毎日のできごとの反省

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フィリピン沖艦隊決戦の怪

2017-10-28 17:18:50 | 大東亜戦争

 日本海軍の伝統的対米戦略は、概ねこう総括できるそうである。対米開戦劈頭、フィリピンを占領する。米本土やハワイからの米軍からの応援は間に合わないから、フィリピン占領は可能だというわけだ。するとフィリピン奪還に、逆上陸船団を従えて、米主力艦隊が大挙向かってくる。それを日本艦隊が迎撃し、フィリピン沖か小笠原諸島付近で、日米艦隊決戦が生起する、というものである。

 そのため艦隊の練度を上げ、夜戦や潜水艦、航空機等により、漸減作戦をし、ワシントン条約等で対米戦力不足となった主力艦隊を助けるのである。現実にマリアナ沖海戦で勝利した後、米軍は大挙してフィリピン攻略を実行した

こう書けば、開戦の真珠湾攻撃は想定外であるにしても、フィリピン攻略部隊の迎撃と言う、日本海軍の想定はあながち見当違いではなかった。ところが、実際には海軍はフィリピン攻略艦隊を迎撃はしなかった。それどころか、易々と上陸されて後、ようやく捷1号作戦を発動し、迎撃体制を整えて待っている米艦隊に、兵力を分散して攻撃し、各個撃破されて、事実上日本海軍は壊滅した。

確かに、マリアナ沖海戦で海軍の航空艦隊は壊滅した。しかし、戦艦9隻を主力とした、水上部隊は残っていたのである。米艦隊のフィリピンに向けての航行途中なら、エンガノ岬沖で囮となって沈んだ小沢艦隊の4隻の空母を楯に、砲力戦を挑むと言うことも可能であったろう。現に栗田艦隊は、米艦上機の執拗な攻撃を受けながら、レイテ湾に向かって進撃した。米軍は栗田艦隊のレイテ湾突入が可能であったことを認めている。

まことに奇妙なのは、想定した米艦隊の襲来と言うのは、情報がなければ迎撃できないことが考えられていないことである。情報がないから、フィリピンに米軍が来ると予測しながら、迎撃できずに上陸を許したのである。現に珊瑚海海戦の原因となった、ポートモレスビー攻略作戦の情報を米軍は掴んでいたから、航行途中の日本艦隊の迎撃作戦が出来たのである。

国際関係の状況が違うとはいえ、かつての日本海軍はロシア艦隊の進路と時期の情報の収集に心血をそそいでいた。大東亜戦争の海軍上層部にはその片鱗すら見られない。いくら太平洋が広くても、米本土からは、ハワイを中継しなければ、フィリピンはもちろん、西太平洋海域には来られない。上陸されてから迎撃艦隊を派遣する、というのは大間抜けである。戦闘そのものには勝利した第一次ソロモン海戦も同様で、米輸送船団と支援艦隊が上陸地点に突入後、追っかけ三川艦隊が到着している。全てが後手なのである。

重巡インディアナポリスは原爆の部品を運搬するために、東海岸を出発し、パナマ運河、サンフランシスコ、ハワイと経由してテニアン島にたどりついている。米軍の東海岸から西太平洋の航行ルートの、ターミナルはわずかしかなく、明白なのである。

例えば長大な航続力を持つイ号潜水艦が、アメリカ西海岸、パナマ運河やハワイ周辺を看視する、といったことは可能であった。潜水艦を米西海岸まで苦労して長躯航行させて、水上機から僅かな爆弾を投下するなどということはやらせたのに、米軍の輸送ルートの情報収集に失敗しているのは、奇異としかいいようがない。


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