清水家侍臣金子政成が、現JR秋葉原駅西口付近に家塾を開き、芳林堂と命名し芳林小の前身となりました。1875年(明治7年)に芳林小学校に改称、1887年に私立芳林尋常高等小学校に改称し、1895年に東京市代用尋常小学校となる。
1911年(明治43年) に隣接の練成小学校から一部児童を収容し、東京市芳林尋常小学校として開校する。東京府東京市芳林国民学校を経て、千代田区立芳林小学校と改称されました。

千代田の子どもたち展
中学および中等教育学校の美術作品出展
美術出展コーナーを見ると、学校により特色ある作品が出されており、さすがに中学生の選ばれたものだけに、何れの作品も見栄えがします。


・中学校の技術家庭と小学校の家庭出展作品
中学校の技術家庭の作品を見ると、学校による取り組みの違いが出ており、個々の作品にも個性が見られます。小学校の家庭作品を見ると、柄のデザインは思い思いの変化があり、明るくまとまっております。

中学校の技術家庭作品


小学校の家庭作品

・小中学校の書写の出展作品
中学校の書写作品ともなると、作品の文字は美しく書き表しており、小学校の書写作品はのびのびと書かれているのがわかります。

・・・・・・・・・・中学校の書写作品・・・・・・・・・・・・・小学校の書写作品



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イベント(11) 展覧会 お茶の水小学校展覧会(その2)

2006年12月03日 | イベント
続 お茶の水小学校展覧会の作品を見る
・2年生作品
図画 新動物図鑑
2年生の図画作品のテーマは、「新動物図鑑」で、この世にいそうでいない珍しい動物を絵にして展示してありました。2年生ともなると、創造性に興味や関心を持ち始める年代で、素晴らしい発想も生まれてきます。作品には、実在の動物の部分を持ってきたり、架空の動物を描いたりで、全く個性のある楽しい作品が並んでおりました。
工作 チャンピオンベルトとメダル
工作の作品テーマは、「チャンピオンベルトとメダル」で、色々あるチャンピオンの中から自分が選んだものを考えて、デザインして王者に相応しいベルトとメダルを作成したと説明にありました。
将来大会で優勝したときに、腰に巻いたり、首からぶら下げたりする希望を持って作成した、自分用の素晴らしいデザインのベルトとメダルでした。


・3年生作品
図画 深海の王様
工作 ユニバーサル・コレクション
架空の宇宙人が地球に舞い降りてきて、地球人との交流を深めるために持参してきたお土産やプレゼントは、何に使うのかよく分かりません。地球より文化が進んでいるので、多分便利なものなのでしょう。3年生のテーマは、宇宙人の持ってきた、架空の宇宙人グッズを、全く創造・工夫をして作って見ようと、チャレンジして生み出された作品が展示されておりました。3年生ともなると、豊かで柔軟な思考がそろそろ出てきておりました。
共同作品 魚の大群

・4年生作品
図画 展示
工作 ただ今通過点1/2
4年生は丁度10才です。20才まであと半分となり、大人になる丁度折り返しとなる地点を通過したところです。4年生の工作のテーマは、1/2の通過点に到達した時のことを記念した物を残そうということで手がけた、焼き物の作品です。
成人してからふり返り、10才の時の想い出の記念品として残る、思い思いの作品が展示されておりました。
工作 寄せ木細工
寄木細工は、現在は箱根・小田原地方の伝統工芸として知られていますが、誕生は駿河(静岡県中部・東部)の地です。江戸後期に、その技法が箱根に伝わり発展しました。その技法を応用した寄木細工風の作品が展示されておりました。
共同作品 どんどん続くよ
共同作品 花ワールド

・5年生作品
図工 化石の詩
太古の昔の物語が見える、そんな化石をイメージした蝋をレリーフ材にして表現して作成したという作品が展示されておりました。
工作 ティーモンスター
最初に偶然できた形からイメージしたモンスターを作り、それを元に自由な形に展開し、さらに肉付けしながら形を作って、不思議な生物のオブジェが展示してました。
家庭 マイクッション
共同作品 画板オブジェ

・6年生作品
図画 朝焼け・夕焼け
工作 熱中する人(展示1展示2展示3)
働く人、運動する人、楽器を演奏する人などの瞬間の動きをとらえ、形や特徴をとらえて表すのは難しいものです。
6年生のテーマは、人の動きや表情をとられて表現してみることに挑戦し、見事に熱中する人を再現した作品が仕上がっておりました。さすが、最高学年の作品です。われわれ、不器用な大人には真似られない創作品が展示されており、感心しました。


