頭の中は魑魅魍魎

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『神話の力』ジョーゼフ・キャンベル ビル・モイヤーズ

2012-08-19 | books
「神話の力」ジョーゼフ・キャンベル ビル・モイヤーズ 早川書房 1992年(ハヤカワ文庫2002年)
The Power Of Myth, Joseph Campbell with Bill Moyers 1988

神話に関して世界的権威、ニューヨークのセイラー・ローレンス大学のキャンベル教授にリンドン・ジョンソン大統領時代の報道官やテレビのコメンテーターを務めたモイヤーズが話を聞くという形式の対談本。東へ西へ古代へ中世へ近代へ現代へ縦横無尽に、神話の話をしてくれる。

うーむ。なんてスゴイ本だ。久しぶりに、知的刺激をビンビンに受けた(仮に私に「知」なるものがあると仮定して。)

神話が持つ普遍的なテーマ、メタファー、キリスト教のみならず仏教、ヒンドゥ教、イスラム教にまたがった解釈など、ジョーゼフじいさんの話は実に面白い。これは、いい質問があるからに他ならず、モイヤーズの知識と経験がいい本を生んでいる。

以下、自分用のメモを兼ねた引用。【】内は私のコメント。

現代には境界線がありません。今日価値を持つ唯一の神話は地球というこの惑星の神話ですが、私たちはまだそういう神話を持っていない。私の知るかぎり、全地球的神話にいちばん近いのは仏教でして、これは万物には仏性があると見ています。(文庫版77頁より引用)【仏教に関して何度となく好意的な発言がある。だったらどうしてキリスト教徒であることをやめないのだろうか】

日本には「波に乗る」という言い回しがあります。私たちがボクシングで「パンチを受け流せ」と言うようなものです。ペリーが日本の開港を強制してからまだ百二十五年しかたっていません。そのあいだに彼らは途方もなく大量の機械的物質を同化しました。ところが、私が日本で見いだしたのは、日本人がそれに埋没することなく、しっかり頭をもたげてこの機械世界を同化していったという事実です。ビルの中に入ると、やはり日本に戻るんです。ニューヨークみたいに見えるのは外面だけです。(80頁)【日本的であるということをうまく表現している】

われわれはこのことを知っている。大地は人間のものではなく、人間が大地ものだということを。(100頁)【確かに】

「イエスは昇天された」を隠喩的内包において解釈するならば、イエスが内面に向かわれたことを理解することができます。(137頁)【キャンベル教授は非科学的なことは言わない。聖書に書いてあることはある種の隠喩であるとする。それが説得力を持つ】

つらくないのは、死後だけです。「世界について楽観的な考えを持っていますか」とたずねられるたびに、私はこう言うんです。「ええ、世界はいまのままでも偉大なものです。修理しようなんて考えないほうがいい。前より少しでもよくした人なんて、ひとりもいないんです。いまよりよくなることなど、決してない。そういうわけですから、それを受け入れるか捨てるかのどちらかです。世界を矯正するとか、改善するなんて無理な話ですよ。(165頁より)【私も人類は、長い時間をかけて世界をただ住み心地を悪く、破壊しているだけだと思っているので、同意】

「神話は絵空事じゃないのか、という人がいますよね」「神話は絵空事ではありません。神話は詩です。隠喩ですよ。神話は究極の真理の一歩手前にあるとよく言われますが、うまい表現だと思います。究極のものは言葉にはできない、だから一歩手前なのです。究極は言葉を超えている。イメージを超えている。(349頁)【うーむ。なるほどね。これについては、もう少し私自身考える継続宿題としておこう】


他には、125頁にあったグロフという精神科医の話も興味深い。LSDを使って治療をするのだけど、その際に患者が「誕生の再体験」をするのだそうだ。最初は子宮の中=自分を持っていない 子宮のリズミカルな動きを感じると=恐怖を感じる そして産道を通るという困難な過程 そして光。神話が語る、自分が一つだけのものと感じる不安→もう一つの自分があればいいという願望→男と女に分かれた というのと同じ。ふむ。

インディアンについては「バッファロー落とし」の話も印象に残る。

以上引用だらけになってしまった。ジョセフじいさんの話を読んでいると、こんなじいさんになりたいなと思うのと、知識は勿論だけれど、人としても俺はまだまだだなとも思う。

では、また。


神話の力 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
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