滋賀県で一番行ってみたかった場所がこの大池寺
行基菩薩がこの地を訪れたのはいまから12世紀も前のこと
日照りに悩む農民のため灌漑用水を造ることを発案
ただ灌漑用の池を造るだけではなく、「心」という字の形に4つの池を掘りました
その中央に建立されたのが大池寺
一彫りごとに三拝したという「一刀三礼の釈迦丈六坐像」を安置したと伝承されています
創建当時は天台宗の寺であったそうです
また創建当時の寺名は「邯鄲山青蓮寺」
鎌倉期に入ると日本に禅宗が伝わります
東福寺を開山した聖一国師の孫弟子の無才智翁禅師がこの地を訪れたのはそんな折
彼が邯鄲山青蓮寺を禅宗に替えます
残念ながら創建当時の建物は残っていません
天正5年に兵火に遭い、境内全域が焼き払われてしまったのです
不思議にも行基菩薩の作の仏像のみ焼け残ったとのこと
江戸時代に入り、京都花園妙心寺の丈巌慈航禅師が当地を訪れ再建します
この時山号寺名を「邯鄲山青蓮寺」から周囲に大きな池があるのに因み「龍護山大池寺」と改名したとのことです
入口にみえた住職さんに大池寺の歴史を教えていただきました
さて大池寺の代名詞ともなっている庭園です
訪れたのは昼頃でしたが、他に拝観客の方もおらず庭園を独り占め
江戸初期寛永年間の造作
小堀遠州の作として伝えられています
サツキの大刈り込み鑑賞式枯山水庭園
書院前方正面の二段刈り込みと左右の大刈り込みは大洋の大波小波を表現しています
白砂の水面上に刈り込みでもって以て宝船を表現
中央に七つの石と小さな刈り込みで七宝と七福神を象徴しています
サツキの花咲く頃も、雪を抱いた冬の時期にも美しい姿を見せてくれそうです
書院の一番奥に座って庭園を眺めました
京都以外の庭園でこんなに興奮したのは初めてのこと
枯山水庭園といえば白砂と岩
岩を植木で表現しているという発想の転換
その素晴らしさに暫し時を忘れて庭園を眺めました
その後書院の中であちこち移動
庭園を満喫すべく撮影して周ります
正面からもいいですが、ちょっと横から眺めてみるのも一興
独創的な庭園を堪能しました
庭園をいろんな角度で眺めていて、ふっと以外な場所からもステキだと発見?
ちょっと邪でしょうか?
行基菩薩がこの地を訪れたのはいまから12世紀も前のこと
日照りに悩む農民のため灌漑用水を造ることを発案
ただ灌漑用の池を造るだけではなく、「心」という字の形に4つの池を掘りました
その中央に建立されたのが大池寺
一彫りごとに三拝したという「一刀三礼の釈迦丈六坐像」を安置したと伝承されています
創建当時は天台宗の寺であったそうです
また創建当時の寺名は「邯鄲山青蓮寺」
鎌倉期に入ると日本に禅宗が伝わります
東福寺を開山した聖一国師の孫弟子の無才智翁禅師がこの地を訪れたのはそんな折
彼が邯鄲山青蓮寺を禅宗に替えます
残念ながら創建当時の建物は残っていません
天正5年に兵火に遭い、境内全域が焼き払われてしまったのです
不思議にも行基菩薩の作の仏像のみ焼け残ったとのこと
江戸時代に入り、京都花園妙心寺の丈巌慈航禅師が当地を訪れ再建します
この時山号寺名を「邯鄲山青蓮寺」から周囲に大きな池があるのに因み「龍護山大池寺」と改名したとのことです
入口にみえた住職さんに大池寺の歴史を教えていただきました
さて大池寺の代名詞ともなっている庭園です
訪れたのは昼頃でしたが、他に拝観客の方もおらず庭園を独り占め
江戸初期寛永年間の造作
小堀遠州の作として伝えられています
サツキの大刈り込み鑑賞式枯山水庭園
書院前方正面の二段刈り込みと左右の大刈り込みは大洋の大波小波を表現しています
白砂の水面上に刈り込みでもって以て宝船を表現
中央に七つの石と小さな刈り込みで七宝と七福神を象徴しています
サツキの花咲く頃も、雪を抱いた冬の時期にも美しい姿を見せてくれそうです
書院の一番奥に座って庭園を眺めました
京都以外の庭園でこんなに興奮したのは初めてのこと
枯山水庭園といえば白砂と岩
岩を植木で表現しているという発想の転換
その素晴らしさに暫し時を忘れて庭園を眺めました
その後書院の中であちこち移動
庭園を満喫すべく撮影して周ります
正面からもいいですが、ちょっと横から眺めてみるのも一興
独創的な庭園を堪能しました
庭園をいろんな角度で眺めていて、ふっと以外な場所からもステキだと発見?
ちょっと邪でしょうか?