JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

私のスター

2006年06月17日 | d-f



昨日は大雨で、我が家の近くでも被害があったようです。被害に遭われた皆様には、お見舞い申し上げます。
そんなことはお構いなしに飲みに行ってしまう私は、まったく不謹慎でありますね。
ふと、ログの更新日を振り返ると、今週も3日も飲みに出かけてしまったという大バカ者は、今日も今日とて、自宅にいながらロック・グラス片手に更新作業、
「なんてこったい・・・」

私にとってジャズの3大スターは誰かと訊かれれば、コルトレーン、モンク、そしてエリック・ドルフィーということになるでしょうか。
以前、アパート住まいであった私は、モンクは別としても、3大スターのうちの二人、つまりコルトレーンとドルフィーを心ゆくまで適当な音量で聴くことができませんでした。
特に後期のコルトレーンなどは、ほとんどターンテーブルにのることもなく、ただただ、ジャケットを眺めていたりして・・・・・・なんだかむちゃくちゃ暗ーい映像が頭に浮かんでしまいます。(笑)

昨晩もおじゃました行きつけのバーに
「飾っといて」といって、ジャズのLPを持ち込んでいるお客さんがいらっしゃいます。自宅にプレーヤーが無いそうで、聴けないとなるとますます聴きたくなるという衝動には駆られないものでしょうか?

私など実家に越してからしばらくは、コルトレーンとドルフィー漬け、
「やっぱ、いいわ」なんて、一人で満足していました。
自宅で聴けずに、バーにレコードを持ち込んでいる方の寂しさに同情するばかりです。

さて、今日はそんな「私のスター」エリック・ドルフィーのアルバム2枚を紹介します。
以前にも書きましたが、ドルフィーのアルバムは、彼が亡くなってから販売になっものが多くあります。今日の2枚も「ついに発見!」的なかたちで、発売になったアルバムです。
実際のところ、この2日、4日後に録音された「IN EUROPE Vol.1~Vol.3」のほうが、録音状態も良いし、あえて録音の最悪なこの大学内のホールでの演奏を聴く必要があるのか??????

そこがファンの悲しいところ、録音がどうであれ、彼の演奏を少しでも多く聴きたい、そう思うものなのです。
このアルバムを声高らかに「ぜひとも聴いてください」とは言えません。ただ、私と同じように少しでも「生前の彼の演奏にふれたいんだ」と思われる方は、お聴きになってみてください。理想的なセッティングでなくともドルフィーは、彼の彼たる演奏を行っています、それだけは感じ取れるアルバムだと私は思っています。

THE UPPSALA CONCERT Vol.1
1961年9月4日録音
ERIC DOLPHY(as,bc,fl) RONY JOHANSSON(p) KURT LINDGREN(b) RUNE CARLSSON(ds)
1.WHAT IS THING CALLED LOVE
2.245
3.LAURA
4.52ND ST THEME
5.BAG'S GROOVE

THE UPPSALA CONCERT Vol.2
1961年9月4日録音
ERIC DOLPHY(as,bc,fl) RONY JOHANSSON(p) KURT LINDGREN(b) RUNE CARLSSON(ds)
1.OUT OF NOWHERE
2.I'LL REMEMBER APPIL
3.52ND ST THEME
4.WHEN LIGHTS ARE LOW


サッサカサッサカ、カケヨ

2006年06月15日 | d-f

 ♪ 光る海 光る大空 光る大地
   光る無限の地平線
   走れエイトマン 弾丸よりも早く
   叫べ胸を張れ 鋼鉄の胸を
             エイト エイト エイトエイトエイト

アニメ『エイトマン』の主題歌であります。この歌を作詞したのは前田武彦だったって知ってました?って、そんなことはどうでもいいのですが、
何故に『エイトマン』か?

今日帰宅すると、テーブルの上に『のりたま』の大袋があるではありませんか。子供が小さいときは、ふりかけが一つ二つあったのですが、最近はとんとお目にかからなかった代物です。
「なんとなく食べてみたくなって」
母などは
「あんたが小さいときは買ってきたけどね、卵臭くてどうも苦手だな」

『のりたま』は、昭和35年(1960年)に発売になったそうで、私とほぼ同年代のいいお歳、母が言うとおり、小さいときによく買ってきた記憶があります。
でも、その頃、頻繁に買っていたのには、もう一つ大きな目的があったからです。
それが『エイトマン』なのです。

