JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

う~ん残念。

2006年06月13日 | a-c

昨晩は、予定通りお寺でのサッカー観戦、終了10分前までは、それはもう大盛り上がりでありました。なのに、なのに・・・・・・・・・・とても残念です。
日本代表も精一杯がんばったのは、わかっているのですが、なんとも悔しい試合でした。
どうにもまっすぐ帰宅する気になれず、結局いつものバーに、あ~あ、まったく節操がありません。

試合結果は結果として、私の手作りつまみは、そこそこ好評でしたので、一応紹介させてください。

鴨は、脂が出やすいように、皮に切れ目を入れフライパンで、ミディアム・レアー程度に焼き上げます。次に醤油、酒、みりんに赤唐辛子を入れ、昆布と鰹節で出汁を取りながら一煮立ち、この付け汁に一晩鴨をつけ込みます。翌日、鴨は切り分け、付け汁の一部にごま油とバルサミコ酢を加えソースを作っておきます。
香味野菜を刻み、冷水でシャキッとさせて、レモン汁を振りかけ、ソースを軽くかけた鴨といっしょにいただきます。

もう一品は、薄切りしたタコに塩こしょうをして、オリーブオイルでマリネします。
フライパンでパン粉、パセリのみじん切り、塩少々をから煎りして、冷めたところに粉チーズを混ぜ合わせておきます。
オリーブ、プチ・トマトを適当な大きさに切って、タコのマリネの上にちりばめ、食べる直前にパン粉バウター(?)をかけていただきます。

どうでしょう? だれか試してみる気になりました? 赤ワイン、ウイスキー系には、とても相性がよいと思うのですが、

そうそう、夕べはいつものバーでママの写真も撮ったのですが、ブログに載せたら殺すと言われましたので、公表は控えさせていただきます。(笑)

さて、今日の一枚は「テレフンケン・ブルース」と並ぶ、ケニー・クラークの代表アルバムであります。・・・が、興味が集中するのはアダレイ兄弟かもしれません。
アダレイ兄弟が「カフェ・ボヘミア」にはじめて現れたのは、チャーリー・パーカーがこの世を去って、約3ヶ月後、1955年6月19日のこと。
この日、オスカー・ペティフオードのグループは、「カフェ・ボヘミア」でのライブ最終日を迎えていました。ステージには、ベティフォードはもちろん、ケニー・クラーク、ホレス・シルバーが立っていましたが、サックス奏者、ジェローム・リチャードソンが現れません。ピアノ・トリオで何曲か演奏後、そのステージに突然現れたのが、キャノンボール・アダレーでした。ベティフォードは突然現れたキャノンボールを試そうとしたのでしょうね。急ピッチのイントロを弾きはじめましたそうです。ところが、キャノンボールは速さなど気にもとめずに、堂々とソロを吹いてみせたのでした。
なんとその場には、フィル・ウッズ、ジャッキー・マクリーンがいたのだそうですが、キャノンボールを聴いて、サックスを出しもせずに帰ったとか。

当初、このアルバムは、「テレフンケン・ブルース」が好評だったことに気をよくしたサヴォイが、「柳の下の何とか」を目論み、クインテットで録音する予定でした。ところが彗星のごとく現れたキャノンボールのテクニックにクラークらも驚き、急遽アダレイ兄弟も参加することが決まったのです。こうして二人の初レコーディングが、このアルバムに残されたのでした。

BOHEMIA AFTER DARK / KENNY CLARKE
1955年6月28日、7月14日録音
KENNY CLARKE(ds) NAT ADDERLEY(cor) DONALD BYRD(tp) CANNONBALL ADDERLEY(as) JEROME RICHARDSON(ts,fl) PAUL CHAMBERS(b) HORECE SILVER(p) HANK JONES(p)[6]
1.BOHEMIA AFTER DARK
2.CHASM
3.WILLOW WEEP FOR ME
4.HEAR ME TALKIN' TO YA
5.WITH APOLOGIES TO OSCAR
6.WE'LL BE TOGETHER AGAIN
7.LATE ENTRY

追伸、
オスカー・ペティフオードがどうしてこのアルバムに参加しなかったのか?
それは、この時、ベティフォードはABCと契約をしていたためで、ベースはポール・チェンバースが担当しました。