フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

ラグビー凱旋と新聞の歯ぎしり/高尾山に登る

2015-10-15 11:32:53 | 日記

   世界をあっと言わせ、日本中もフィーバーしたラグビーW杯の日本チームが凱旋帰国した。その活躍の集大成というかフィナーレとなる一次リーグ第4戦の对米国戦は12日の未明に行われ、勝利の歓喜を伝えるべきマスメディアの新聞は休刊日にあたってその日の夕刊も翌日の朝刊も休みであった。その間、各テレビ局は繰り返し蒸し返して映像を流し続けた。やっと翌日夕刊に載った時にはニュースバリューが全くなくなっていた。しかも夕刊は購読していない家庭が多く紙面も少ないのでごく簡単にしか報じられない。新聞としては何とバツが悪く切歯扼腕の思いをしたことだろう。以前同じようなことがあってブログに取り上げたことがあったが、何のことだったか思い出せない。そんな昔のことではないのに・・・。

   一昨日、好天の秋日和の中高尾山に出かけた。3連休明けの平日というのに人出は多かった。実は结婚記念日の前日に行く予定であったが家内に急用ができ一日延びたもので、連休中だったらもっと凄い人出であったろうと思うと それでよかったかも知れない。それくらい高尾山の人気は高く、外国人の姿も結構見られた。今年の元日には薬王院まで行って孫の合格祈願をしたところで雪がひどくなり、そこから引き返した。今回は合格お礼をして山頂まで登った。まあ「登った」という言葉は面はゆいがともかく山頂の茶店で名物の「とろろそば」を食べて下りた。今回はいつものようにリフトの上りを利用し登山・下山のルートを何も考えなかったが、改めてルート案内図を見て「次回以降はこうしよう」と頭に刻んで帰宅した。

       
        秋日和の中の薬王院     元日、麓のローウェイ駅前の雪景色


[日本語教師の帰国後編]#4-3人娘の来日

   掲題で「3人娘」としたが、経貿学院時代では2人と1人である。2人は08級2班のケイ・ショウロとヨウ・ハイジエ。1人は同級で1班のトウ・セイ。
   学校時代を通じてケイさんとヨウさんは常に行動を共にしていた。教室では隣りの席に座るのは勿論、食堂で朝食を取る時から門限で互いの部屋に分かれるまで一緒に過ごしていた。私の宿舎に最も多く来て遊んだ2人でもある。私の方も特に予定のない時は2人に声を掛けた。2人に連絡をする必要はなく、1人に連絡すれば即決の返事がある。2人の方も用がない時は連絡をして来た。日本へ研修に行きたいことも同じで、私はそんな2人を知り合いの研修生派遣会社に紹介して帰国した。一方トウさんは2人とは班が違って全く別行動だった。そんなトウさんが2人と同じ派遣会社にエントリーした経緯は聞いたことはなかった。共通しているのは学年の2班を通してトップ6人の中の3人なのである。そういう3人が揃って日本研修を志願したことは嬉しかった。ところが困ったことが起こった。面接選考後派遣会社に納入するお金が前の2人にはなかったのだ。両親には負担が大き過ぎると言い、泣いて日本に電話をして来た。私はすぐ大手町にある中国銀行の支店に飛んで行って派遣会社に送金した。トウさんの方は家計的には問題なく、こうして揃っての日本行きが決まった。研修先企業はコンビニの弁当・惣菜や調理パンなどを作る食品会社。その配属先はケイさんとトウさんが栃木県佐野市、ヨウさんは静岡市清水。皮肉にもずっと行動を共にしていた2人が別々にされた。それでも当初は福岡と言われていたので、私のいる東京に近くなったことで3人は喜んだ。私の方も大歓迎であった。そして2011年4月下旬に来日、福岡で1カ月の事前研修後佐野と清水に赴任した。