『のりたま』の袋を開けると、ちっちゃなシールが一枚入っていました。『エイトマン・ワッペンシール』、これですこれ、これが欲しくて欲しくて・・・・・・
思えば、息子が必死に集めていた『ビックリマン・シール』を、「まったくこんなの集めて」とあきれていた自分も、『エイトマン・ワッペンシール』をはじめ、『メンコ』に『ビー玉』、はては『牛乳のふた』まで集めていたのですから、息子のことなど言えたもんではありません。

 ♪ 燃える空 燃える風 燃える心
    進め無敵の力持て
    行けエイトマン 誰よりも強く
    響け轟け 鋼鉄の男

もちろん、『のりたま』も大好きだったんですよ。

さて、今日の一枚は、アート・ファーマー、ドナルド・バードという、同一楽器による対抗アルバム形式をとった、プレスティッジがこの頃、お得意パターンのアルバムです。
当時、ファーマーもバードも、事故死したクリフォード・ブラウンの後継者として、大いに期待された存在でした。この二人が競演(?)したらどうなってしまうのか?
ぜひとも自分の耳でお確かめください。

TOW TRUMPETS
1956年8月3日録音
ART FARMER(tp) DONALD BYRD(tp) JACKIE McLEAN(as) BARRY HARRIS(p) DOUG WATKINS(b) ART TAYLOR(ds)
1.THE THIRD
2.CONTOUR
3.WHEN YOUR LOVER HAS GONE
4.DIG
5.'ROUND MIDNIGHT


う~ん残念。

2006年06月13日 | a-c

昨晩は、予定通りお寺でのサッカー観戦、終了10分前までは、それはもう大盛り上がりでありました。なのに、なのに・・・・・・・・・・とても残念です。
日本代表も精一杯がんばったのは、わかっているのですが、なんとも悔しい試合でした。
どうにもまっすぐ帰宅する気になれず、結局いつものバーに、あ~あ、まったく節操がありません。

試合結果は結果として、私の手作りつまみは、そこそこ好評でしたので、一応紹介させてください。

鴨は、脂が出やすいように、皮に切れ目を入れフライパンで、ミディアム・レアー程度に焼き上げます。次に醤油、酒、みりんに赤唐辛子を入れ、昆布と鰹節で出汁を取りながら一煮立ち、この付け汁に一晩鴨をつけ込みます。翌日、鴨は切り分け、付け汁の一部にごま油とバルサミコ酢を加えソースを作っておきます。
香味野菜を刻み、冷水でシャキッとさせて、レモン汁を振りかけ、ソースを軽くかけた鴨といっしょにいただきます。

もう一品は、薄切りしたタコに塩こしょうをして、オリーブオイルでマリネします。
フライパンでパン粉、パセリのみじん切り、塩少々をから煎りして、冷めたところに粉チーズを混ぜ合わせておきます。
オリーブ、プチ・トマトを適当な大きさに切って、タコのマリネの上にちりばめ、食べる直前にパン粉バウター(?)をかけていただきます。

どうでしょう? だれか試してみる気になりました? 赤ワイン、ウイスキー系には、とても相性がよいと思うのですが、

そうそう、夕べはいつものバーでママの写真も撮ったのですが、ブログに載せたら殺すと言われましたので、公表は控えさせていただきます。(笑)

さて、今日の一枚は「テレフンケン・ブルース」と並ぶ、ケニー・クラークの代表アルバムであります。・・・が、興味が集中するのはアダレイ兄弟かもしれません。
アダレイ兄弟が「カフェ・ボヘミア」にはじめて現れたのは、チャーリー・パーカーがこの世を去って、約3ヶ月後、1955年6月19日のこと。
この日、オスカー・ペティフオードのグループは、「カフェ・ボヘミア」でのライブ最終日を迎えていました。ステージには、ベティフォードはもちろん、ケニー・クラーク、ホレス・シルバーが立っていましたが、サックス奏者、ジェローム・リチャードソンが現れません。ピアノ・トリオで何曲か演奏後、そのステージに突然現れたのが、キャノンボール・アダレーでした。ベティフォードは突然現れたキャノンボールを試そうとしたのでしょうね。急ピッチのイントロを弾きはじめましたそうです。ところが、キャノンボールは速さなど気にもとめずに、堂々とソロを吹いてみせたのでした。
なんとその場には、フィル・ウッズ、ジャッキー・マクリーンがいたのだそうですが、キャノンボールを聴いて、サックスを出しもせずに帰ったとか。

