いつもありがとうございます。toshiです。
今日は、昨日少しだけ書き始めた、3つ目のお話の続きです。
このお話は、ニューモラルNo.184、特集=万分のお返し に掲載されているものです。
発行日が昭和59年ですので、西暦では1984年になります。
実はこのニューモラルNo.184は、今迄にも数回このブログに出てきています。
もう28年も前に発行されたこの薄い小さな小冊子を、なぜ今も大切に持っているのか?ということですが、それだけtoshiにとっては大きな意味を持っているということでしょうか。
まっ、ここではこれ以上は書きませんが・・・。
で、昨日途中で終わった、その続きを書かせていただきますね。
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大切な国際社会への恩返し
(昨日のつづき)
永井氏が、昭和24年の秋、戦後アメリカへの最初の日本人留学生として、オハイオ州立大学で学んだときのことです。
永井氏は、復興前の貧困な日本から来た、貧しい学生でした。この貧乏な学生を、E・ルイスという老教授が気の毒に思い、週末にはよく食事に招いたり、ドライブにさそったり、何かと励ましてくれたのです。
永井氏は、教授の庭の芝を刈ったり、お孫さんの子守などして、なんとか恩に報いようと努力しました。そんなある日、永井氏は教授に言いました。
「私のためにこんなにもしてくださると、とてもお返しすることができません。アメリカにいる間に先生からうけた恩に報いることはできそうにありません」
ルイス教授は答えました。
「私に恩返しをしようと考えなくてもいいのです。日本は今、戦争から抜け出したばかりで、敗戦の苦しみを嘗めています。しっかりと自分の足で立ち上がれる日も遠くないでしょう。そのとき、今の日本よりもっと悲惨な国からの留学生が大勢日本にやってくるでしょう。あなたが私に借りがあると思うなら、私に返すことを考えず、それらの留学生に反してください」
今から30年以上も前に語られたこのことばを、永井氏は忘れることができないと言います。このとき、永井氏にとって、教授個人への恩は、世界に向かって返すべき恩となったのです。国連大学特別顧問として活躍する永井氏にとって、ルイス教授のことばは大きな励みとなっているにちがいありません。
日本が敗戦の混乱の中から、今日の経済的発展をなしとげた裏には、アメリカをはじめとする多くの国々、ルイス教授のような多くの外国人の恩恵があったことでしょう。これからは、私たちが、豊かな国の住民の一人として、国際社会への報恩を考える番になったのではないでしょうか。
公益財団法人モラロジー研究所発行 ニューモラルNo.184より
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この文章、実は、時々、涙が出そうになりながらキーを打ちました。
やはり、 これを読んだ時のことを思い出すんですね。
ここに書かれていることは、アメリカでお世話になったことが書かれていますよね。
toshiもね、ちょうどこの記事を読む前の4年間で、2回ニューヨークに行ってたことがあるんです。1回がひと月半ずつ・・・。
そういう経験があった後でしたので、ここに書かれていること、よ~く分かるんです。toshiも、本当にお世話になりましたから。いろんな方から、ほんとに親切にしていただきましたから。それでいて、何も恩返しできていませんので・・・。
ですから、この記事の言っていることが、ほんとに良く分かるんです。
「恩送り」
ということで、「恩送り」についてのお話はこれでおしまいです。
でも、今日ご紹介させていただきましたニューモラルでのお話は、これを読んだ当時には、こういう「恩送り」という言葉があるなんて、まったく知りませんでしたね。ただ、恩を他の人に返す、としか考えてなかったですから・・・。
よく言われる恩返しについて、改めていろいろ考えさせられましたね。
一昨日の船井メディアさんのメルマガのお陰です。
ありがとうございま~す。
写真は、最初にニューヨークへ行った1980年に写したものです。
ニューヨーク市民の憩いの場と言われていた、セントラルパークでのスナップです。
街のあちこちで、こんな楽しい光景がいっぱい見られ、仕事が休みの日は、とっても楽しめましたね。
こんなの見ちゃったから、ケアリングクラウン等の赤い鼻が好きになっちゃったんですかねぇ~。(笑)
さあ、いよいよ今年も残りあと半月。
なんか、気分的にも余裕がなくなる時期ですね。
こんな時こそ、ゆっくり深呼吸でもして、心も体も落ち着いて過ごしたいと思います。
今日もいいことがいっぱい起きますよ~~~!
いつもお読みいただき、ありがとうございまぁ~す!(toshi)