        
  中国内訓練所で教習を受ける3人 佐野市に赴任したケイさん、トウさん   静岡清水のヨウさん

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ラグビーW杯米国にも勝つ/能楽鑑賞

2015-10-12 14:58:06 | 日記

   「今未明・・・」というと真珠湾攻撃による日米開戦の大本営発表を想起するが、ラグビーW杯の日米戦が日本時間の今未明に行われた。そして、日本が28ー18でまたまた勝利を挙げた。 決勝トーナメント進出が消えた後であったが、予選リーグ最終戦に勝って3勝1敗の成績は望んでもいなかった大健闘であろう。初戦の南アフリカに勝ったことは”奇跡”とも呼ばれ、日本国内だけでなくラグビー発祥の国であり今大会の開催国であるイギリスでも話題が沸騰したようだ。次のスコットランドには負けたものの、日本ラグビーを見る目は変わり、第三戦のサモアに勝って評価が固まった。対南ア戦では日本の勝ち率0%だった英国でのオッズが米国戦では日本が絶対優勢と予想していた。
   これまでラグビーファンでもなかった私は、幸い今日決まった予定があるでもなく、テレビ中継の始まる午前3時45分にアラームをセットして試合終了までテレビ観戦をした。見るからに米国チームとは体格差があった。日本がPGで先制したものの、その重圧がテレビ画面からも伝わって来て全く気が抜けない展開であった。しかし、スクラムやタックルで日本は一歩も引けをとらず、気迫と俊敏さで米国に快勝した。五郎丸選手のキックの圧倒的な信頼性も印象に残った。結果的には予選敗退になったが、エディ・ジャパンは凱旋帰国として迎えられることであろう。

   毎年この時期に行われ招待をいただく能楽の会。今年も10枚の入場券をいただき、家族づき合いをしている2組のご夫婦と一緒に出掛けた。今年初めてお誘いをしたもので、私自身能のセリフや詞が聴き取れないのでネットで予め予習しておくことを勧めた。今回私はは情景やセリフなどプリントしたものを持ち込んでにらめっこしながら舞台を観たのでこれまでよりは理解ができた。帰りには居酒屋チェーンで”打ち上げ”となり、来春の旅行などについて話が弾んだ。

[日本語教師の帰国後編]#3-長野・鹿教湯温泉を訪ねる

   教え子の研修生二番手は07級(2007年入学)生のリ・アリンと08級生のキョク・キンおよびレイ・シュウシュウの3人。長野県鹿教湯温泉の斎藤ホテルで、2010年11月から1年の研修であった。斎藤ホテルは湯治の常連客が多い老舗のホテルで、今は静かな山あいの温泉地に威容を誇っている。この3人ともう一人の07級リ・ギョウシンの4人が6月から別のホテルでの研修予定であったのが、受け入れが中止になり新しい研修先が決まるまで5ケ月も待ちぼうけをくった。その間は中国内の訓練所での教習を受けていたのだが、3人が決まりリ・ギョウシンだけが1人取り残された。彼女は遅れて和歌山県勝浦のホテルに赴任した。
   慰問は翌春、雪が解けて桜の季節を迎える頃とし、長野の桜の名所高遠城址の春祭りに合わせて出かけた。行きの道中は小諸城址で花見をして鹿教湯温泉に入った。ホテルのフロントで来意を告げると支配人から丁重に挨拶を受け、仕事の段落がついたら3人が揃うようにしてくれると言う。3人は客室や館内レストランの仕事に就いていた。因みに我々の宿泊代は従業員家族の割引扱いであった。
   ゆっくり湯に入り、食事をした後3人との面会に相成った。皆元気そうであったが、東日本大震災の後だったので中国の家族から早く帰国するよう矢の催促だったと言う。大地震とその後続いた余震の揺れは恐かったと言うが、福島から離れているので放射能の心配はしていなかった。ホテルの環境も良さそうだし、家内がたまたまエレベーターで乗り合わせた”常連客”と言う人から聞いた評判も良かったので安心をした。
  翌日は朝食のレストランで働く姿が見られ、そこで激励の言葉をかけてホテルを発った。帰りに寄った高遠は春祭りの最中で、城址公園の桜は見応えがあった。
  