当初、このアルバムは、「テレフンケン・ブルース」が好評だったことに気をよくしたサヴォイが、「柳の下の何とか」を目論み、クインテットで録音する予定でした。ところが彗星のごとく現れたキャノンボールのテクニックにクラークらも驚き、急遽アダレイ兄弟も参加することが決まったのです。こうして二人の初レコーディングが、このアルバムに残されたのでした。

BOHEMIA AFTER DARK / KENNY CLARKE
1955年6月28日、7月14日録音
KENNY CLARKE(ds) NAT ADDERLEY(cor) DONALD BYRD(tp) CANNONBALL ADDERLEY(as) JEROME RICHARDSON(ts,fl) PAUL CHAMBERS(b) HORECE SILVER(p) HANK JONES(p)[6]
1.BOHEMIA AFTER DARK
2.CHASM
3.WILLOW WEEP FOR ME
4.HEAR ME TALKIN' TO YA
5.WITH APOLOGIES TO OSCAR
6.WE'LL BE TOGETHER AGAIN
7.LATE ENTRY

追伸、
オスカー・ペティフオードがどうしてこのアルバムに参加しなかったのか?
それは、この時、ベティフォードはABCと契約をしていたためで、ベースはポール・チェンバースが担当しました。


明日は『蘭』踊?

2006年06月11日 | m-o

今日は梅雨らしい空が帰ってきました。ただ気温はじっとしていると寒いくらいで、母などは
「なんだぁ?最高気温24度とかいって、20度もないんじゃないの?」と天気予報に文句
「いいじゃないの蒸し暑いより」
そんな母に、義理の兄がマレーシアから『蘭の花』を贈ってきてくれました。最近、ジャイアンツの不振に湿りがちな母、少しは気が晴れたでしょうか?





いよいよ、ドイツ・ワールド・カップが始まりましたね、明日は日本戦。皆さんは何処で、どんなスタイルで、応援されるのでしょうか?
私は、知らぬ間に、知り合いのSO和尚の寺で行われる「酒盛りをしながら侍ブルーを応援する会」のメンバーにさせられておりましたので、その場での応援となるのでしょう。

同じくメンバーであるS君が
「何?おまえもメンバーにさせられたの? ・・・ははははは。俺は酒でも持っていくけど、おまえどうする?」
「えっ?持ち寄りなの?」
「とうぜんじゃん、料理屋じゃないんだから」
「・・・・・・・・・・!?」

酒ばかり集まってもしかたがないでしょうから、私は肴を用意することにしました。
明日は仕込む時間もないので、今日のうちに、鴨肉と真ダコを仕入れ、仕込みもすませました。できあがりは明日写真でも撮ってきますので、後ほど紹介しようかなぁ~~なんてね。

さて、今日の一枚は、ジャッキー・マクリーンのブルーノート移籍第一弾アルバムです。(録音としてはこの4ヶ月前に3曲行っていますけど)
このアルバムが録音された1959年というと、ハード・バップから次の時代への変化を示唆する「カインド・アブ・ブルー」「ジャイアント・ステップス」などなど、意欲的なアルバムが録音された年です。
だからというわけでもないかもしれませんが、マクリーンも「リハーサルに多くの時間をかけ、妥協を許さない」といった時期であったようです。ブルーノートに移籍したのもこういった事情が一因だったのかも知れません。
ともかく、意欲あふれるリズム・セッションとあわせ、豊かなマクリーンの表現が生きた一枚だと思います。

NEW SOIL / JACKIE McLEAN
1959年5月2日録音
JACKIE McLEAN(as) DONALD BYRD(tp) WALTER DAVIS Jr.(p) PAUL CHAMBERS(b) PETE LA ROCA(ds)
1.HIP STRUT
2.MINOR APPREHENSION
3.GREASY
4.SWEET CAKES
5.DAVIS CUP


充実した午後

2006年06月10日 | g-i

一日に2回の更新というのは6ヶ月ぶりぐらいかもしれません。
まあ、いかに暇な一日を過ごしたかという証のようなものですが・・・(笑)

4日程まえに友人からDVDを借りてきました。
「返すのいつでもいいよ」と言われてはしたものの、借りっぱなしというわけにもいかず、酒疲れを癒すためにも
「ビデオ鑑賞会だぁ~!!」

借りてきたDVDは、「エド・サリヴァン・ショー」、友人は全18巻を買いそろえたそうで、うち2巻だけを借りてきたというわけです。
「ゴールデン・エイジ・オブ・ロック 5」には、大好きなジャニズ・ジョプリンが2曲、「ルーツ・オブ・ロック=R&B 4」には、シュープリームス、テンプテーションズがたっぷり収録されておりました。