工作 名作劇場
物語、映画、テレビなど印象的な場面、感動した場面を立体で表現した作品の展示で、背景から大道具、小道具にいたるまで示されておりました。
家庭 ドリームバッグ 
共同作品 色糸のアート

展覧会を見て
お茶の水小学校の展覧会で感じたことは、作品のテーマが想像性・創作性を中心に据えて製作して行く姿勢をとっており、子供たちに創生意欲を沸き起こすことに向けて纏めていることに感心しました。どの作品をみても、のびのびとテーマに対して立ち向かって制作しているのが感じられ、われわれの小学校生時代とは隔日の感を抱きながら、展示品を楽しく観賞しました。

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イベント(11) 展覧会 お茶の水小学校展覧会(その1)

2006年11月29日 | イベント
11月17日と18日は、千代田区立お茶の水小学校・幼稚園の展覧会が開かれ、18日の土曜日は学校公開日として父兄関係者の参観ができました。
同校では、9月24日に第14回運動会が開催され、それに次ぐイベントであり最近の小学校の展覧会はどんな様子なのか興味がありましたので、見させて貰いました。
お茶の水小学校は、夏目漱石が通った元の錦華小学校が近隣の小学校と統合して纏まった学校(「イベント(6) 運動会 お茶の水小学校運動会」、「風景・風物詩(A1) 東京百景 山の上ホテルとその周辺(その3)」参照」)です。

最近の都心公立小学校
展覧会開催の公開ですので、児童の展示作品と午後の授業風景とともに学校の施設も見させて頂きました。授業風景の写真の掲載はできませんが、教室周辺の写真(2年生教室6年生学習成果品)などを見て下さい。
統合のお茶の水小学校では、一学年が二学級なので、教室は比較的に余裕をもって使用(ランチルーム理科室家庭室)しているように感じました。
また、こういう機会でないと見られませんので、屋上にも上がらさせて頂きました(屋上風景1屋上風景2)。

展覧会を覗く
展覧会会場は、講堂と校舎2階ロビーに展示してありました。
展示作品は、学年ごとに幾つかの定められた統一のテーマーで描かれた絵と工作作品が展示されておりました。
全体を見ての印象は、けばけばしく無く明るくて、カラフルに表現された展示品であり、幼稚園児から高学年まで、どれも創造性があり、表現力が豊かで個性を発揮した図画・工作品であると感じました。
われわれの小学生時代とは、時代の差に大きな違いを感じましたが、これは当然のことであり、それぞれの時代の背景を展覧会で見て改めて認識しました。

2階ロビーの展示作品


講堂の展示作品


・幼稚園児作品
ふれあい動物園でいろいろな動物を見たり抱っこした経験や、毎日世話をしているクラスのうさぎとのかかわりを生かして、好きな動物を作りました。
ビニール袋に紙を入れ、セロテープ形を作り、まわりにタオル生地を貼りました。
好きな動物1好きな動物2

・1年生作品
図画
図画の展示風景
工作 お茶の水動物園
1年生は、移動動物園が校庭にやってきた時、さわったりだっこしたりして動物と仲良しになりました。そこで、お茶の水小学校がもし動物園になったら・・・と想像して、みんなで動物を作ってみることにしました。
紙粘土で形を作った後、絵の具やマーカーで色をつけました。動物の周りには、北の丸公園で集めたどんぐりや落ち葉などを使って景色を作りました。他の動物園にはない物も「お茶の水どうぶつえん」には、いるかもしれません。お茶の水動物園

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イベント(10) 晴海フラワーフェスティバル Infiorata 2006

2006年11月20日 | イベント
丁度、5~6年ほど前に晴海トリトンのオフィスビルで開催のセミナーに参加した時に、たまたま晴海フラワーフェスティバルの準備で、大勢の人がバラの花びらと砂を使って絵模様を描いておりました。その時、一度機会をみて完成した作品を観賞して見たいと思っておりましたが、それきりになっておりました。
たまたま、11月4日の新聞に、晴海フラワーフェスティバル Infiorata 2006の記事が載っているのを見て思い出し、快晴の11月5日に見に行きました。
行きは、京浜急行・都営地下鉄を乗り継いで東銀座駅から、都バスの晴海ふ頭行きで会場前の晴海トリトンスクエア前で下車すると、晴海フラワーフェスティバル Infiorata 2006の会場前です。

晴海フラワーフェスティバル Infiorata
インフィオラータ(Infiorata)とはイタリア語で「花の絨毯」のことだそうで、イタリアのジェンツァーノ市で毎年6月に開催されるインフィオラータは、カネーションの花びらや種等を使用して花絵を制作して展示を行い、2000年以上の歴史を持っているそうです。
晴海フラワーフェスティバル インフィオラータは、地元住民を中心として実行委員会を組織して開催し、本場イタリアの芸術性と技術を14万本のバラの花びらで、トリトン流にアレンジしてデザインし製作しているとのことで、2004年にジェンツァーノ市とトリトンとで友好「インフィオラータ・フレンドシップ」を結び、イタリア大使館/イタリア政府観光局/ジェンツァーノ市の後援で開催されました。

