JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

シーツを替えました

2006年06月03日 | a-c

いやはや、西日本では暑い一日のようでしたが、我が地域は、夕方など肌寒いほどの気温となり、今はパーカーなど羽織っての更新であります。
ついこの前までは、冬用のシーツで快眠でしたが、さすがに夏物のシーツに取り替え、安心安心と思っていたら、なんだか今晩は冬物のシーツが恋しかったりして・・・

シーツといえば
ブログ仲間suing a-go-goさんより、「コルトレーンのsheets of soundについても取り上げてほしい」との、ありがたきコメントをいただきました。それはもう願ってもない話題であります。

さて、1958年以降、コルトレーンの「ビートを細分化した音で空間を敷き詰めるような演奏」を称して、「シーツ・オブ・サウンド」と呼ばれることとなります。
命名者は著名なジャズ評論家アイラ・ギトラー、ダウンビート誌1958年10月16日号の「'Trane on the Track」という記事のなかで、
"彼はこれまでも長いラインや複数音形を使ってプレイしていたが、1958年に入ってからは、言ってみれば、「シーツ・オブ・サウンド」とでも名付けられそうな独特のセクションをプレイするようになっている"
と表現しています。

「今までにない彼の演奏スタイルは、まるで、音がシーツを広げたように敷き詰められている、そんなプレイだ」ということだと思います。
以降、コルトレーンの代表的演奏スタイルとして、「シーツ・オブ・サウンド」という言い方が広まったのであります。

それでは、この「シーツ・オブ・サウンド」なる彼独特の奏法が、どうして生まれていったのか?
一つはマイルス・グループへの参加がもちろん大きかったでしょう。かのプレスティッジにおけるマラソン・セッションにおいて、半年あまりの間にもコルトレーンがどれほど、進化していったのかが聴き取れると思います。

ただ、「シーツ・オブ・サウンド」の確立には、モンクとのセッションがもっとも大きな影響を与えたのだと思います。

モンクは演奏中に踊り出したり、その場を離れたりというのが常でした。
コルトレーンは、モンクの複雑な曲に真っ向からぶつかっていきました、特に、モンクがピアノを離れ、彼のために伴奏コードを弾いてくれないときはなおさらのことです。

「私はいつでも、大きく力強い、しっかりとした音が欲しかった。ナインス・コードが出せるようになった逆にそのコードによって行き詰まるはめになった。そこで私は、フォース・コードの練習を始めた。しばらくして、ナインス・コードの場合よりボリュームのある演奏ができるようになった。モンクは私に完全な自由を与えてくれた。彼はよくステージを離れて酒を飲んだり踊ったりしていた。彼が戻ってくるまでの15分か20分のあいだ、私はすきなようにひとりで即興演奏をすることができたのだ」(コルトレーン)

モンクからコードに関するあらゆることを、学び取ろうとしたコルトレーン、モンクに必死に食らいついたコルトレーン、ここにこそ「シーツ・オブ・サウンド」の原点があると私は思っています。

「ピッチは安定していて、ビブラートはあまりかけない、抑揚もほとんどつけない音。
だから、一歩間違うと、敷き詰めた音がとんでもなくチープに聞こえてしまう」と評した方がいました。
私は全くそうは思いません。あの敷き詰められた音のなかに、言葉では言い表せない、音の数以上の深さと神秘性を感じます。

おっとと、熱が上がってきてしまいました。
「シーツ・オブ・サウンド」については、まだまだ言いたいこともどっさりありますが、「今日はこのへんで勘弁してやらぁ」なんちゃって

今日の一枚は言わずとしれたコルトレーンの名盤「SOULTRANE」であります。
「ソウルトレーン」といえば、タッド・ダメロンがコルトレーンのために作曲した美しいバラードの曲名ですが、ここでは演奏されていません。その代わりにダメロン=ベイシーの名曲「GOOD BAIT」を演奏し、ダメロンに敬意を表しているのでしょう。なんとも美しく演奏されています。
そうそう、「シーツ・オブ・サウンド」ね。
5曲目、「RUSSIAN LULLABY」、これがまさしく「シーツ・オブ・サウンド」の典型でありましょう。

SOULTRANE / JOHN COLTRANE
1958年2月7日録音
JOHN COLTRANE(ts) RED GARLAND(p) PAUL CHAMBERS(b) ART TAYLOR(ds)
1.GOOD BAIT
2.I WANT TO TALK ABOUT YOU
3.YOU SAY YOU CARE
4.THEME FOR ERNIE
5.RUSSIAN LULLABY