シュープリームスのダイアナ・ロスを聴いているうちに、やっぱり思い出したのが、映画「LADY SINGS THE BLUES ビリー・ホリデイ物語/奇妙な果実」です。

「ビデオあったよなぁ」
2本のDVDを観た後は、「LADY SINGS THE BLUES ビリー・ホリデイ物語/奇妙な果実」まで観てしまいました。
自伝とはかなり内容が違うような気もしますが、ダイアナ・ロスの熱演はそれなりに楽しめます。ただ、全体になんとなく暗ーく描かれてしまうのは、黒人ミュージシャンを扱った映画には仕方のないことなのでしょうか? たしかにグレン・ミラーやベニー・グッドマンのように明るく描ける人生ではないかもしれませんけどね。

自伝のなかで、ビリー・ホリデイは、父の悲惨な死を経験し、初めて「STRANGE FRUIT  / 奇妙な果実」を客の前で歌ったときのことを、こんなふうにいっています。
「私は客がこの歌を嫌うのではないかと心配した。最初に私が歌ったとき、ああやっぱり歌ったのは間違いだった、心配していた通りのことが起こった、と思った。歌い終わっても、一つの拍手さえ起こらなかった。
そのうち一人の人が気の狂ったような拍手をはじめた。次に全部の人が手を叩いた。」
この後、コモドア・レコードに吹き込まれたこの曲は、ベスト・セラーとなります。

なんだか、午後はへんに充実した時間を過ごすことができました。O君、DVDありがとね、明日返します。

ということで、今日の2枚目は、ビリー・ホリデイ「奇妙な果実」であります。いかに私がヴォーカル・アルバムの所有枚数は少ないといっても、さすがにこれは持っています。
熱唱するのではなく、淡々と歌い上げているからこそ、この曲の意味がダイレクトに伝わってくるのでしょうね。とても悲しい曲です。

THE GREATEST INTERPRETATIONS OF BILLIE HOLIDAY
1939~1944年録音 
BILLIE HOLIDAY(vo) 他のパーソナルは省略
1.STRANGE FRUIT
2.YESTERDAYS
3.FINE AND MELLOW
4.I GOTTA RIGHT TO SING THE BLUES
5.HOW AM I TO KNOW?
6.MY OLD FLAME
7.I'LL GET BY
8.I COVER THE WATERFRONT
9.I'LL BE SEEING YOU
10.I'M YOURS
11.EMBRACEABLE YOU
12.AS TIME GOES BY
13.SHE'S FUNNY THAT WAY
14.LOVER COME BACK TO ME
15.I LOVE MY MAN
16.ON THE SUNNY SIDE OF THE STREET

『神薬』

2006年06月10日 | j-l

我が地方もついに梅雨入り、かと思ったら二日目に早くも中休みだそうで、今日は良い天気です。
なんだかバカにされたようですが、週末の貴重な晴れ間を活用しなければ・・・・・・・
ところが、おなかが痛いんです。へそを出したまま寝てしまったのか、はたまた連夜の不摂生の報いか、ひょっとして毒を盛られたか??????
今朝目覚めたときには、しっかり布団を掛けていましたし、バカ高い生命保険にも加入していない、これは間違いなく不摂生の報いでありましょう。

「いやあ、久しぶりに腹痛なんだけど」
「正露丸でも飲んどけば」
「は~い」

ということで、じつに数年ぶりにあの苦くて臭ーい『正露丸』を飲んでしまいました。

『正露丸』といえば、私はかなりの間、一種類の商品名だと思っておりました。
『正露丸』は、もともと『征露丸』が正しい字使いだったそうで、これは日露戦争時に開発されたため、ロシアを征するという意味で付けられた名だそうです。
それが、戦後「ソビエトに対して、これはよろしくなかろう」ってんで『正露丸』になったとか。

『征露丸』は、そもそも明治時代、陸軍の軍医だった戸塚機知(とつかみちとも)なる人物がクレオソート(ブナなどから取れる液体)を内服していた人の便から培養した大腸菌が、腸チフスを征圧することに偶然気づき、開発された薬だそうで、腸チフスに苦しんでいた戦場の兵士たちにあいだでは、『神薬』とまで呼ばれるほど効果が高い薬として重宝がられたそうです。

