「携帯電話の電源はお切りください」「席をゆずりましょう」「危険物の持ち込みはおやめください」「犬のフンは飼い主が責任をもって始末しましょう」…目に耳に飛び込んでくるお願い、諸注意。そうゆうのっていちいち言われへんとアカンのかなー?なんや子供っぽいなー。外国で見かけへんなー。と思っていたところで読んだのがこの本。
ドイツ哲学とフランス哲学が専門の二人の大学の先生。二人とも巷に溢れる「騒音」が大嫌い。店に文句を言い、本社に文句を言い、本人に面と向かって文句を言う。日々マナー違反の者たちと闘う。そんな二人の往復書簡がこれ。
大学の先生というかなり「まとも」な人たちであるはずなのに普段からなかなか過激な言動。しかも哲学者らしく非常に理屈っぽい。
私は騒音よりも目に飛び込んでくる車内の注意のようなビジュアル方面の方が気になっていた。似たようなものと言えば似たようなもの。しかし二人のおじさんがかなり厳しいやり取りを読むと、ちょっと冷めてきた。(悲しくなったときに、自分よりも激しく号泣している人を見ると、自分の涙が止まってしまう。みたいなもの?)
しかも、この二人が「そうですね」「いやいや。おっしゃる通りですね」とやり取りするのかと思えば、そうでもなく反論しあったりしている様がまた面白い。読む人全員が同意できるような内容ではなく、「そこまで言わなくてもいいんじゃないかな」と思われるようなことも書いてあるけれど、そこのあなた。自分が100パーセント同意できるようなことだけを毎日読んでいたら、「脳がちっちゃくなっちゃいませんか?」@今田耕司
ご興味がある方はぜひ第三章だけでも読んでみると面白いと思う。
・ 日本人は不合理であっても、その状況を受容する。
・ 「一般」に向けたスピーカーが立てる音は自分個人に向けたものではないからスルーできる。自分に向けられると非常に苛立つしちゃんと受け答えできない。
・ 日本は、言葉そのものを重要視するよりも、どういう状況で言われたかを大事にするハイコンテクスチャル・カルチャーだ。
コンテクストを重視する文化は決して悪くないと思う。ローコンテクスチャルなヨーロッパ文化にはない、書かれていないことを読み取ったりできるのは「世界遺産級」の、保存すべき珍しい文化ではないだろうか。ただそれが日本で暮らす者たちにとって生きやすいかと言えばまた話は別なんだけれども。
純粋に言葉に書かれたことのみで勝負しないといけない外交とか議論の場には向かない思考なんだろうと思う。
古き良き日本を残しつつ、しかし感情的にならないで議論できるような、21世紀型ハイブリッド日本人がこれから求められていくのではなかろうか。
今日の一曲
映画「野生の証明」のテーマ 町田義人の「戦士の休息」
懐かしい。闘うおじさん二人にもたまには休息が必要だってことで。
では、また。
ドイツ哲学とフランス哲学が専門の二人の大学の先生。二人とも巷に溢れる「騒音」が大嫌い。店に文句を言い、本社に文句を言い、本人に面と向かって文句を言う。日々マナー違反の者たちと闘う。そんな二人の往復書簡がこれ。
大学の先生というかなり「まとも」な人たちであるはずなのに普段からなかなか過激な言動。しかも哲学者らしく非常に理屈っぽい。
私は騒音よりも目に飛び込んでくる車内の注意のようなビジュアル方面の方が気になっていた。似たようなものと言えば似たようなもの。しかし二人のおじさんがかなり厳しいやり取りを読むと、ちょっと冷めてきた。(悲しくなったときに、自分よりも激しく号泣している人を見ると、自分の涙が止まってしまう。みたいなもの?)
