収入が、平均よりだいぶ下回る私にはあまり関係無いが、どうやら、日本国政府は増税を考えているようである。増税しなければ、日本国の経営は成り立たないというわけがあるらしいのである。そりゃあ大変だ。ならば、協力せねばならない。・・・のか?
公共工事を拠り所とする建設工事会社は、バブル以来概ねどこも経営が厳しい。公共工事額が減っているからだ。倒産した会社も多かろう。でも、まだまだ頑張っている会社も多くある。収入増がさほど見込めないとなった会社は、支出を押さえることにする。職場の細かな経費削減もあるが、大きなものは人件費削減、リストラだけでなく、ベースアップやボーナスの廃止、給与のカットなどの手段がある。私はその全てを受けている。
給料が少なくなった従業員は、これはもうしょうがないのだ。経営責任は当然問うが、しかし、問うたからといって、会社の業績が上がるという保証は無い。会社の業績については、従業員一人一人にもいくらかの責任がある。社長以下管理職が、給与4割カットというならば、従業員も1割程度のカットは許せるのではないか。
歳出削減も考えている、などと役人はおっしゃるが、考えてないで、そのように動けと言いたい。増税より先に、出る金の無駄遣いを無くすことが先なのは当然だろう。
特殊法人の役員が受け取る退職金の総額は毎年約28億円、給与総額は約124億円。在職2年で退職金が1千万円近いという天下りさんたちは、よく知られている通り、無駄な箱物を作っては赤字垂れ流しにする団体の長であったりするが、年間2千万円余りの給与を貰いながら、本人たちはあまり働かない。ゴルフや海外旅行、高級料亭や銀座のクラブで飲み食いすることが仕事の人も多いらしい。
特殊法人改革で、給与や退職金の額も減らされることにはなっているらしいが、また、役人の再就職先が見つけにくいということもあるらしいが、それにしても、天下りのための子会社を作り、やらなくてもいい仕事をし、仕事は独占して価値以上の不当利益を得るなんて、それはそれは、もう、たいそうな無駄遣いだろう。
国が自らを律し、無駄を無くすために100%の努力をしたというのであれば、「国の財政のために50%ばかりの協力を国民にお願いしたい。増税したい」と頼まれても、そうですか、それならば協力しましょう、という気持ちにもなるのだが・・・。
働いて得た給料の分で国民は生活しましょう。身の丈生活でつつましく生きましょう。その前に、国と地方の政治家や官僚たちこそが、借金だらけになったこの国の身の丈にあった生活をしていただきたい。小泉さん、貴方の小泉改革は、国民負担が先なの?
記:2004.12.17 ガジ丸
日本の子供たちの学力が落ちた、と先日、テレビのニュースでやっていた。知識の量が減ったというのであればそう気にならないが、物を考える力が落ちたというのであれば少し心配になる。今、政府がやろうとしていることはどういうことか、を考える国民が減ってしまうことになる。権力者たちの巧みな嘘に騙される国民が増えるということになる。
仕事関係以外の本はほとんど読まない。大学は文学部日本文学科だったのだが、その頃から芥川賞作家、直木賞作家などに興味を持てなくて、以来、それらの作家の作品をほとんど読んでいない。で、「ノルウェーの森」を知らない。それを書いた超有名な作家の名前を今、(喉まで出かかっているのだが)思い出せない。前回、知識はさほど必要ではなかろう、というようなことを書いたが、それは、そんな自分へのいいわけ、自己擁護も少し含みつつ、でも、やはり、そんなこと知らなくても何の不安も持っていない。
スーパーのレジのお姉さんもバスの運転手も算数なんて加減乗除程度で良かろう。微分・積分なんて、いったいどれだけの人が大人になってから使っているのだ。理工科系の仕事に携わっている人以外ではそうはいるまい。理系の仕事に進みたい、数学に興味があるっていう子供たちが、好きな数学の知識を深めていけば良いのだと思うのだが・・・。
一人の人間が一人の社会人として自立して生きていけるための基礎学習においては、知識の量では無く、考える力をいかにつけるかが大切なのだと思う。ナクヨとかイイクニとか年号なんて覚える必要はない(もちろん、好きな人は覚えていい)のだ。奈良時代、平安時代、鎌倉時代という時代の流れを大まかに覚え、何故そのような時代になったか、何故その時代が滅びたかなどの、「何故」を考えるようにしたら良い。