インフィオラータ観賞
2006年開催のインフィオラータ「晴海フラワーフェスティバル Infiorata 2006 ~四季のハーモニー~」のテーマをパンフレットでみると、「季節を感じる素晴らしさ」、「四季折々の感動」を表現した「四季のハーモニー」を表現した作品と、晴海フラワーフェスティバル5周年を記念した5年間の代表作品を再現した多彩な14万本のバラの花びらを使用して、イタリア・ジェンツァーノ市のアートディレクター アントワーヌ・チェザローニ氏監修の花の絨毯が出展してありました。
・会場風景
会場の入り口に高所作業車のゴンドラ(バケット)が置いてありましたので、初めはインフィオラータの開催中に何に使うのかと思っておりましたが、希望者を乗せて高所から「桜の散歩道」の花の絨毯を鑑賞するサービスと分かり行列して乗って見ました(高所から観賞の花の絨毯1花の絨毯2)。
高所観賞のゴンドラは、桜の散歩道の入り口と奥のレクサス晴海の2ヶ所にあり、ゴンドラにはヘルメットを被りチエーンを付けた上、2人の付き添いが付くという物々しいもので、手前のゴンドラには4人の観賞者が、奥のものは2人が乗れるものでした(ゴンドラで花の絨毯の高所観賞風景1風景2風景3風景4)。
会場の晴海アイランド トリトンスクエア(地図参照)には、運河沿いの「桜の散歩道」と五つの庭(空中写真参照)があり、花の絨毯は桜の散歩道上に16枚、水のテラスと花のテラスの庭に各1枚とオフィスタワーのグランドロビーに3枚の計21枚の花の作品が展示してありました。
・Infiorata 2006 展示作品
花の絨毯の絵は、近隣の住民を中心に約600人が下絵をもとに、バラの花びらと色のついた砂を使用して敷き詰めて、これを絵に仕上げ ながら、縦7メートル、横5メートルの作品にして行きます。作品は、屋外に展示してありますので、維持も大変で時々補修作業(補修作業1作業2作業3)の手がかかります。
今年の出展作品のテーマの幾つかを掲載しましたので、鑑賞して下さい。
作品12「ジェンツァーノの花祭り(2001年)」


作品3「花火大会と勝鬨橋」
作品4「夏祭り」
作品9「目指せ!2016年東京オリンピック」
作品13「ローマの休日(2002年)」
作品14「芸者(2003年)」
作品16「かぐや姫(2005年)」
作品17「チャレンジバナーコンテスト2006(高学年の部最優秀賞)説明パネル 水のテラス会場


インフィオラータの歴史
「晴海フラワーフェスティバル Infiorata 2006 ~四季のハーモニー~」パンフレットによると、13世紀頃から、イタリア全土でキリストの聖体の休日に行列し、花を道に撒く習慣があり、1625年にサンピエトロ寺院の中で、モザイク風の花のデコレーションをするようになりました。
1782年にツァーノで、花びらでデザインした花のカーペットを制作し、戦後はリビアが中心となり、1983年頃から有名な画家やファッションデザイナー、スタイリスト達が参加するようになり、日本、アメリカ、カナダ、フランス等に紹介するようになったそうです。

2001年から2005年開催のインフィオラータ
これまでの晴海開催のインフィオラータは、2001年にはジェンツァーノ市に出典したアントワーヌ・チェザローニ氏のデザイン画をもとに16枚の花の絨毯を描き、2002年には10万本のバラの花びらで「オセロ」「ピノキオの冒険」「ロミオとジュリエット」「ローマの休日」などイタリアにちなんだオペラや映画の世界をテーマにした14作品を描き、2003には江戸開府400年を記念したイタリア人画家が見た江戸をテーマに「能」「歌舞伎」「絵付師」などを19作品を表現し、2004年には歌手の白井貴子さんをコンセプターとして招き“夢いっぱいの地球”をイメージして制作協力で集まった15人の夢作家の20作品の花絵を描き、2005年には生誕200年を迎えたアンデルセン童話と日本昔話を主題にイメージした20作品が描かれました。

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イベント(9) キリン横浜ビアビレッジ見学

2006年11月07日 | イベント
東京都H11異業種交流会分科会の研究会では、月1回集まりITの勉強会を開いてますが、秋の陽気の良い一日を屋外で過ごそうと、懇親をかねて10月22日の日曜日にキリン横浜ビアビレッジ見学の課外研究会を開きました。

