毎日のできごとの反省

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書評・こんなに弱い中国人民解放軍・兵頭二十八・講談社+α新書

2016-02-14 17:02:39 | 支那大陸論

 久しぶりに兵頭氏らしい、明快な評論を読んだ。何故中国が欧米の科学技術を獲得できないか、を小生の理解と同じように書いていたので納得した。ただ、パリ不戦条約の解釈は相変わらずおかしい。氏は「中国」の地理的概念をシナと書き、中華人民共和国の略称を中共とする、と書いているのは正しい。(P11)いつの間にか保守の人間ですら、中共から中国に乗り換えている。

 AWACSさえあれば、前世代戦闘機でも十分最新鋭機と戦えるので(P33)、コピーなど色々な方法で中共は入手しようとしたが、4機製造したきりで終わった。つまり失敗作で、まともなAWACSを持てないのだ。

 兵頭氏は中共軍を旧日本軍と比較して批判するのだが、当たりも外れもある。日本の文官指導層や宮中が陸軍を掣肘牽制するために、海軍を大きくしてバランスさせたのと同じ方法を中京政府はとっている(P68)というのだが果たしてそうだろうか。

 軍事指導体制の本来の姿をとっていて、海軍が陸軍の下にあったのを対等にしたのは、山本権兵衛の執念であって、陸軍が暴走するのを掣肘するためではなかった。本書でも氏は陸軍の横暴独裁を言い募るが、それは戦後誇張された風評である。満洲で関東軍が暴走したと言われるのは、政府の無策で、関東軍が起たざるを得なかった、と小生は考えている。満洲における支那人の無法に対しては、国際法上合法なやり方で、満洲を保障占領することも、親日政権を樹立することも可能だったのであるのに、政府は無策だった。

 中共が大海軍を目指しているのは、氏自身が指摘するように(P68)、大陸周辺の資源に目をつけたことや、台湾併合などの役に立つからであろう。また改革開放で、金のかかる巨大な海軍を持つゆとりができたと考え、本来の覇権思考が頭をもたげたのである。

 井上茂美の「新軍備計画」を持ち上げて、太平洋の島々を本土から近いところから逐次占領、航空基地化して、資源航路を確保する戦略を取れば良かったので、中共も似た構想を推進している、というのだ(P77)。このアナロジー自体は正しいとしても、太平洋上の島々に作られた日本の基地は、米軍によって次々と無力化されるか、あるいは玉砕していったから策としては間違っている。島嶼の航空基地は、自在に動き回る、空母機動部隊に歯がたたなかったのは、戦史が証明している。

 中共についても、氏自身が、大陸周辺の浅海やマラッカ海峡は機雷などによって容易に封鎖され、中共の体制自体が崩壊するきっかけになる(P94)と書いているのである。中共海軍には、対潜作戦能力と、掃海能力が全くない、というのだ。これらの地味な能力の整備を後回ししたのは、確かに日本海軍に似ている。戦後、日本周辺や朝鮮戦争で日本が掃海に尽力したのは、必要性の賜物である。

 日本海軍の大間抜けは、「西太平洋域にやってくる連合軍潜水艦の出撃基地が、豪州西岸の『フリーマントル港』であったという事実すら、戦争に敗れるまでつかんでいなかったのだ。もし分かっていたら、こちらの潜水艦で機雷を撒くことにより・・・(P83)」というのだからあきれる。日本海軍はやはり、本気で対米戦などを考えていなかったから、この程度の情報収集すらしなかったのだ。

 小生に理解できないのは、氏が戦前の日本も現在の中共も文民統制国家ではない(P114)」と断言していることである。中共は軍隊が政府の言うことを聞かない国である、ということの証拠を提示している。本当だろうか。ソ連のシステムを導入した中共は、党が国家の上に立つという典型的なファシズム国家である。戦前の日本はファシズム国家ではなく、最後まで憲法が機能していた、文民統制国家である。毛沢東や東條英機の真似をするしか能のない習近平(P140)というのは認識間違いも甚だしい。東條は独裁者ではない。合法的な権限を行使しただけである。独裁者が合法的に倒閣されるものか。

 中共は、ニクソン時代に毛沢東が米国とICBM競争をしない核秘密協定を結び、米国に届くICBMの数を実戦用にはならない程度の数に限定していて、その方針は毛沢東以後のトップも引き継いでいるのだという。それは毛沢東が中共にとって神の存在であり(P117)、変更できないからだそうである。本当に毛沢東のカリスマは残っているのだろうか

 パリ不戦条約で先制攻撃による侵略戦争が違法化された(P145)というのは氏の持論だが、何回も別稿で書いたように、不戦条約では米英ともに自衛戦争か否かは当該国自身が決める、と留保している。つまり不戦条約は成立当初から有名無実である。しかも、米国自身が経済制裁は戦争行為だ、と言明しているから、先制攻撃をして侵略したのは米国であって、日本ではない。

 氏は正当な軍事行動であることを広報しないと、国際的に不利になるという例として、国連から軍事制裁が決議されることすらある(P146)とする。軍事制裁は国連軍が編成されて、北朝鮮や中共軍と戦って実現した実例がある、と言いたげなのだが、朝鮮戦争で安保理での軍事制裁が決議されたのは、ソ連が故意に欠席して、拒否権を発動しなかったための、例外中の例外である。従って、侵略行為に対して、国連軍が編成されて、被侵略国を助けてくれる、などいうのは絵空事であることは、兵頭氏のみならず、世界の常識であろう。

 前述のように支那の科学技術に関する氏の認識は正しい。「・・・幾世代も超えて、技術者が経験とノウハウを蓄積しなければならない最先端のエンジン工学のような分野で、シナ企業は、世界に何も貢献できないのである。(P159)」ということである。中共や韓国に日本の技術者が行くから、日本の先端技術が盗まれる、ということは、このような訳であり得ないことである。

 彼等は外国の技術者の指導の下、外国製の生産設備を設置してもらい、指導されるままに労働者が働いて、教えてもらった製品を作るだけである。欧米や日露の最新技術のノウハウが中韓に定着することはない。技術の伝承は、教育や社会組織などのシステムが整備されていないと、できないことである。中共軍が保有する、最新の戦車も中身はソ連のT-72なのだそうで、外見だけ違って見えるようにしてあるのだそうだ。だから日米欧露の戦車には歯が立たない。

 最終章は「弱い中共が軍が強く見えるカラクリ」という気の利いたものである。結局シナは近代国家にはなれず、シナ本土は匪賊の聖域(P204)だというのは本当である。「中共軍は戦えば弱い・・・逃げようとすれば、彼らの反近代的なルールが勝利を収めるだろう。逃げずに受けて立てば、それだけで中共体制は滅び、アジアと全世界は古代的専制支配の恐怖から解放されよう。(P206)」というのは、兵頭氏らしい卓見である。