この間行ったのが伊賀の里
だったら次は甲賀でしょう
という単純な発想で甲賀を訪れてみることにしました
甲賀の里忍術村に行くには少し早い時間だったので、近くの大鳥神社に行くことにしました
旧大原村の氏神として信仰を集めた神社です
参道脇の公園のようになっている広場に車を停め、参道を歩きます
砂利が敷き詰められ左右に石灯籠が配された参道は、きちんと整備されています
参道から境内までおよそ100mほど
ゆるい坂道を下っていくと、朱塗りの橋が見えてきました
ここから先が境内
石橋を渡って先へと進みます
先へ進む前にこの神社の歴史を一言
創建は平安時代
元慶6年というから、西暦で882年
陽夫多神社より勧請されます
当時は比叡山延暦寺の別坊が三十六院あり大原山河合寺と称されていたそうです
豊臣、徳川時代には「大原谷祇園社」「川合祇園社」と名前を変えますが、厚い信仰によって庇護されます
明治時代に入って、神仏分離により旧大原荘の「大」と鳥居野村の「鳥」を合わせて大鳥神社と改称
毎年7月23日と24日に行われる祭礼日は「大原ぎおん」と言われており、すべての災いや病気の悪魔をはらう祭礼
一度訪れてみたいものです
さて本文に戻って
石段を登ると
見えてきました
続く...
だったら次は甲賀でしょう
という単純な発想で甲賀を訪れてみることにしました
甲賀の里忍術村に行くには少し早い時間だったので、近くの大鳥神社に行くことにしました
旧大原村の氏神として信仰を集めた神社です
参道脇の公園のようになっている広場に車を停め、参道を歩きます
砂利が敷き詰められ左右に石灯籠が配された参道は、きちんと整備されています
参道から境内までおよそ100mほど
ゆるい坂道を下っていくと、朱塗りの橋が見えてきました
ここから先が境内
石橋を渡って先へと進みます
先へ進む前にこの神社の歴史を一言
創建は平安時代
元慶6年というから、西暦で882年
陽夫多神社より勧請されます
当時は比叡山延暦寺の別坊が三十六院あり大原山河合寺と称されていたそうです
豊臣、徳川時代には「大原谷祇園社」「川合祇園社」と名前を変えますが、厚い信仰によって庇護されます
明治時代に入って、神仏分離により旧大原荘の「大」と鳥居野村の「鳥」を合わせて大鳥神社と改称
毎年7月23日と24日に行われる祭礼日は「大原ぎおん」と言われており、すべての災いや病気の悪魔をはらう祭礼
一度訪れてみたいものです
さて本文に戻って
石段を登ると
見えてきました
続く...