6月って長い気がする。
いろいろあったしね…( ´Д`)=3
30日は誕生日だったけど、
5○歳最後の厳しい訓練だったね。
そんな中で出会ったこの講演。
いろいろと励まされたし、
考えさせられた。
ミニストリーの実を見るには時間がかかるということ、
牧師が成熟するのも時間がかかる。
神さまの召しについても語られました。
私が何かできるからではなく、
神が何でもできるから、神は私を召された。
私が完全だからではなく、
神が完全だから、神は私を召された。
そう思ったら、
自分の欠けや弱さ、罪深さで、
そんなに落ち込まなくていい。
弱さや欠けがあるからと言って、
自分は牧師としてふさわしくないと、
思わなくていいと思った。
そして主に召された者は、
自分ではなく、
神が自分を通して輝くことを
願わなくてはいけないこと。
召されたものは、必ず、
困難や理解されないこと、
誤解されたり、拒絕されたりする。
そういうことを通して自分に死に、
キリストが現れてくる。
私たちは土の器、
土の器は弱くてもろい。
しかし、私たちはそこに宝を入れている。
その宝に輝いていただくためには、
やはり自分を捨てること。
自分に死ぬこと。
みんなが自分に従ってほしいという支配欲に死ぬこと。
自分がなし得たことに注目し評価してほしいという欲求に死ぬこと。
あらゆる、自分が、自分がという
見せかけや行いを捨てるときに、
はじめてキリストの豊かさが現れるのです。
うんうん、
なるほどと、
聞く度にぐっとくる。
車を運転しながら、
もう5,6回聞いたかな(笑)
7月もがんばろっ😆
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