     
待機中の4人、濰坊の日本料理店で 家内と研修先ホテルに泊まる 山あいの温泉地に威容を誇る

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ノーベル賞第三の矢は?/運動会の組体操に警鐘

2015-10-10 21:46:00 | 日記

   ノーベル賞の各分野の賞が相次いで発表されるノーベル賞週間。その初日の医学・生理学賞の大村智・北里大学特別栄誉教授に続いて二日目には物理学賞で横田隆章東大宇宙線研究所長が栄誉に輝いた。それに続く第三の矢としてここ数年有力候補に挙がっている文学賞の村上春樹氏の受賞は今年も見送りになった。さらに平和賞の「日本国憲法第九条」も受賞対象にはならなかった。前者については惜しまれる声が強いが、後者については多くの人の間に諦めの気持ちが強く漂っていて、今や落胆するに当らなかったかもしれない。勿論、安保関連法案が政府・与党により強硬成立した日本の「平和憲法」が、世界の平和の視点から見て地に堕ちたからである。日本国総理大臣が「世界の平和に寄与する」が言ったところでとても信頼を得るに至らなかった。それでも日本が自然科学の分野で世界に誇れる業績を上げていることに誇りを持ちたい。

   運動会シーズンたけなわの今、最近では運動会の華となっている組体操の「ピラミッド」が話題になっている。大阪府八尾市の市立中学校の運動会で1年から3年の男子生徒157人による「人間ピラミッド」が崩れて、6人の重軽傷を負う事故が起きたからだ。生徒が四つん這いになり段を重ねて行ってピラミッド型をつくるものでこの学校では10段もあったという。私も一週間前に最寄りの小学校で6段のピラミッドを見たばかりであるが、10段の凄さは想像できる。事故のあったこの中学校だって始めから10段に取り組んだのではあるまい。多分5段か6段からどんどんエスカレートして行ったものと思う。この競技の狙いとしては参加する生徒の協調性や一体感を引出し、結果として達成感を味わあわせることと思うのだが、今年成功したら来年はもっと高度に、そして参観者の喝采をさらに浴びる・・・というのは容易に考えられる心理である。そのワナにはまった結果であろうと思うが、同じ危険は日本中の学校の運動会に潜んでいるはずである。今回の事故に省みてエスカレートにブレーキがかかることを望みたい。  

 [日本語教師の帰国後編]#2-安房鴨川を訪ねる

   私の教え子で第一号の研修生は、私が日本へ帰国する半年前の2010年6月に赴任していた。場所は安房鴨川(千葉県鴨川市)の鴨川グランドホテル。水族館テーマパークとして人気の高い鴨川シーワールドのすぐ近くに位置する臨海ホテルだ。
   08級(2008年入学)生のソウ・ジホウとオウ・セキショウの男子2人、それにヨウ・レイサとキョウ・カンの女子2人、計4人である。業務は調理場のオウ君を除いてフロント員であった。赴任間もなくの8月、私が夏休みで一時帰国している時に子供・孫を含めた家族旅行を鴨川シーワールドに定めて、家内と研修生を慰問に訪ねた。フロントで用件を告げたら快く招集してくれ、仕事の手が離せないオウ君を除いて3人と面談することができた。立派なホテルだし、仕事環境も良さそうで安心をした。 歩いて数分の従業員専用宿舎にも案内をしてくれ、食堂も見せてくれた。悩みは通信手段。研修生共通の規制だが、携帯およびパソコンは日本に持ち込み禁止なのである。研修に専念を建前に外界との接触を抑え、雑情報を断つためだが、中国の肉親との通信にも不自由なのだ。しかし建前は建前、その内に研修生は皆日本でパソコンなどを買い始め、使用者側も見て見ぬふりをしてあげるようだ。因みにこの時は手紙で訪問の予告をしておいたのである。
   もう一つ思わぬ悩み。日本では美容院に行けば3,4千円かかると聞いて、女子2人は髪切りセットを中国から持って来た。確かに、学校内の理容所に行けば男子は100円くらい、女子でも150円か200円で済むのだから日本の料金には目が飛び出るに違いない。
   それから7ケ月、東日本大震災が発生した後に家内と再度訪問した。今度は4人全員が揃った。一人が大地震の時にエレベーター内にいて、恐ろしい目に遭ったと話していた。また中国では原発の放射能汚染の恐怖が大報道されていて、肉親や友人から帰れコールがやまないとも話していた。しかし彼ら彼女らはそういう声を振り切って任期一杯(5月まで)の日本残留を決意していた。だがホテルは臨海であることや原発放射能の拡散の懸念から客足が急速に減少し、残念な状況の中で中国に帰国したのである。
  

