毎日のできごとの反省

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書評・凡将 山本五十六・生出寿

2014-02-15 13:31:00 | 大東亜戦争

 軍人としての山本五十六を評価しないのは生出氏の持論である。海兵出身の氏だから意外である。山本や海軍を強引に贔屓にするのは、海兵出身でも戦時に高官であった人が多いようである。生出氏の結論は、山本は軍政家に適していて、軍人としての資質はない、ということであろう。

 真珠湾の工廠や重油タンクを破壊しなかったのは失敗であったというのは間違いで、燃料はタンカーで運べばいいし、艦艇の修理や整備は工作艦でかなりできるから、不自由するのは3,4カ月に過ぎない(P89)、というのだがどうであろう。これは日本海軍が真珠湾への補給阻止、ということを全く考えていなかったことを是認するからである。

 山本は戦艦無用論に近い発言をしながら、戦艦を狙ったのは、日米両国民に戦艦に対する尊敬新があるから、これを屠った際の心理的効果が大きい(P94)といったが、山本の心理としては納得できる話である。ただし、真珠湾にいたのは旧式戦艦ばかりで、アメリカは、開戦後ノースカロライナ級、サウスダコタ級、アイオワ級と次々と建造し、大和級2隻しか完成させえなかった日本とは戦艦戦力が違う。

 珊瑚海海戦では多くの戦訓が得られた。米海軍機攻撃精神は強い、索敵が重要である、米軍の迎撃戦闘機と対空火器の威力は大きい、雷撃機は遠距離から攻撃するので回避が容易である半面、急降下爆撃機は突然出現し命中率は低くない、などである。これについて、意見具申したにも拘わらず山本や伊藤軍令部長は無視した(P136)。山本が戦訓を全く取り入れようとはしない、というのは戦死するまで続いた。ハワイ・マレー沖海戦、珊瑚海海戦というのはいずれも、日本海軍にとって史上初めての航空機による艦船攻撃だから、必死に戦訓を得ようとするのが普通の軍人である。それをしなかった山本は指揮官失格である。

 ミッドウェー作戦の主目的は敵空母の誘出撃滅で、攻略はその方便だったというのは、連合艦隊司令部の責任回避の方便で、後からのメイキングだったろう(P153)というのはいつもながらあきれた話である。山本は搭載機の半数を敵空母出撃に備えよ、と言ったという証言は怪しいというのである。そもそも山本ら連合艦隊司令部は、米海軍は珊瑚海で2空母を喪失し、空母の主戦力は豪州方面にいた、という判断であったのである(P154)。海軍の幹部は当時も戦訓を取り入れようとしなかったばかりではなく、戦後も嘘をついて事実を隠ぺいしようとしている。

 そればかりではない、巷間言われる、山本が半数を敵空母に備えさせろ、という指示をしていたが南雲艦隊が無視したと言うことを言われる。それが事実なら、南雲艦隊にそれなりの体制を事前にとらなければならない。単に陸上爆撃を実施する各艦の艦上攻撃機の半数に常に雷装をさせよ、というのでは爆撃作戦中も空母攻撃実施時にも混乱が生じる。空母攻撃には艦戦も艦爆も待機していなければならない。山本の指示が出ているのなら、空母の編成を陸上爆撃用と、空母攻撃用の二部隊に分けなければならない。山本は事前に艦隊の編成を確認しているから、そのようになっていないことを知っていたのである。指示に違反した艦隊編成にしていたのなら山本は激怒して直させたはずである。つまり山本は半数を空母出現に備えさせよなどという、指示など出していないのである。この言葉は山本シンパが後からでっち上げたのに違いない。

 米海軍はウェーキ島攻略でとらえた監視艇から暗号書を捕獲し、暗号を解読していた。同じ暗号書前海軍で使われていたから、それ以後の作戦は全部ばれていた。これに対し陸軍では、トイレットペーパー方式といい、暗号のキーも使用規定も一度限りであった。海軍から海軍の暗号方式を聞いたある陸軍将校は、必ず解読されるとあきれていた。陸軍の大演習の時は甲軍と乙軍の暗号書をちがえ暗号解読も演習に含まれていたが、海軍では敵味方とも同じ暗号書を使っていたから暗号解読の必要はない。

結局米軍も陸軍の暗号は解けなかった。さらに陸軍では、士官学校の成績優秀者を暗号担当将校にし、海軍では兵学校の成績の中くらいのものをあてていた。(P159)不合理の塊のように言われる陸軍はここまで情報を重視していたのである。戦前、山本は駐米大使館付武官をしていたとき、補佐官たちに「成績を上げようと思って、こせこせ、スパイのような真似をして情報なんか集めんでよろしい」といっていた(P160)位だから山本の情報軽視の程度が分かる。