この効果が民間にも知れ渡り、政府が民間での販売を許可しました。何処かの製薬会社や製薬店が開発したものではなかったために、多くの製薬会社(店)が同じ『征露丸』の名称で販売することとなったというのが、『正露丸』が何種類もある原因だそうです。実際30種類あまりあるそうですよ。
だから、大幸薬品さんは「ラッパのマーク、ラッパのマーク」と強調されるのですね。
宣伝むなしく、今日私が飲んだのは、廣貫堂さんの『正露丸』でしたが

ではなぜ何処かのメーカーが商標権を取らなかったのか?じつは以前に訴訟は起きていたそうで、この時の最高裁の判断が「正露丸はすでに普通名詞、しかるに商標権にはあたらず」という判断を下したのだそうです。つまり、『正露丸』は、リンゴとか、酒とか、ジャズとかと同じ普通名詞だというわけ、ふむふむ、薬の名前にも歴史があるもんだ。

そんなことを調べていたら、『神薬』のおかげでしょうか、すっかり腹痛も治まってしまいました。めでたしめでたし(笑)

調子が良くなると不思議とお腹がすいてきます。
「よし、そば食いに行くぞ!!」
私が唯一、このあたりで美味しいと思っているそば屋さんです。店内には静かにジャズが流れ・・・・・・
今日はデューク・ジョーダンの「FLIGHT TO DENMZRK」がかかっておりました。
ということで、今日の一枚もデューク・ジョーダンであります。
「FLIGHT TO JORDAN」「FLIGHT TO DENMZRK」は、以前に紹介しておりますので、今日はジャズレーベル、シグナル時代の名盤を紹介します。残念ながら私が持っているのはサボイ盤。

シグナルは1955年発足、1年あまりで活動を中止してしまいますがその間、7作を発表、その内4作品にデューク・ジョーダンが参加しているという、いわば1年だけではありましたが彼はシグナルのハウス・ピアニスといってよい状態でした。
私はこのアルバムの「フライ・トゥ・ジョーダン」の入り方がとても好きで、必ずB面から聴くという悪い癖を持っておりました。♪ダバ・ダバ・ダバ・ダバ・ダバダバダ、ダッダーダ、ダッダーダ・・・・・♪を一度お試しください。
できとしては、どうだろう?トリオのほうがよいかな?
1曲目の「フォアキャスト」でのジョーダンのうなりが若干気になりますけど。

この写真は、左がシグナル、オリジナルの「TRIO & QUINTET」、右が「JAZZ LABORATORY VOL.1」であります。参考までに

TRIO & QUINTET / DUKE JORDAN
1955年10月10日(1~5), 11月20日(6~10)録音
DUKE JORDAN(p)
PERCY HEATH(b) ART BLAKEY(ds)
EDDIE BERT(tb) CECIL PAYNE(bs) [6~10]
1.FORECAST
2.SULTRY EVE
3.THEY CANT TAKE THAT AWAY FROM ME
4.NIGHT IN TUNISIA
5.SUMMERTIME
6.FLIGHT TO JORDAN
7.YWO LOVES
8.CU-BA
9.YESTERDAYS
10.SCOTCH BLUES


結構毛だらけ

2006年06月09日 | s-u

二晩連続の午前様には、家人もあきれ顔、ここ何日かはおとなしく過ごさなければいけなそうです。

昨晩は、友人でもあり先輩でもあるMさんからの急なお誘いで、「昨晩飲み過ぎたから」とも言えず、のこのこ出かけてまいりました。

酒を飲みながら話し始めたのは、なぜかビートルズの話。
「そういえば、ビリー・プレストンが亡くなりましたね」と私、
「ああ、聞いた聞いた、第五のビートルズ・メンバーね」
ビートルズ全盛時代、Mさんは小学校高学年、来日公演もしっかり記憶にある世代であります。
「バブちゃん、この前いっしょに飲んだ○○さん覚えてる?」
「ええ、あのカッコイイ、クラシックカーに乗ってる粋なオヤジさんでしょ」
「あの人は、行ったんだってさ、武道館」
「あらま、1966年、ビートルズ来日コンサート」
「そうそうって、よく西暦パッと出てくるね」
(そりぁ、わすれませんよ、なんたってあーたコルトレーン来日と同じ年ですから)
「俺も行きたかったけど、小学生じゃなぁ」
「そりぁ、私も行きたかったですよ、コルトレーンの来日公演」とは、言えませんでしたけど(笑)

そんなこんなで、なぜかこんどは落語の話に(脈絡がないのも酔っぱらいの話の特徴ですね)
「俺もよく落語は聞いたなぁ、バブちゃんは寿限無ぐらい語れんじゃないの」
「じゅげむじゅげむごこうのすりきれ、かいぎゃりすぎょのうんこうまつふうらいまつ・・・・ははははは、落語は好きですけど語れはしませんよ、そのかわり」