しかも、この二人が「そうですね」「いやいや。おっしゃる通りですね」とやり取りするのかと思えば、そうでもなく反論しあったりしている様がまた面白い。読む人全員が同意できるような内容ではなく、「そこまで言わなくてもいいんじゃないかな」と思われるようなことも書いてあるけれど、そこのあなた。自分が100パーセント同意できるようなことだけを毎日読んでいたら、「脳がちっちゃくなっちゃいませんか?」@今田耕司
ご興味がある方はぜひ第三章だけでも読んでみると面白いと思う。
・ 日本人は不合理であっても、その状況を受容する。
・ 「一般」に向けたスピーカーが立てる音は自分個人に向けたものではないからスルーできる。自分に向けられると非常に苛立つしちゃんと受け答えできない。
・ 日本は、言葉そのものを重要視するよりも、どういう状況で言われたかを大事にするハイコンテクスチャル・カルチャーだ。
コンテクストを重視する文化は決して悪くないと思う。ローコンテクスチャルなヨーロッパ文化にはない、書かれていないことを読み取ったりできるのは「世界遺産級」の、保存すべき珍しい文化ではないだろうか。ただそれが日本で暮らす者たちにとって生きやすいかと言えばまた話は別なんだけれども。
純粋に言葉に書かれたことのみで勝負しないといけない外交とか議論の場には向かない思考なんだろうと思う。
古き良き日本を残しつつ、しかし感情的にならないで議論できるような、21世紀型ハイブリッド日本人がこれから求められていくのではなかろうか。
今日の一曲
映画「野生の証明」のテーマ 町田義人の「戦士の休息」
懐かしい。闘うおじさん二人にもたまには休息が必要だってことで。
では、また。
見た目に似合わない声しているよね。
宇崎リュウドウは見た目どおりな気がするが、この人は見た目とかなり違う。
私も「野生の証明」の内容はすっかり忘れてしまっていました。
東北の大量殺人事件の目撃者(薬師丸ひろ子)を養女とした元自衛隊隊員(高倉健)が危険な目に会って・・・というような内容だそうです。
「人間の証明」は内容をよく覚えているのですがこっちは忘れてしまいました。
町田義人は、歌はよく覚えているのですが、顔立ちには同様に記憶がなかったんですよね。
記憶はいかにあてにならないものなのか・・・
私の脳がちっちゃくて、良くも悪くも日本人だからでしょうか。
「中島先生のようにやったら殴られた」学生っていうのは、理工系(電通大)だけど、哲学の授業を受けている学生?…どれだけ真面目なの…などど関係のないことが気になったのは、書かれている内容について考えてないからですね。
>21世紀型ハイブリッド日本人
いい表現ですね。議論の場だけでなく、これからは、生き方もそんな方向に向かっていくのではないかと思いました。
>理屈っぽいおじさまたち。読みにくいわけではないのですが、「書簡」という形のせいか、少しづつ後退りしたくなるようなしつこさを感じました。
おっしゃる通り、二人の粘りつくような粘着気質な書簡でしたね。
記事にも書きましたが、こんな「ちょっと見には受け入れにくい」人の意見でも、それほど無理しなくても読めるなら読んでみれば、少しは私の脳の委縮が避けられるのではないかなと思いました。異論を毎日受け止めることはできないですが、自分と同じ考えだけを毎日受け入れていたら自分が薄まってしまうように思います。
>「中島先生のようにやったら殴られた」学生っていうのは、理工系(電通大)だけど、哲学の授業を受けている学生?…どれだけ真面目なの…
想像にすぎないのですが、電通大の中島先生の授業は哲学以外にドイツ語も受け持っておられたかも知れません。中島先生が主宰されているカント塾では哲学書の読解やラテン語の授業があるそうです。行ってみたいと思わなくもないのですが、同時にあれだけ怖い先生だとなー、とも思います。
>21世紀型ハイブリッド日本人
なんでもかんでも欧米人の真似をしてきたら、日本総外人社会になってしまいます。日本的な大切なものも残しつつ、自分の偏見を偏見と認め、他人の偏見も一つの考えと認めるフラットな考えをする日本人がもっと出てくるともっと住みよい国になるのではないかと思っています。同時に、過去10年そういう日本人は減り続けていて、将来増えていく可能性はそれほど高くないとも思っています。悲観的なのは、自分に悲観的だからなのかも知れません。