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GHQ焚書図書開封4「国体」論と現代・西尾幹二

2023-03-26 21:31:04 | 書評

 この本の場合にも、ひとつの論究にかなりの紙面を費やしているために、飽きる部分があるのは仕方ないであろう。

 国体論だから、民族の出自が問題にされる。辻善之助という人の「皇室と日本精神」という本の引用である。「或る時代に大和民族が出雲民族を併合して、或る程度の文明を持つてゐたらしい。出雲民族の文明といふのは即ち朝鮮の文明であるが、大和民族はその文明を受入れ、更に石器時代であつた時から、直接に支那文明を受入れて支那文明の非常に優秀なものを受取つて居る。かやうにして我が大和民族は比較的早くより、かなりの文明を作つて居たらしい。(P19)」と引用して、今の歴史書にもこういうことが書かれていて納得できるだろう、というのだが、そうだろうか。

 支那の文明を朝鮮経由ではなく、直接に受け入れていた、という話はともかく、出雲文明が朝鮮の文明だと言うのは一般的に書かれていることだろうかとは疑問に思う。出雲の人たちの出自は朝鮮系であると言うのではあるまい。天皇家が朝鮮から渡ってきたと真面目に言う人がいるが、それもあるまいと思う。元寇や鑑真の例に見るように、日本海を渡るのは至難の業である。大量の人間が日本海を比較的短期間に渡ってくるのは無理だろう。石器時代から支那の高度な文明を受入れていたとすれば、少数の渡来人が日本を支配するに至るのは、極めて困難であると思う。

 皇位継承の三条件(P90)の項は西尾氏にしては意外であった。山田孝雄の国体の本義にある、皇室の純一性を守るための三条件を紹介しているのだが、「・・・中断を認むべからず。一旦中絶して皇位をつぐ系統を除かれ、後に復興する如きはこれ純一系の本義にそむくものなり。(P91)」と引用して、GHQによる臣籍降下の強制があったのを復帰させよとの意見があるが、山田の意見では、駄目だと説明する。単に山田の意見をそのまま説明して自分の意見は述べないのだが、暗に賛成しているように思われるのが意外であった。

 しかし、かつての臣籍降下というのは皇族が増え過ぎる、などの事情によるものではなかろうか。少なくとも皇室を根絶しようとの外国勢力の強制によるものはなかったのである。しかも皇族に復帰した例は少なくはない。これらのことを考慮すれば、私は旧皇族の復帰を杓子定規に否定するべきではないと考える。少なくとも女系天皇への道を開こうという遠謀深慮の女性宮家の創設とは全く異なる。山田氏とて、存命で皇位継承の危うくなった現状を見たとき同じ意見に固執するとは思われない。

 中国には宗教がない、と思っている。ある人は、アメリカ人からキリスト教を取ったのが中国人だと言った。彼らには到底信仰心がある、とは思われないのである。西尾氏は「・・・中国には神話がありません。神話があったのを全部孔子が無しにしてしまった。・・・天子は「天」という概念に依拠します。それはややキリスト教の神に似たようなものでありますが、天は抽象概念であって人格神ではない。・・・天に祈ることができるのは皇帝一人なのです。(P142)」確かに1神教であれ、多神教であれ人格神がないところに宗教はない。

 だがその原因が孔子一人だけとは合点がいかない。神話を否定する素地があって、孔子はそれを整理しただけなのではなかろうか。部族社会の初めは神話があった。だが支那大陸の部族闘争で統一への過程で、人間不信の社会が生じ、その結果神話などという他愛もないことは信じられなくなったのではなかろうか。そういう現実的な支那の理論として儒教が生まれる素地があったのではあるまいか。

 これに対して、西洋、中国、日本のうちで「・・・神話と直結する点で日本の王権だけは違うのだ、ということをしっかり書いた本が必要だと思います。(P143)」といって新しい「国体論」が書かれるべきだと言う。その通りである。今の日本の混乱は皇室を中心とした新しい国体論が議論できないことに原因がある。GHQの策謀と、戦時中の過激な国体論への反発から、国体を論じる事すら忌避されている。西尾氏の言うように戦時中の過激な国体論は、追い詰められて戦争をせざるを得ないために勃興したもので、英米でもソ連でも、戦争遂行のため国民を鼓舞する宗教を利用した。(P143)

 私は兵頭二十八氏の本を批評して法輪功は民主化運動ではなく、支那の歴史に繰り返し見られたように、現体制から権力を奪って政権を簒奪する革命運動に過ぎないと書いたが、西尾氏も全く同様の見解を述べている(P146)。天安門事件での民主化運動の指導者も同様である。彼らの民主化要求は権力の奪取が目的であり、日本人や欧米人が考えていの用民衆とは関係もない。その証拠に、チベットやウイグルで行われている虐殺や民族浄化について彼等は何のコメントもしない