ミッドウェー作戦に対して軍令部作戦第一課が、攻略はできても、ミッドウェーは直近の日本軍の基地よりハワイの方が近く、機動部隊で簡単に奪還されると理路整然と主張し反対した。これを軍令部にも山本長官にも伝えたが相手にされなかった(P113)。結局山本は山勘や思い込みでものごとを決定する人であったのだ。緒戦の大戦果に海軍軍人は慢心していた。その頂点に山本がいた。しかし、緒戦ですら米機動部隊は、ゲリラ的に出現して意外な戦果を挙げている。海軍がその点に不安を持った節はない

山本は、ミッドウェーの敗戦で司令部の南雲、草鹿、源田らの幹部を馘首どころか責任追及もしなかった。生出氏は、山本が部下たちの責任を追及しなかったのは自身も問われない道を選んだ(P180)、と酷評しているが当然であろう。

米国側は、日本の行動を知り意表をついて攻撃し、運もあり勝てないはずの作戦に勝利した、という元防衛研修所職員の、ミッドウェー海戦の評価を紹介している(P181)がどうだろう。艦上機数ですら米海軍より圧倒的に戦力が大、というわけではなく、陸上機まで含めた航空戦力は米軍の方がかなり優勢だったのである。氏も南雲艦隊の練度に幻惑されているように思われる。小生は南雲艦隊が空母攻撃隊を全機発進させることに成功したところで、相打ちに近くなっていたと考える。前述のように米軍の迎撃戦闘機と対空火器の威力は大きく、明らかに日本海軍を上回っていたからである。

日本の敗因は、航空過信、偏重であったと言うが(P203)まさに山本五十六はその通りであった。昭和九年に駐米武官をした山口多聞はスパイのデータから、米海軍の36センチ砲以上の大口径砲の命中率は日本の1/3であり、他の調査でもこれは裏付けられている。その他零戦隊が制空権を奪って日本だけが艦載機による弾着観測ができる、などの有利な要因がある。従って対米6割の兵力でも艦隊決戦には勝利できる(P205)、という。

結局海軍は伝統の邀撃作戦で戦った方がよかったというのだが、そうだろうか。氏も、戦争は陸軍による陣取り合戦で、海軍はその補給や補給阻止をする補助者である、ということを忘れて単純かつ抽象的に艦隊決戦なるものが生起すると考えている。日本海海戦もバルチック艦隊がウラジオに回航されて、日本が大陸への補給線を断ち切られるのを防止するために、艦隊の回航を待ち伏せた結果として起こったのである。米海軍もその後、指揮統制システムや火器管制システムの飛躍的向上によって、大東亜戦争当時は主砲弾の命中率は向上していた。ただし、航空偏重よりは艦上戦闘機により制空権を握って敵空母機の攻撃を阻止している間に、主力艦の砲撃力で攻撃する方がましであった、という説には賛成である。なぜなら航空機による敵艦船攻撃による損失は米海軍に比べ日本海軍の方が大きく、損失の補充も困難であるのに対して、当時は砲弾自体を迎撃するのは不可能だからである。

山本の機上戦死に関する記述は実に奇妙なものである。なんと、「山本は後頭部から額に抜ける銃弾で即死していた」(P218)というのである。検死その他の調書では、頭部に傷があっても僅かなものである、と言う点では全て一致している。そもそも撃墜したP-38の機銃はほとんどが12.7mmで、少しの20mm機銃もある。12.7mm機銃弾が頭部を貫通したら、頭部は粉砕されている、というのが武器の専門家の一致した見解である。小生のごとき素人の知る知識を元軍人の生出氏が知らぬはずはないのである。

また、山本のラバウル視察は、戦争の前途に悲観したために、故意に少数の護衛でわざと危険なところに行ったという「自殺説」が案外根強い。だが、この計画は宇垣参謀長が強く主張して実現したもので「・・・陣頭指揮ということがはやっているようだが、ほんとうをいうと、僕がラバウルに行くのは感心しないことだ。むしろ柱島に行くなら結構なのだがね。・・・」(P213)と語っているから、視察は本意ではなかったから自殺ではない。結局山本はい号作戦の成功の誤報を信じて楽観していた。小沢、今村、城島のような実務家が視察中止か護衛を増やすように行って聞かせなかったのを聞かなかったのも、いちどこうと思いこむと他人の意見を無視する性格が表れたのだ(P221)という。

 


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