蓑虫の音を聞きに来よ草の庵
芭蕉の俳句に誘われて、三重県伊賀上野の蓑虫庵を訪れました
無名庵、西麓庵、東麓庵、瓢竹庵、蓑虫庵
と芭蕉翁五庵はありましたが、現存するのはこの蓑虫庵のみ
芭蕉翁の門弟であった服部土芳の草庵です
見学料は300円
上野市は松尾芭蕉の郷土
松尾芭蕉は松尾与左衛門と妻梅の次男
創庵した服部土芳は当初この庵を些中庵と名付けました
城下町の南端
閑静な場所に庵を設けたわけです
笈の小文の旅で伊賀上野 に帰郷していた松尾芭蕉がこの庵を訪れたのは、創庵の一週間後
庵開きの祝いに、先にも書いた詩を送り祝ったということです
蓑虫の歌にちなんで、蓑虫庵と名前を変えた庵
元禄12年12月に惜しくも焼失
その後、服部土芳の俳友たちの援助により再興
服部土芳はここを伊賀における俳諧道場とします
松尾芭蕉没後も蕉風俳諧を普及させるため尽力したということです
縁側に立ち、庭を眺めると一句出てきそうです...
、
、
、
やっぱり無理でした
庵はその後、幾人も所有者を変え衰退と復興を繰り返すことになりますが、昭和30年に上野市の所有となり一般公開されている訳です
続く...
芭蕉の俳句に誘われて、三重県伊賀上野の蓑虫庵を訪れました
無名庵、西麓庵、東麓庵、瓢竹庵、蓑虫庵
と芭蕉翁五庵はありましたが、現存するのはこの蓑虫庵のみ
芭蕉翁の門弟であった服部土芳の草庵です
見学料は300円
上野市は松尾芭蕉の郷土
松尾芭蕉は松尾与左衛門と妻梅の次男
創庵した服部土芳は当初この庵を些中庵と名付けました
城下町の南端
閑静な場所に庵を設けたわけです
笈の小文の旅で伊賀上野 に帰郷していた松尾芭蕉がこの庵を訪れたのは、創庵の一週間後
庵開きの祝いに、先にも書いた詩を送り祝ったということです
蓑虫の歌にちなんで、蓑虫庵と名前を変えた庵
元禄12年12月に惜しくも焼失
その後、服部土芳の俳友たちの援助により再興
服部土芳はここを伊賀における俳諧道場とします
松尾芭蕉没後も蕉風俳諧を普及させるため尽力したということです
縁側に立ち、庭を眺めると一句出てきそうです...
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やっぱり無理でした
庵はその後、幾人も所有者を変え衰退と復興を繰り返すことになりますが、昭和30年に上野市の所有となり一般公開されている訳です
続く...