月曜日から木曜日まで、
教団の「補教師研修会」に行ってきました。
つい4年前まで対象だったけれど、
今回からはお世話役として。
コロナ禍でしばらくはオンライン。
昨年は三年次だけ対面でした。
今年は全員対面!
嬉しかったね♪
明日の教会を担う牧師の卵たちですが、
年々減ってきていて、
今回は24名の参加のはずが、
体調不良で3人欠席、
21名の出席になりました。
ちょっと寂しいですね。
でも、その分濃い交わりができたかな?
いつも最後の晩には、
三年次が補教師の二年半を振りかえって
証しをするのですが、
中にはすごく苦労されている人もいて、
心が痛みました。
歳の頃からすると、
うちの息子と同年代。
そう思うと余計辛い(T_T)
でも最後の礼拝で、
教育局長の説教に大変教えられました。
聖書の個所は使徒の働き20:17~27
「ご覧なさい。私は今、御霊に縛られてエルサレムに行きます。そこで私にどんなことが起こるのか、分かりません。ただ、聖霊がどの町でも私に証しして言われるのは、鎖と苦しみが私を待っているということです。けれども、私が自分の走るべき道のりを走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音を証しする任務を全うできるなら、自分のいのちは少しも惜しいとは思いません。」(v. 22~24)
「ご覧なさい。私は今、御霊に縛られてエルサレムに行きます。そこで私にどんなことが起こるのか、分かりません。ただ、聖霊がどの町でも私に証しして言われるのは、鎖と苦しみが私を待っているということです。けれども、私が自分の走るべき道のりを走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音を証しする任務を全うできるなら、自分のいのちは少しも惜しいとは思いません。」(v. 22~24)
主の働きに召されるというのは、
そういうことなのだと、
改めて教えられました。
だから、苦労している若い働き人を
かわいそがったり、
意思をくじいたりしてはいけないな~と。
むしろ、
イエスさまが共におられると、
大丈夫だと、
共にイエスさまの十字架を負おうと、
励ましていかなくてはいけないなと、
思わされたことでした。
感謝主!
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