雪だるま倶楽部

日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています

夜花輝以光

2008年08月18日 | 写真
再び花火の写真を割り込ませます
花火の三回目です





日本における花火の歴史はそれほど古いものではない
戦国時代に鉄砲が日本へ伝来し
それに伴い、火薬が伝来した事に始まる

     

尤も
伝来当時から昭和初期に至るまで
火薬とは呼ばず焔硝と呼ばれていた

当時の火薬は黒色火薬
原料の硝石は湿潤気候の日本には無く
硝石を輸入
火薬を製造していた

      

国内で自給の火薬はというと

      

        

これが少し汚い話で
汲み取り便所から取り出していた

糞尿に含まれるアンモニアに
亜硝酸細菌と硝酸細菌が作用
硝酸カリウムが蓄積
これを原料とすることで硝石を生産

厠から火薬
洒落の様な話

      

さて
本題を花火に戻して

       

当初は軍事目的として使用されていた火薬
江戸時代に入り軍事目的の利用が無くなり
花火を専門に扱う火薬屋が登場することになる

江戸を代表する火薬屋といえば
「鍵屋」と「玉屋」

      

鍵屋弥兵衛は奈良県吉野郡の出身
江戸に出てきた弥兵衛は玩具花火を売り出す
両国横山町に店を構え
「鍵屋」を創設する

一方の「玉屋」はというと
鍵屋の手代であった清吉が1810年に暖簾分けをしたもの

       

花火の時に「玉屋」と掛け声を上げるのは
この両老舗の屋号から

       

今日
玉屋と掛け声を上げる事は知っていても
あまり鍵屋とは言わない

何故に??

というと
どうも、両国で行われていた花火大会で
川上側で玉屋
川下側で鍵屋が花火を上げていたが
玉屋の花火の方が人気があり
「橋の上、玉や玉やの声ばかりなぜに鍵やといわぬ情けなし」
という唄も残っている

      

この両花火士の花火大会

終焉はあっけない

それは1843年の事
玉屋から失火が原因

店だけでなく半町ほどの町並みを焼くという大火事となってしまう
失火は重罪である上
将軍家慶の東照宮参拝出立の前夜であったことが災いし
厳しい処分となる

玉屋は財産没収
市兵衛は江戸お構い
僅か一代で家名断絶

      

       



鍵屋は太平洋戦争まで残ったのに
何故か、花火大会では今でも「玉屋」の掛け声
ちょっとした謎です

       





花火も次回が最終とします
続きはまた不定期で...
コメント (14)
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