毎日のできごとの反省

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フィリピン沖海戦考

2015-11-01 19:07:54 | 大東亜戦争

 雑誌「丸」平成27年11月の特集では、フィリピン沖海戦の栗田の評価がほぼ真逆な論考が載っている。これを閲することは、フィリピン沖海戦の評価について、興味ある問題である。

 まず「史上最大の海戦『捷一号作戦』考」で小高正稔氏は、栗田艦隊は小沢艦隊が米機動部隊の誘因に成功したことを十分認識していなかったこと、上陸作戦を防ぐには上陸船団攻撃だけではなく、艦隊主力である機動部隊を撃破して制海権と制空権を確保することが最重要であると指摘する。

 そのために、サマール沖にいた正規空母(間違いであったにしても、そう認識していた)を叩くこと、北方にいると通信情報で認識していた機動部隊を叩くことは、「リスキーなレイテ湾突入」より選択肢としては正しい、という。だから反転は「謎ではなく、常識的思考の範疇である選択であったかもしれ」ず「・・・栗田の決断を『謎』とする考えは、有力な艦隊を全滅させても作戦目的を実現すべきだという、合理性と狂気の共存を許容する発想」であって「栗田の思考は、実はだれより正気であったかも」知れない、と結論する。 

これは、レイテ湾に突入しても上陸部隊を阻止することができる可能性が全くなければ、反転帰投する、という判断は氏の言うように正しいのかもしれない。しかし、一方で全滅を覚悟して北方に米機動部隊を誘導しようとした小沢艦隊からすれば、失敗しても全滅は免れなかったつもりだろうから、情報収集の努力もせずに成功しなかった可能性大、と判断されたのではたまったものではない。現に西村艦隊は、小沢からも栗田からも情報を得なくても予定通り突っ込んだのである。眼前でそれなりに有力な西村艦隊が全滅するのを見た、極めて弱小な志摩艦隊が逃走したのは仕方あるまい。

 もうひとつは桐原敏平氏の「『栗田艦隊反転のナゾ』に迫る」、という論考である。これは小生が過去に論じたものに近い。氏はまず、下記の疑問を提示する。

1.現に目の前にいた護衛空母を正規空母と判断していたのにこれを追いかけず、なぜ不確実な電信情報による敵機動部隊に向かったのか。しかも電信情報を受けてから三時間もたって機動部隊に向かったのだ。その電信も大和艦上において受信したのを記憶する者がいないなどの疑問が多く、捏造の可能性すらある、という。

2.西村艦隊を迎撃した有力な水上部隊がレイテ湾付近にいて、作戦命令は明確にそれを攻撃することを指示していたのになぜ無視したのか。

3.湾内に輸送船団がいなくても揚陸直後の上陸部隊を攻撃するのは有効かつ作戦命令にあったのになぜ実行しなかったのか。

4.レイテ湾突入が遅れるのが明白なのに、なぜ、西村と志摩艦隊に予定時刻変更の指示を出さなかったのか。これは同時突入の効果を狙うどころか、偵察機によりレイテ湾にいることが分かったため、敵水上部隊を西村・志摩艦隊に向けて、自分は脅威を避けるつもりだったと言われても仕方ない、という。

 以上の疑問は、かなり栗田艦隊の意図に疑義を持たせるのに十分である。氏は栗田は愚直に命令に従うとか、勇猛果敢である、という資質に欠けている、という。指揮官としての栗田はバタビア沖海戦やミッドウェー海戦において特異な行動をとったことからも明らかである、という。

 結論としては、どの時点でも栗田は何らかの情報を理由として、レイテ湾突入を放棄反転帰投したはずだ、ということである。このことは、栗田が最初から計画的に逃げ帰ることを考えていたのではなく、性格的に色々な情報から、そういう決断をするような性向があったというのである。

 三つ目は早川幸夫氏の「幻の勝利 もしもレイテ湾に突入していたら」というイフの論考である。これは従来のものと大きな違いはない。レイテ湾のオルデンドルフ艦隊は、全体的には必ずしも旧式な戦艦ばかりでなく、西村艦隊を撃滅した後でも、砲弾の残量は一海戦を戦う分は残っていて、栗田艦隊にしてもそれまでの海戦で、砲弾艦艇を消耗していたから、勝機はないであろう、という。