    
 赴任早々に訪ねる(3人と家内) 大震災後に再訪(4人と私達)   海を臨む鴨川グランドホテル 

 

 

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ノーベル賞/教師の日

2015-10-06 11:06:15 | 日記

   今年もノーベル賞に日本人の受賞者が出た。ノーベル賞医学生理学賞の3人の受賞者の一人、大村智・北里大学特別栄誉教授がその人。寄生虫病予防薬の開発の功労が評価されたという。熱帯地方で流行し、罹患者の2割が失明するという「河川盲目症」の特効薬として数億人の患者を失明から救ったとされる。その特効薬はゴルフ場の土から見つけた細菌が作り出す物質で、大村氏は「自分が特効薬を作ったのではなく、微生物の働きを整理しただけ」と謙遜しているが、それこそが大変な作業なのである。カビや細菌などの微生物から薬効など有用な成分を見つけることは微生物研究の根幹を成す分野で、研究者は旅行や出張などに行く時はいつも土壌採取用の袋などを持って出るという。土壌は微生物の宝庫なのだが、1グラム中に何万個もいる微生物を分離したり培養したりしてその中から目的の性質を持つものを見つけるというのは宇宙の中に新しい星を見つけるくらい難しいことだと思う。成果は勘と努力・根気とちょっぴりの運によってもたらされる。「失敗は成功の糧になる。大いに失敗しなさい」と後進に贈る大村氏の言葉が胸に響く。  

   5日の新聞に『「教師の日」を新設してはどうかと』という読者投書が載っていた。中国で日本語教師をしていた時に「老師節(教師の日)」というのがあり、帰国後も教え子から「老師節おめでとうございます」という祝辞をもらう。私は、中国は教師を篤くもてなす国柄なんだなと思っていた。
   ところが投書によると10月5日はユネスコが教師に感謝する日として制定している「世界教師の日」なのだそうだ。中国に限らず米・露・韓など多くの国で設けているのだそうで、日本でも「教師の日」を新設して教育の大切さや教師のことについてみんなで考える日にしたらどうか、という趣旨だった。将来の日本の教育を憂える投書である。
   中国では新学期(9月)早々にあったような気がするので、ネットで調べてみると10月5日ではなく9月10日になっていた。10月1日の国家的祝日「国慶節」に重なる時期ではなく心改まる新学期にしたのではないかと想像する。この投書では日本では「母の日」や「父の日」など「〇〇の日」が幾つもあるのだから「教師の日」くらいあってもいいのではないかと訴えている。

      左の写真は経貿学院の正門近くに掲げられた「老師節」を祝うアーチ。「祝日おおめでとうございます 敬愛する先生方」と書いてある


[日本語教師の帰国後編]#1ーイントロ

   中国で日本語教師として教壇に立った体験を[日本語教師の中国滞在記]として北京編および山東省編を連載で綴って来た。中国での滞在を終え日本に帰国してからは研修生として日本にやって来た教え子との交流が待っていた。今度はそれをまとめ、何回かにわたって連載してみたいと思う。
   いつも「研修生」という言葉を使うが、公式には「外国人技能実習生」という。発展途上国の若者を日本の産業の中で働きながら技能を習得させ、帰国後祖国の産業の発展に寄与させ、日本にとっては不足する若者労働力を補う意味合いを持つ制度である。期間は1年と3年に分かれる。来日するのは中国人が多く、あとはベトナム、インドネシアなどの東南アジアからだが、本来の趣旨とは異なり賃金の高い日本への出稼ぎ目的が多い。日本側でも一部では制度を悪用した過酷な労働や低賃金労働が問題化した。私の教え子はほとんど、あこがれの日本で仕事をしながら日本語もレベルアップしたい者で、幸い悪質な被害に遭った者はいなかったようだ。
   私が帰国した時点で既に9人の教え子が日本に来ており、その後11人がやって来た。滞在先は北海道から九州まで。東京からは遠く、結局慰問に行けなかった者が6人いた。会社現役なら出張にかこつけて行けたのだろうけど年金生活の悲しさ、悔やまれるところであった。なお研修生の慰問や東京案内にとどまらず、来日出張者との再会もここで取り上げたい。

