今朝は、幾分風邪の兆候が残ったものの、無事仕事にも出かけ、夕方には、ちょっと喉がゴロゴロする程度まで回復いたしました。
さて、今日、6月26日といえば、クリフォード・ブラウンの命日です。たしか昨年もブラウニーの死の状況については、なんたらかんたらと書いた記憶がありますので、ここでは省かせていただきますが、天才ブラウニーがその後ジャズ界に残した影響は計り知れないものがあります。
彼がレコーディングを行った期間は、たかだか4年間という短いものでした。思えば当時、薬にまったく手を出さなかったジャズメンは少なかったでしょう。ブラウニーはその数少ない一人でした。そんな彼が逆に早死にするなんて、なんとも皮肉にも思えます。
ダウン・ビート誌は、「A TRIBUTE TO BROWNIE」というクインシー・ジョーンズの追悼文を掲載しました。
”僕にとって、クリフォード・ブラウンという名前は、いつでも音楽的そして道徳的成熟そのものと同義である。”
との一文で始まるこの追悼文は、以前紹介した「JAZZ legends ダウン・ビート・アンソロジー」にも掲載されていますので、興味のある方はお読みになってみて下さい。
”彼はいつプレイする時も、まるでこれが最期の演奏であるかのようにプレイすることを止めなかった。だがこれから先彼のパフォーマンスは永遠に終わることはないのだ。何故なら彼はいつも自分がプレイする一瞬一瞬をこの上ない温もりと美しさで満たすことを望んでいたのだから。この彼のサウンドはこれからも生き続けるのである。・・・・・”
彼の盟友マックス・ローチは彼の死後、活動を続けることすら、ある期間できなくなってしまいました。
彼の死を惜しんだのは、マックス・ローチやクインシー・ジョーンズだけではありません。多くのジャズメン、そしてブルー・ノートのアルフレッド・ライオンもその一人、
ライオンは、ブルーノートに残るブラウニーの音源を集め、追悼盤を作ります。それが今日の一枚です。
ブラウニーのリーダー・アルバムを最初につくったのもライオンでしたが、これは10インチ・アルバム、このアルバムでの録音だけでは、追悼盤は作れません。そこで、ルー・ドナルドソンとの双頭バンドでの録音を抱き合わせて出したのです。
ぜひとも、6曲目「BROWNIE SPEAKS」のソロをお聴きいただきたい、チャーリー・パーカーは驚愕し、マイルス・ディビスは嫉妬を覚えた、若き天才トランペッター、クリフォード・ブラウンのサウンドは、たしかに今も生き続けていることを、あなたも実感できることでしょう。
CLIFFORD BROWN MEMORIAL ALBUM
1953年6月9日, 8月28日録音
CLIFFORD BROWN(tp)
GIGI GRYCE(as,fl) CHARLIE ROUSE(ts) JOHN LEWIS(p) PERCY HEATH(b) ART BLAKEY(ds)[1-5]
LOU DONALDSONo(as) ELMO HOPE(p) PERCY HEATH(b) PHILLY JOE JONES(ds)[6-10]
1.HYMN OF THE ORIENT
2.EASY LIVING
3.MINOR MOOD
4.CHROKEE
5.WAIL BAIT
6.BROWNIE SPEAKS
7.DE-DAH
8.COOKIN'
9.YOU GO TO MY HEAD
10.CARVING THE ROCK