 よく言われる話だが、捕虜になった時に日本人だけが団結しない。敗戦時の満洲では、朝鮮人でも満洲人でも、仲間の一人がやられると、守ろうとして大勢が押し寄せてくるが日本人だけは、仲間を置き去りにしてこそこそ逃げてしまう。シベリアのラーゲリでも、抑留たちはソ連当局に媚びて、むしろ日本人が日本人を虐待しているケースが多かったという(P157)。国体の本義には、「和」と「まこと」が書かれているが、まさにこの和が村八分の論理であり、ラーゲリで日本人が日本人を虐待した論理である、と西尾氏は言う。まことも日本人だけに通用する論理である。日米貿易交渉でも、米国は自分でルールを決めて日本に押し付けると、日本の外交官は善処しますと言って結論を先延ばしにするが、しきれずにアメリカに押し切られて、自動車の輸出は年間○○万台に制限しますと押し切られた。結局まことも和もしたたかさがなければ世界には通用しない(P158)。

 日本民族の起源を探る(P230)という白鳥博士の説を引用した項は興味深い。西尾氏の言うように、天孫降臨について、戦後は高天原は朝鮮であり、日本を最初に支配したのは朝鮮民族であるという説が有力視されている。しかし、白鳥博士は、アイヌもギリヤーク族もツングース族も朝鮮民族も、文化レベルが低いから、日本民族の祖先とはなりえない(P233)という。文化が高いことから高天原が外国であるとするなら支那しか考えられない。すると、日本語は中国語に似ていなければならないし、思想も似ていなければならないが、そのようなことはないから高天原は支那でもない。結局高天原は外国ではなく、「心の世界」「信念の世界」であるという。そして出雲民族、天孫民族、熊襲といっても列島の中の部族のようなものであって、外国から突然来たものではない。もちろん元々は大陸や南方など色々な方面から来たものであっても、それは日本の歴史や神話以前の三万年あるいは十万年前というずっと古い時の事である(P236)と説明する。すなわち神話が形成された時から日本民族が始まったのではなく、神話が形成されるはるか以前から日本民族は存在した、というのである。日本人の言語や考え方、性格などを考えると小生にはこの説は真に腑に落ちる話なのである。騎馬民族だの天皇家は朝鮮から来て大和朝廷を作った、などという説は到底納得できるものではない。

 日本人の宗教は「万世一系の皇室」である(P244)というのも白鳥博士の説である。キリストは神の命令で生まれ、仏陀は法身仏の化身として生まれたのと同様に、天照大御神の命令によって、その子孫がこの世にあらわれた。それが天皇の系譜である。だから日本の宗教は皇室であると言うのである。仏教などの他の宗教には経典があるのに、日本にはないのは、キリストや仏陀は一回生まれただけなのに、天皇は連綿と続くから必要がない、それが長所であるというのである。強いて言えば五箇条の御誓文などの聖旨勅語が経典に相当するのだと言う。西尾氏は、そのことには賛同するものの、経典を持たない「天皇教」というべきものは、それゆえに弱点を包含している、というのだ。白鳥博士がそこに弱点を見なかったのは、皇室が盤石だと信じられていた時代に生きたのに対して、西尾氏は皇室の安泰に懸念がある現代を見ているからであろう。

 宗教については、キリスト教や仏教は「普遍宗教」と言われ、国境を越えた広範なものである(P118)といわれる。これはどちらも発生の地から外国に展開して行く間に普遍性を獲得したと言うのである。これに対して神道は日本の国内でしか通用しない閉鎖的なものである、という。しかし、日本人も普遍的な宗教を求める心があるので、仏教を受容したというのである。その結果、神仏習合という宗教となったと言う。これは神道と仏教が日本に併存するということの説明としては合理的であろう。しかし、神道に似た土着の宗教は元々世界中にあったのであって、それが普遍宗教に駆逐されたと言うのが世界の宗教事情であろう。小生には、日本だけが神道が追い出されなかったところに特殊性を見ることができるのであるし、その原因は恐らく宗教としての皇室が連綿と続いていたために、追い出されなかったということであろうと思う。

