ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

人力時間

2004年12月03日 | 通信-社会・生活

 先週土曜日、鹿児島からきた友人Nと久高島を歩いた。久高島は知念村に属する小島。周囲約7.8km、人口200人前後。本島から5kmの距離だが、橋は無い。安座間港からフェリーと高速船が出ている。高速船での所要時間は約20分。
 いくつかの御嶽(ウタキ)以外には特に観光名所があるわけでも無い、特別きれいなビーチがあるわけでも無い、そんな久高島なので、観光地化はされていない。ダイビングショップも無い。リゾートホテルも無い。よって、沖縄の田舎の風景が十分楽しめるだろうと期待した。
 周囲が約7.8kmしかないということなので、島を一周してみようということになり、オジサン二人トボトボ歩く。車がすれ違うような大きな道(といっても幅員4~6m)はコンクリート、またはアスファルト舗装されている。島に滞在していた3時間の間に、そういった舗装道路を車が走るのを見たのは4、5台もあっただろうか、車同士がすれ違うのは一度も見なかった。
 舗装道路は、港から港のすぐ傍にあるの周辺と、島を縦断する幹線道路だけのようで、から抜け、ちょいと脇道へ入ると、そこは昔ながらの沖縄の道。私が子供の頃は那覇市内でもあちこちに見かけられたイシグー(コーラル)の道。昔ながらの沖縄の白い道だ。白い道は足の裏に優しい。「急げ!モタモタすんな!」などと人を急かさない。のんびり、ゆったり歩いていくのに適した道。歩くための道と言っていい。
 道の海岸側はフクギ、アダンらの木々が並び、もう一方は主に畑となっている。キャベツ、ニンジン、芋などが植えられてあった。景色を眺めながら、島の空気を感じながらの時間は、隣の同行者がオジサンではあっても、十分に楽しいものであった。
 久高島の白い道をのんびり歩いていて思った。人間が生きるには、それに適した速さがあるだろう。歩く速さで生きると楽な生き方ができるかもしれない。忙しいときには、せいぜい走る速さで働くが、基本的なリズムはアンダンテなのではないかと思った。
 人間がその能力の範囲内で進む時間のことをたとえば人力時間とすると、車に乗って進む時間は機械時間となる。何が違うかと言うと、人力時間で進む限りではなかなか死ぬほどの事故は起こらない。人と人が走ってぶつかったとしてもちょっと怪我するくらいだ。人力時間で進む限りでは、したがってそう深く相手を傷つけることは無い。
 人力時間の、歩く速さで進んでいると、道端でアリの数匹が歩いているのに気付くこともある。風に匂いがあることにも気付く。機械時間で進んでいるとそうはいかない。足裏に大地の温もりを感じることもなく時が過ぎていく。自然が「見て、見て」と声を掛けているのにも気付かない。機械時間は、人間の能力の限界以上で進んでいるということかもしれない。そういう日常はきっと疲れるに違いない。毎日毎日ぐったりなのだ。現代人は皆、お疲れ様なのだ。久高島の白い道を歩きながら、オジサンはそう思ったのだった。

 記:2004.12.3 ガジ丸