 勝機があるとすれば、西村艦隊と協働して突入したときであるが、それでも、別のアイオワ以下の米艦隊が海戦後に追いつき、ハルゼーの機動部隊が参戦し、最終的には日本艦隊は壊滅する、ということになる。海戦に限ってみれば、レイテ湾に突入すれば、確かに日本艦隊はフィリピン沖で壊滅する、というのは確実であろう。ただ早川氏は、栗田の判断が正しかったかどうか、という点には言及していない。

 三氏の論考を比較すると、小高氏は桐原氏が疑問視する北方の機動部隊の存在について、何も考慮していない点に無理がある。早川氏は艦隊の海戦の勝敗については正しいが、作戦の根本目的である、米軍の上陸阻止の可能性には言及していない。桐原氏はレイテ湾突入により上陸部隊を効果的に攻撃できる、と結論しているのだが、その後の陸戦の帰趨については論究していない。

 堤明夫氏は「サマール沖海戦の栗田艦隊砲戦実力」として栗田艦隊の攻撃の有効性を詳細に検討している。結論から言うと、砲弾の命中率については、混乱した実戦であることを考慮すると、まずまずであるが、水上戦の戦闘陣形が全くなっておらず、各艦が勝手に敵を追い回していただけで、艦隊司令部が全く機能していなかったとする。大艦隊が、低速の護衛空母と駆逐艦を相手に苦戦したのを見れば、当然の評価であろう。日本海軍は艦隊指揮官に砲戦の戦闘陣形を考えるトレーニングをしていなかったのではないか、とすら思える。

 この点は勇猛果敢にスリガオ海峡を突破した西村艦隊も、その士気は称賛に値するが、絶望的な戦いなら、少しでも戦果を挙げるための、積極的な艦隊行動が必要だったのであろう。例えば、結果論であるが、レイテ湾にはオルデンドルフ艦隊が並んでいたのは分かっていたのだから、まず水雷部隊を突入させ、全魚雷を一斉にレイテ湾に向けて発射することもできたのではなかろうか。酸素魚雷はやたらに射程距離が長かったから、めくら打ちしてもレイテ湾内の艦船に命中する確率は高かったのである。

 以上四氏の論考を総合すると、栗田司令部の戦闘指揮さえ適切ならば、サマール沖でも、レイテ湾でも日本艦隊は、より大きな戦果を挙げたであろうが、最終的には全滅する可能が高かったであろう。

 すると大きな疑問が残る。艦隊を全滅させてでも、米軍の上陸を阻止する行動を取り、米艦隊にかなりの打撃を与えることが出来た、として、その後のフィリピン戦の帰趨はどうなったであろうか、ということである。この点については、悲観的な論者が多い。それならば、捷一号作戦を発動しないか、日本海軍には別な戦い方があった、ということでなければならない。

 考慮しなければならないのは、何とか帰投した栗田艦隊であるが、大和は絶望的な出撃をし、多くの乗組員とともに沈没した。他の戦艦以下も呉に係留されて生かされることなく壊滅した。つまり、栗田が生きながらえさせた艦隊は、その後なすすべなく結局全滅したのである。

 小高氏の言うように、レイテ湾突入は狂気の沙汰であろう。だが、桐原氏の言う戦士の資質としての「命令を愚直なまでに忠実に実行し、かつ勇猛果敢に戦う気質」というのは戦闘には指揮官や兵士に共通する、必要な資質であるが、狂気の沙汰と紙一重である。日清日露、支那事変、大東亜戦争と、日本軍の将兵はそうして戦い、あるときは勝利したのである。日本軍が強い、と言われたのはそのためである。これらの論考には、台湾沖航空戦による海軍の戦果大誤認の嘘をつき通して、米軍のフィリピン上陸迎撃作戦を、陸軍に誤らせた海軍の罪も考慮されるべきだろう。


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