結構毛だらけ猫灰だらけ。見上げたもんだよ屋根屋のフンドシ。見下げて掘らせる井戸屋の後家さん。上がっちゃいけないお米の相場。下がっちゃ怖いよ柳のお化け。馬には乗ってみろ人には添ってみろってね。物のたとえにもいうだろう。物の始まりが一なら、国の始まりは大和の国。泥棒の先祖が石川五右衛門なら、人殺しの第一号が熊坂長範。でっかいのの手本が道鏡なら、のぞきの元祖は出っ歯で知られた池田の亀さん出歯亀さんときたもんだ。兎を呼んでも花札にゃならないが、兄さん寄ってらっしゃいよ、くに八つぁんお座敷だよと、来りゃぁあんた、花街のカブだい・・・・・・・・・

「よっ!日本一!」

私も啖呵売の口上を全部言えるわけでもないのですが、酒席の座興には良かったようで、ほかのお客さんにまで拍手をいただいてしまいました。

どうして私がこんなものを覚えたのか?べつに寅さんから習ったわけじゃありませんよ。室町京之介氏の「香具師(やし)口上集」という本がありまして、ここから拝借したというわけ、興味のある方はぜひともお読みになってみてください。
ちなみに「兄さん寄ってらっしゃいよ、くに八つぁんお座敷だよと、来りゃぁあんた、花街のカブだい」のくだりは、「兄さん寄」が2,3,4で、「くに八」が9,2,8でカブになるという洒落であります。

最後は調子に乗って、G.S.やら、フォークやら、あげくにはエルビス、クラプトンまでカラオケで歌ってお開きでありました。
「バブちゃん、月曜日はあけといてね」
「はぁ?」
「坊さんのところで、ワールドカップ観戦飲み会だから、バブちゃんもメンバーに入ってるよ」
「え~~~~」
結構毛だらけ猫灰だらけ、あたしゃ毎晩酒だらけ
おそまつさまでした。

さて今日の一枚は、ソニー・スティットとオスカー・ピーターソンの共演盤です。全曲、型どおりのいかにもジャズといった構成になっていますが、それでいてつまらなさは全く感じません。「どうだこれがジャズだぁ~~~!」みたいなのを聴きたいと思っているあなた、これはご機嫌なアルバムですよ。

SONNY STITT SITS IN WITH THE  OSCAR PETERSON TRIO
1957年10月10日,1959年5月18日録音
SONNY STITT(as) OSCAR PETERSON(p) RAY BROWN(b) ED THIGPEN(ds)
HERB ELLIS(g) STAN LEVEY(ds)
1.I CAN'T GIVE YOU ANYTHING BUT LOVE
2.AU PRIVAVE
3.THE GYPSY
4.I'LL REMEMBER APRIL
5.SCRAPPLE FROM THE APPLE
6.MOTEN SWING
7.BLUES FOR PRES, SWEETS, BEN AND ALL THE OTHER FUNKY ONES
8.EASY DOES IT
9.I DIDN'T KNOW WHAT TIME IT WAS
10.I REMEMBER YOU
11.I KNOW THAT YOU KNOW


テキーラ!!

2006年06月06日 | y-その他

16世紀「陽の沈まぬ国」と言われた強国スペイン、彼らが足を踏み入れた北アメリカ南部にはアステカと呼ばれる先住民がいました。アステカ人が造り上げた地酒と西洋の蒸留技術がこうして出会いました。ジン、ウォッカ、ラムとともに世界四大スピリッツと呼ばれるテキーラの誕生であります。

なんで今日はテキーラの話で始まったのか?

じつはね、一昨日飲んだんですよ久しぶりに
以前は、たまに好きで飲んでいたのですが、どうも飲み過ぎの傾向があるので、最近は敬遠気味でありました。

まだ横浜にいる頃でしたが、レモンを超薄切に何枚も切って、塩を一盛り用意、カパ、カパっと一本飲んじゃうみたいな・・・・・・(はははは、誰でも酔うわな)

本場メキシコでは、ライムは当然として、チェイサー代わりにサングリータという赤い液体を飲むそうであります。
まずはライムに塩をかけ口に含み、カパっとテキーラを一気に流し込む、そしてサングリータで追い打ちをかけるのだそうで、これがなんとも美味しいらしいのですね。
さて、サングリータの正体とは・・・・・・トマトジュースに塩、チリ、レモンジュースを混ぜたもので少々辛い飲み物だそうです。