 戦前の国体観も、ある時期すなわち満洲での権益の喪失の危険性が発生した時期から、国民の団結の必要性から、バランスがとれた知的な意見が語れなくなっていった。西尾氏は戦後の言説として、逸脱した思想があったから日本は間違った道を歩むことになったと言うものがあるが、これは本末が転倒しているというのだ(P316)。「・・・思想が人を逸脱させ、国家を誤らせることはありません。」として思想などというものは灯篭のようなもので、必要があれば火を点け、なければ消すだけで、国体論というものは灯篭自体のようなものでなくなることはない、というが言い得て妙な喩ではないか。

 「大義」という言葉は戦後忌避されていているのだが、その結果「・・・あの時代の青年たちはどうして死を選ぶことができたんだ、なぜ死地に進んで赴くことが可能だったか(P366)という頓珍漢なテーマ設定になってしまうのである。そこで西尾氏は「戦前の日本人は『歴史』が自分たちの運命だということを知っていたんです。だから死ぬことができたのです。死ぬことは生きることだったのです。」と語る。特攻隊が志願であったのか強制であったのか、などという議論はこの点をわきまえないから発生するのである。周囲の制止を振り切って、妻とともに出撃した特攻隊員がいた、ということはそうでもなければ説明はできまい。我々は大義ということを忘れてしまったのである。大義ということに生きなければならない時代があった、ということを忘れてしまったのである。

 あの城山三郎さえも、「大義の末」という本を書いている(P353)。ここに紹介されている皇太子のエピソードはユニークなものである。城山らしき主人公の大学に皇太子つまり今上天皇陛下がやってきた。まだ少年である。帰り際皇太子は手を挙げて挨拶しようとしたが、学生たちが反応しそうになかったので、手を小刻みに震わせながら下げてしまう。「人ずれしていない素朴な一少年-その当惑のさまが、また烈しく迫ってくる親しみを感じさせた」と書いて、それが城山に残した気持ちは「・・・柿見の胸にあたたかなものがぐんぐんひろがって行った。何ひとつ解決されてはいない。だが『大義』つづく世界を考えていく上で安心できるきめ手を与えられたのだ。・・・いまとなってみると、皇太子を見るまでの心の混乱が、涙が出そうなほど滑稽に思われた。・・・『大義』の世界は仮構でも空虚でもなかった。・・・いま、あの皇太子に危難が迫れば、身を賭けるかも知れない。理屈ではない。」というものであったというのである。この時の城山はまだ、戦時の気持ちを忘れていなかったのである。

それを西尾氏は「説明できないものを皇太子殿下に感じた。・・・日本人は皇室に何かを感じているんですよ。それが信仰なんです。」と説明する。私も若き皇太子殿下を目の当たりにしたことがある。中学生のころあるイベントに参加するため皇太子殿下が車でゆっくり眼前を通った。イベントに行けなかった小生は近所の同世代の子供と自転車で道路の端をうろうろしていたらパレードに偶然出会った。当時はそれほど警戒も厳重ではなかったから、車に手が届く距離であったと思う。手前に美智子妃殿下が載っていたのは光の具合でよく見えた。皇太子殿下は奥にシルエットだけが見えた。その瞬間何とも言えない感情が走った。その気持ちは後にも先にも感じることはなかった。それが西尾氏の言う信仰なのであろう、と今は思っている。

城山三郎の落日燃ゆ、に死刑着前の皆が天皇陛下万歳、をしたのを主人公の広田弘毅が「今、漫才をしたのですか」と聞く場面がある。これは広田が天皇陛下万歳をしたのを皮肉ったのだという意味で書かれている。一方で博多訛りでは万歳をマンザイと発音するのだ、ということから間違いだという説もある。いずれにしても城山は広田が故意に万歳をするのを皮肉ったのだということを言いたいのである。ここには既に皇太子殿下に大義の根拠を見る城山は消え失せている。戦後日本人の変節の典型としか言いようがない。まこと皇室は危ういのである。

 


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2 コメント

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お早う御座います (テレビとうさん)
2023-03-27 08:28:05
「皇室と日本精神」と云う本では、日本の文明に関しては「~~らしい」と書き、外国の文明の場合は「~~である」と確定的に書いているようですが、この言い回しで多くの日本人が「ウソ」を信じ込まされている様な気もします。

私は本を読まないのですが、「論の評論の批評」には関心が有るので、これからもお願いします。
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コメントありがとうございます。 (猫の誠)
2023-03-31 21:42:46
「皇室日本精神」本について「日本文明については~らしい」と述べているのははっきりしていますが、「外国文明の場合は「~である」と確定的に書いている箇所については見つけることができませんでした。
 従って見当違いの答えかもしれませんが西尾幹二氏によって「多くの日本人がウソを信じ込まされている」ような気が小生にはしません。
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