考える力をつけると、自分は何が好きか、自分に必要な知識は何かなどということが解ってくるのではないか。・・・などと偉そうなことを宣うガジ丸であったが、
ガジ丸HPを立ち上げた当初に、HP内のメールアドレスが間違っていると義兄に指摘された。しかしHP作成ソフトの使い方を良く知らない私は直せないでいた。先週、友人からも同じ指摘を受け、ついに、今まで開くことの無かったHPソフトのマニュアル本を開いて、やっとアドレスの直し方を覚え、直したのだった。
開いたついでに、マニュアルを少し読んでみた。そしたら、これがまた、「え!こんなこともできるの。こんなことが、こんな簡単にできるの。」などの発見でいっぱいだった。
まったく、「自分に必要な知識が何であるかが解る」などと、いかにも自分はそうできるかのような大言壮語をしてしまったが、言っている本人がこんなもんである。自分に必要な知識が手元にあるのにも気付かない。それもこれもテーゲー(だいたい)で生きているウチナーンチュの性質のせい、ということにしておこう。
気付かない、見過ごしてしまう、知っていても努力しない、なんてことはよくあること。どうやらこの世は、自分の好きなことでさえその知識を十分に得るのは難しいようだ。その上さらに、自分の好きでないこともたくさん覚えなければならない現代人の人生というものは、重い荷物を背負って坂道を登るが如く(家康)であるようだ。大変ですなあー。
記:2004.12.17 ガジ丸
先週木曜日、ネコの糞を踏んで、土曜日の昼食後に、糞を踏んだ靴と糞まみれになった車の運転席のマットを洗った。燦燦と輝く太陽の下に干した。
その日の夜は那覇で忘年会があった。忘年会の前に、宮崎駿監督の映画「ハウルの動く城」を観ようかと思い、新聞で上映時間を調べる。3時55分開始のがあった。映画館は那覇新都心にある、2時43分のバスに乗れば十分間に合う。途中、新都心の草木の写真でも撮りながら、柔らかな陽射しの中、のんびり散歩しながら行ける。
アパートからバス停までは5分ほど、余裕をもって10分前に、よっこらっしょと立ち上がった。座卓の上に重ねられていた数冊の本に気が付いた。図書館から借りた本、返却期限は今日、真面目な私はバスを諦めて、本を持って図書館へ向かった。
実は、図書館のちょっと手前に別のバス停があり、そのバスはモノレール首里駅前で停まる。バスからモノレールに乗り換えても新都心までは30分ほどで着く。映画の前に、草木の写真を撮りながらのんびり散歩する時間は十分ある。
図書館の20mほど手前にあるバス停を過ぎ、さらに10mほど歩いたところで、バスが通り過ぎた。この路線のバスは20~30分置き、次のバスまでは待てない。本を返した後、首里駅まで歩いた。太陽が輝く中、10月並みの気温の中、汗をかいた。
のんびり散歩する時間があるかどうか微妙であった。が、思い切って映画館近くの駅の一つ手前、古島駅で降りる。映画開始までの余裕は30分、普通に歩けば大丈夫。
でも、その時、普通には歩けなかった。新都心には面白そうな建物が一杯あって、あれこれ眺めているうちに映画の時間が迫ってしまった。急ぎ足になり、汗をかき、遅れた。
忘年会で飲んでいる時に雨が降った。マットと靴を干してあったのを思い出した。
そんな、不運な日ではあったが、映画「ハウルの動く城」は楽しかった。宮崎駿監督の思想と感性はちゃんと表現されていたと思う。絵もきれいだし、音楽も良かった。が、「千と千尋」に比べると、そう大きな感動は無かった。で、今回は「ハウルの動く城」の感想では無く、2年前の「千と千尋」の感想、友人たちへ送ったメール文をそのまま。
千と千尋とハリーポッター
私はハリウッド映画が好きではない。ハリウッド映画の全てがそうだとは思わないが、概ねテレビドラマ「水戸黄門」と同程度に底が浅い。視聴率を稼ぐために妥協したり、あるいは姑息な方法に頼り、または大金に頼り、何かあくせくしているようにしか見えない。
「ハリーポッター」は退屈だった。善人がいて悪人がいて、どんでん返しがあって、善人が勝つというパターンは予想通り。スクリーンを見ながら、私は「千と千尋」のことを考えていた。「千と千尋」には生命に対する優しさが溢れていた。敵対する者は抹殺しろといったブッシュ的短絡思考では、「千と千尋」の慈愛にはとうてい及ばない。
記:2004.12.12 千と千尋とハリーポッターは2002.7.27 ガジ丸