生麦事件碑の前を通りキリン横浜ビアビレッジへ
当日は天気に恵まれ、京浜急行電鉄の生麦駅に11時に5人が集合し、キリン横浜ビアビレッジ(キリンビール株式会社 横浜工場 横浜市鶴見区生麦1-17-1)に向かって(地図参照)第一京浜国道を渡り、さらに進むと旧東海道に出るのでそこを左折して進むと、第一京浜国道と合流する少し手前の左方に「生麦事件碑」(横浜市鶴見区生麦1-17-1)が見えてきます。


生麦事件は、1862年(文久2年)8月21日、薩摩藩主の父・島津久光の行列が生麦村を通行中、馬に乗って行列に紛れ込んだ4人の外国人の1人、英国商人リチャードソンが警護の武士に斬り殺され、賠償問題から薩英戦争にまで発展した事件です。
生麦事件碑は、1883年(明治16年)、鶴見の黒川荘三がリチャードソンの死を悼み、事件の風化を防ぐために私費を投じ建立したものです。
碑の脇の看板には、「石碑が老朽化しています。線香はご遠慮ください」とあり、殺害されたリチャードソンへの焼香が、いまも続いていることを窺わせます。

パブブルワリー「スプリングバレー」
第一京浜国道に面したウエルカムゲートを潜ると、キリン横浜ビアビレッジの構内であり、エントランスプラザで13時30分からのキリンビール 横浜工場の見学手続を済ませ、見学までにたっぷりある時間を最初の楽しみである、併設の明治初期のビール醸造所をイメージして建てられた、赤レンガの建物のパブブルワリー「スプリングバレー」で、季節ごとに製造して、その季節だけでしか飲めない個性豊かなシーズンビールのオリジナルビール9種類と、通年販売の2種類のオリジナルビールを、先ずはそれぞれに味わいました。


定番ビールは、本格派のピルスナービール「スプリングバレー」でドイツの伝統的な製造法を忠実に守り、モルトと水とホップだけで作ったビールと、ほのかに甘くまろやかな濃色ビール「デュンケル」でドイツのミュンヘンの黒ビールそのままのコクのある味わいのビールに、シーズンビールは明治時代に横浜で醸造されたビールで「横浜ビヤザケ」と呼ばれていたもので、文明開花当時の味を再現したものです。
工場の見学時間まで、古いビール醸造設備の展示や、実際に稼動している小型のビール醸造設備をガラス越しに見ながら、作りたてのおいしいビールを味わいたっぷりと堪能しました。


横浜工場見学
横浜工場見学(ブルワリーツアー)は、撮影禁止ですので雰囲気をお伝えします。
ブルワリーツアーは、ビールの歴史を学び、原料に触れ、ビールのできるまでを楽しめる、発見と体験の時間です。
申し込み時間毎の見学者グループの一団を、美人の正・副のガイドさんの案内により進み、原料展示コーナーでは、麦芽を手にとって確かめたり、ホップの香りを実際に嗅いだりしながら、仕込み、発酵・貯蔵、ろ過、パッケージング、出荷までの工程によりビールが出来上がるまでを学びます。
最後に出来立てのビールを、試飲コーナーで試飲して終了です。

旧東海道老舗の蕎麦処吉田家
キリン横浜ビアビレッジでは、ビールに始まりビールで終わり、食事をとってない事に気付き、京浜急行電鉄の生麦から各駅停車で20分ほどの立会川駅で降り、旧東海道の品川宿の近くの立会川蕎麦処吉田家(東京都品川区東大井2-15-13)に寄り、そば焼酎ともりそばで日本通の食によりシメました。
立会川駅を降りると、何と駅前に坂本竜馬の銅像がありました。自宅の大森町駅からは、品川寄りの3駅先ですが、普段は降りる機会が殆ど無いため気が付きませんでした。
立会川周辺の宅地造成地で、1853年のペリー来航を機に土佐藩が建てた浜川砲台の石と見られる20数個の石が発見され、当時、江戸で剣術の修行中だった竜馬も警護にあたったとされるそうで、その関係で高知市から寄贈されたとのことです。

蕎麦処吉田家のそばは、見た目はやや白いのですが、つなぎを一切使わないそば粉十割の手打ちで、さらりとした蕎麦つゆはとてもお美味しいく、一度食べると忘れられない老舗の味です。
吉田家は、東海道品川宿の外れ、鮫洲に1856年(安政3年)に営業していた記録が鮫洲八幡神社の石灯籠の台座に刻まれています。現在の吉田家は大正元年に鮫洲吉田家の分店として隣町である東大井(旧名 北濱川)の地に開店しました(吉田家の歩み)。

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