下の写真は順不同で、追って登場する
    
   千葉・鴨川        長野・鹿教湯温泉        静岡・清水           栃木・佐野  

    
    和歌山・勝浦        さいたま市          熊本・八代          栃木・宇都宮

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真央ちゃんに感動・ラグビーで感激/三鷹国際フェスタ

2015-10-04 21:41:09 | 日記

   昨日(10月3日)は夜に用事があったせいもあり、 夕方の内にブログの投稿を済ませた。夕食後一段落して出かける時、家内がフィギュアスケート・ジャパンオープンのテレビ中継を観ていて、もうすぐ浅田真央が滑ると言う。日本・欧州・北米の団体戦で、各チーム男女2名ずつで得点を競うのだそうだが何で日本は一国で他は地域代表なのか分からない。まあそれはいいとして多分日本人としては浅田選手の復活ぶりが最大の関心事であろう。私もこんな団体戦に興味はないが、ご多分に漏れず真央ちゃんファンなので彼女の演技まで観て出かけることにした。そして、やはり真央ちゃんは凄いと感動した。テレビでは盛んに553日ぶりを強調していたが、その最後の舞台のソチ五輪のフリーで日本中を感動させたあの演技に迫るハイレベルな得点を出したのである。トレードマークのトリプルアクセルは勿論、優美で伸びやかな舞いが戻って来た。現役続行は「ハーフ・ハーフ」と漏らした時には引退のニュアンスが強かったが、あの柔らかな笑顔の中に何という根性を秘めた子なのだろうか。「感動をありがとう」である。

   さて用事も一段落した時、テレビはラグビーW杯の日本対サモア戦の中継の最中で、丁度ハーフタイムに前半のリプレーを映しているところであった。すでに20-0で日本が大量リードしているという。南アフリカ戦の再現かとワクワクである。後半も日本は五郎丸選手のPGで差を広げたがサモアも懸命の反攻に出てハラハラとさせられる。しかし日本はスクラムで相手を圧倒し、激しいタックルで相手の攻撃を止めた。その凄い気迫に観ている自分も肩に力が入るのが分かる。そしてノーサイド。日本が26-5で圧勝した。またまた感激を味わせてもらった。

   ということで感動・感激が薄れない内に、また話題が色あせない内に今日特別にブログにアップすることにした次第。

   そのついでにもう一題。今日は井の頭公園の一角で、三鷹国際交流協会主催による恒例の「三鷹国際フェスティバル」が開催された。今年は26回目、年々参加団体やイベントが多彩化している。今年は各国の出展などテントのブースが50以上、食べ物のキッチンカー17台が出た。私はキッチンカーによる異国の食べ物を買ってビールを飲みながらステージの音楽等の出し物を観るのが楽しみで毎年出かけている。
【写真で説明】 ①緑も豊かな井之頭公園の会場  ②ステージ出演常連のザ・ビートルズ・バンド。私も彼らが楽しみだし人気も高い ③スペイン人によるフラメンコ。写真のほか男のダンサーの躍りもあった ④メキシコ音楽のグループ、マリアッチ・メヒコ。お馴染みの「ベサム・ムーチョ」などを聴かせた  ⑤アフリカの民族音楽だが、どこの国なのかは分からない。前の方に座っていた私も簡単な踊りの輪に引っ張り出された ⑥食べ物を求める人でどこのキッチンカーも長蛇の列だ   

    
    ①緑も豊かな会場     ②ビートルズナンバーを聴く      ③フラメンコ・ダンス

          
       ④メキシコ音楽         ⑤アフリカの民族音楽   ⑥キッチンカーには長蛇の列が

  

 

 

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