サングリータを口にしたこともない私にこの再現は無理ですが、一昨日は、いつものバーでライムに塩をピピッとつけて、カパ・・・・・・・いやあ旨い、なんでライムと塩がこんなにも合うんでしょうね。

どうです、たまにテキーラをストレートで
あーいかん、また飲みたくなってきた・・・・・・・ テキーラとライムと美味しい塩でも買ってきちゃおうかな。(笑)

さて、今日の一枚ですが、テキーラというとこの曲「AVILA AND TEQUILA」を思い浮かべるという、単純な私です。
ブルーノートにとって初の12インチ・オリジナル・アルバムのVOL.2ということになります。アート・ブレーキーもホレス・シルバーも誰の名前も大きく書かれていない、ザ・ジャズ・メッセンジャーズのアルバムです。

THE JAZZ MESSENGERS AT THE CAFE BOHEMIA Vol.2
1955年11月23日録音
KENNY DORHAM(tp) HANK MOBLEY(ts) HORACE SILVER(p) DOUG WATKINS(b) ART BLAKEY(ds)
1.SPORTIN' CROWD
2.LIKE SOMEONE IN LOVE
3.YESTERDAYS
4.AVILA AND TEQUILA
5.I WAITED FOR YOU


奏楽

2006年06月05日 | v-x

昨日は、以前にも手伝いに行った近くの料理屋(?)さんのヘルプで、8時過ぎまでお手伝い、他人様が飲んでる姿を見ていると、誘われてしまいます。(私には飲み屋はできそうもありません。)
シャーワーを浴びて、カラカラの喉をビールで・・・・・・・
んっ?まてよ家でのんびりも良いけど、途中でチャチャが入りそうだし
!!「ちょっと出かけてくるわ」
ははははは、ちょっとが午前3時帰りじゃ、洒落にもなりませんね。
それでも、今日の仕事はきっちりやってきましたよ。

           きららかの 黄金(きん)の楽器に
           憤る 息を吹き込め

           冴え渡る 銀の楽器に
           憧れの 息を吹き込め

           ぬくもりの 木の楽器には
           忘却の 息を吹き込め

           肉(ししむら)に ひそむこころを
           解き放て 地平の彼方

           我等また 風に鳴る笛
           野に立って 息を待つ

           星々の はた人々の
           たえまない 今日の吐息を

ただいま、寝る前読書中の谷川俊太郎の詩集、『手紙』の『奏楽』という詩です。

憤る息を、憧れの息を、忘却の息を楽器に込め、
肉体に潜む心を解き放つ、じつにジャズっぽいじゃありませんか
私たちは、その音に身をゆだね、その息に自分自身をシンクロさせていくのでしょうか。
そこには、憤り、憧れ、忘却、いずれをも超越した神秘をも想わせる、なんとも音楽のすばらしきことか。
まるで宇宙のようにどこまでも深く、どこまでも広い世界であります。

さてと、昨夜の寝不足を解消するためにも、今日は早寝をしないと。
今日の一枚は、「ホワイト・パウエル」と呼ばれた、クロード・ウィリアムソンの代表作であります。どんな楽器についてもいえることですが、「○○スタイルに傾倒した」という表現が間々出てきます。時にチャリー・パーカーであったり、レスター・ヤングだったり、クリフォード・ブラウンだったり、スタイルを築き上げたジャズメンは、常にその時代のリーダー格として輝き、周りのものがそのスタイルを追いかける。これはある意味当然のことなのかもしれません。
パド・パウエルも、もちろんそんなひとりです。ですから、この時期のピアニストたちはパウエルの影響を受けて当然なのです。そんななか、パウエル・スタイルという器のなかで実力を発揮したてんで、クロードのこのアルバムは、なかなかのものだと私は思っています。

'ROUND MIDNIGHT / CLAUDE WILLIAMSON
1956年12月録音
CLAUDE WILLIAMSON(p) RED MITCHELL(b) MEL LEWIS(ds)
1.STELLA BY STARLIGHT
2.SOMEBODY LOVES ME
3.I'LL KNOW
4.THE SURREY WITH THE FRINGE ON TOP
5.POLKA DOTS AND MOONBEAMS
6.HIPPY
7.THE FOR TWO
8.STOMPIN' AT THE SAVOY
9.'ROUND MIDNIGHT
10.JUST ONE OF THOSE THINGS
11.LOVE IS HERE TO STAY
12.THE SONG IS YOU


