雪だるま倶楽部

日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています

高桐院

2007年10月28日 | 京都散策
晴明神社を出て、丸太町通りを通り過ぎ堀川北大路で左折
臨済宗大徳寺派大本山の大徳寺へと向いました

駐車場は9時前でほぼ満車状態
どうやら大徳寺のどこかの塔頭で法要があるようです

でも境内は人気も少なくひっそりとしていました

        

朝、大徳寺に着いたなら一番の目的地は高桐院
雪だるま式方程式に従って高桐院を目指します

大徳寺は京都でも有数の規模の禅宗寺院
境内を結構歩くことになります

高桐院に至る最後の角を曲がって...
なんか違うような

そうか地面にアスファルトが敷かれている
いつの間に...

    

さていよいよ高桐院です
「利休七哲」の一人とうたわれた細川忠興が、父の藤考の菩提所として建立したのが1602年
以後細川家の菩提寺として庇護された寺院

    

楓に覆われた参道が人気

        

紅葉真っ盛りの時期もいいですが、苔の上に積もった落葉で左右が赤く染まる時期も乙なもの
もちろん緑でも最高ですよね

    

参道を抜けると拝観受付
ここも額縁風に見立てるポイント

        

下駄箱には未だ靴はなし
どうやら一番乗り
うきうき気分で本堂に向います

本堂へ一直線
突き当たりを左へ
ほら庭園が見えてきた

    

そう焦らずに
でも、急ぎ足で
定番撮影

    

本堂前の庭園は「楓の庭」と呼ばれています
でも大量に生い茂るのではなく、数は限定されていてそれがまた美しい

    

この庭園のポイントは一基の灯篭
絶妙な位置に配され景観を見事なものにしています

        

望遠で撮影
(そういえばこの灯篭をアップで撮影したのは初めて)

この苔に覆われた庭に赤い落葉が落ちるのが秋
灯篭にも積もり絶景に彩りを添えます

    


本堂横の庭園は歩くことができます

        

庭園を巡って

        

辿り着いたその先には

細川ガラシャの墓塔

    

日本名「細川たま」
あの明智光秀の三女
明智光秀が織田信長を本能寺の変で討って自らも滅んだため、玉は「逆臣の娘」となります
忠興は玉を愛していたがために離縁せず
1584年まで丹後の味土野に隔離・幽閉
その後、豊臣秀吉のとりなしもあって幽閉は解かれます

夫の細川忠興が朝鮮出陣にあたり、大坂に滞在していたイエズス会グレゴリオ・セスペデス神父のはからいで密かに洗礼を受け、ガラシャと名を変えることになります

関ヶ原の戦いの直前
西軍の石田三成は人質に取ろうと画策
ガラシャはそれを拒絶
実力行使に出て兵に屋敷を囲ませると、ガラシャは家老の小笠原少斎に胸を貫かせて世を去ります
享年38歳

辞世が伝わっています

「ちりぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」


大徳寺の塔頭の中にはその石田光成の菩提寺もあります
不思議なものですね

    

高桐院を去る前にもう一枚

    


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2 コメント

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Unknown (youpv)
2007-10-29 12:08:14
大徳寺も電線の地下への工事が終わり、
ちょっと雰囲気が変わりましたね。
紅葉の時期になるとここも人が多くなりそうですが
出来れば散紅葉の晩秋の時期に行きたいですね。
返信する
晩秋が好きです (雪だるま)
2007-10-29 21:32:30
youpvさんコメントありがとうございます

なるほど高桐院の前が舗装されていたのは、電線の埋設工事の為だったのですね
そういえば電柱ってあったかな?
というほど無関心でしたのでさっぱり気が付きませんでした

高桐院はやっぱり晩秋ですよね
苔の上に積もった落葉の美しさ
紅葉真っ盛りが美しい場所もあれば
落葉が美しい場所も
ここ高等院は間違いなく後者ですよね

しばらく京都散策が続きますのでよろしくお願いいたします
返信する

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