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ゼロ成長の時代

2016-04-09 15:12:28 | 政治経済

ゼロ成長の時代

 経済は成長し続けなければならないものである、というのは一種の定理のようなものである。およそそんなことを聞いたことがある。現に日本の経済関係者は、現在の経済成長の少なさを問題にしている。しかし、平成28年4月6日の産経新聞の正論に榊原英資氏の「先進国が迎えたゼロ成長の時代」という論説が載った。論旨は、欧米の近代資本主義諸国は、覇権国は戦いにより入れ替わったが、フロンティアを開拓することによって、高度成長を続けていた。だが20世紀末までの成長に比べると、21世紀には先進国の成長は止まった。

 原因は先進国のフロンティアであったアジアもアフリカも、世界経済の重要な一部となり、フロンティアではなくなったこと、産業においても開発しつくされて、フロンティアとしての新たな分野が開拓されることもなくなった、という。結論はゼロ成長を容認し、「豊かなゼロ成長の時代」となるだろう、と言うのである。

 小生は結論には賛成である。冒頭のような成長の原則については、以前から疑問を持っていた。ただでさえ差のある先進国と発展途上国間で、先進国が発展途上国を引き離して、さらなる経済成長を続けるのに無理がある、と思うのである。だが榊原氏のフロンティア論は肝心な点が省略されているし、日本のケースは、西欧とは異なると言う点が無視されているように思われる。

 近代資本主義の始まりは16世紀からだとしているが、この時代からは西欧の植民地拡大による侵略という搾取によるものであり、フロンティアなどという綺麗な言葉とは程遠いものである。西欧諸国は植民地では暴虐の限りを尽くした。そのことを日本人は忘れてしまった。英国はインドで紡績職人の手を切り落としたのは有名な話である。そして第二次大戦後、植民地が急速に消滅すると、旧植民地は貿易相手や労働力供給と言う立場で、先進国の成長を支えた。植民地時代に比べれば、よほどましになった。

 その後、旧植民地が世界経済のプレーヤーとして参加すると、先進国のフロンティアではなくなった、というのは榊原氏の言う通りである。日本の場合には、欧米諸国の場合とは異なる。開国以来、近代資本主義社会に参加しても、植民地搾取により利益を上げることはなかった。むしろ、朝鮮、台湾などと領土拡大はしても、投資してかの地の近代化に奉仕したのである。この時代の日本の成長は搾取ではなく、自助努力であった。

 戦後はまた異なる。高度成長期は欧米諸国とのコスト差と、技術力の蓄積で成長を続けたのである。欧米諸国にキャッチアップすると、その後は戦後の欧米諸国と同様に開発途上国を利用したのだが、結局は欧米と同じく低成長に陥ったというのも榊原氏の言う通りである。

 また、「産業分野においてもフロンティアは開発しつくされ、新たな分野が大きく花開くことはなくなってきて」いる、と断定するのは早計に過ぎるように思われる。技術の進歩と飛躍は今後も続くと思うからである。ただ直観であるが、大きな経済成長に貢献するような、技術の飛躍と新たな産業分野が出現することはないように思われる。ただし「豊かなゼロ成長の時代」に貢献する新技術は現れると思う。