シーツを替えました

2006年06月03日 | a-c

いやはや、西日本では暑い一日のようでしたが、我が地域は、夕方など肌寒いほどの気温となり、今はパーカーなど羽織っての更新であります。
ついこの前までは、冬用のシーツで快眠でしたが、さすがに夏物のシーツに取り替え、安心安心と思っていたら、なんだか今晩は冬物のシーツが恋しかったりして・・・

シーツといえば
ブログ仲間suing a-go-goさんより、「コルトレーンのsheets of soundについても取り上げてほしい」との、ありがたきコメントをいただきました。それはもう願ってもない話題であります。

さて、1958年以降、コルトレーンの「ビートを細分化した音で空間を敷き詰めるような演奏」を称して、「シーツ・オブ・サウンド」と呼ばれることとなります。
命名者は著名なジャズ評論家アイラ・ギトラー、ダウンビート誌1958年10月16日号の「'Trane on the Track」という記事のなかで、
"彼はこれまでも長いラインや複数音形を使ってプレイしていたが、1958年に入ってからは、言ってみれば、「シーツ・オブ・サウンド」とでも名付けられそうな独特のセクションをプレイするようになっている"
と表現しています。

「今までにない彼の演奏スタイルは、まるで、音がシーツを広げたように敷き詰められている、そんなプレイだ」ということだと思います。
以降、コルトレーンの代表的演奏スタイルとして、「シーツ・オブ・サウンド」という言い方が広まったのであります。

それでは、この「シーツ・オブ・サウンド」なる彼独特の奏法が、どうして生まれていったのか?
一つはマイルス・グループへの参加がもちろん大きかったでしょう。かのプレスティッジにおけるマラソン・セッションにおいて、半年あまりの間にもコルトレーンがどれほど、進化していったのかが聴き取れると思います。

ただ、「シーツ・オブ・サウンド」の確立には、モンクとのセッションがもっとも大きな影響を与えたのだと思います。

モンクは演奏中に踊り出したり、その場を離れたりというのが常でした。
コルトレーンは、モンクの複雑な曲に真っ向からぶつかっていきました、特に、モンクがピアノを離れ、彼のために伴奏コードを弾いてくれないときはなおさらのことです。

「私はいつでも、大きく力強い、しっかりとした音が欲しかった。ナインス・コードが出せるようになった逆にそのコードによって行き詰まるはめになった。そこで私は、フォース・コードの練習を始めた。しばらくして、ナインス・コードの場合よりボリュームのある演奏ができるようになった。モンクは私に完全な自由を与えてくれた。彼はよくステージを離れて酒を飲んだり踊ったりしていた。彼が戻ってくるまでの15分か20分のあいだ、私はすきなようにひとりで即興演奏をすることができたのだ」(コルトレーン)

モンクからコードに関するあらゆることを、学び取ろうとしたコルトレーン、モンクに必死に食らいついたコルトレーン、ここにこそ「シーツ・オブ・サウンド」の原点があると私は思っています。

「ピッチは安定していて、ビブラートはあまりかけない、抑揚もほとんどつけない音。
だから、一歩間違うと、敷き詰めた音がとんでもなくチープに聞こえてしまう」と評した方がいました。
私は全くそうは思いません。あの敷き詰められた音のなかに、言葉では言い表せない、音の数以上の深さと神秘性を感じます。

おっとと、熱が上がってきてしまいました。
「シーツ・オブ・サウンド」については、まだまだ言いたいこともどっさりありますが、「今日はこのへんで勘弁してやらぁ」なんちゃって

今日の一枚は言わずとしれたコルトレーンの名盤「SOULTRANE」であります。
「ソウルトレーン」といえば、タッド・ダメロンがコルトレーンのために作曲した美しいバラードの曲名ですが、ここでは演奏されていません。その代わりにダメロン=ベイシーの名曲「GOOD BAIT」を演奏し、ダメロンに敬意を表しているのでしょう。なんとも美しく演奏されています。
そうそう、「シーツ・オブ・サウンド」ね。
5曲目、「RUSSIAN LULLABY」、これがまさしく「シーツ・オブ・サウンド」の典型でありましょう。

SOULTRANE / JOHN COLTRANE
1958年2月7日録音
JOHN COLTRANE(ts) RED GARLAND(p) PAUL CHAMBERS(b) ART TAYLOR(ds)
1.GOOD BAIT
2.I WANT TO TALK ABOUT YOU
3.YOU SAY YOU CARE
4.THEME FOR ERNIE
5.RUSSIAN LULLABY