中国共産党の幹部による腐敗の粛清が続いているが、胡錦濤前国家主席の腹心として権勢を誇った令計画氏が巨額汚職などで失脚した後、今度はその実弟が党の機密情報を持ってアメリカに逃亡した疑いで中国側が身柄引き渡しを要求しているという。その名前は令完成、彼もまたご多分に漏れず巨額の不正利益を得ていたようだ。兄が「計画」、弟が「完成」という名前に興味がそそられるが、新聞に載っていた令家の全兄弟のを名前を見てびっくりした。なんと長男が「方針」、次男が「政策」、長女が「路線」、そして三男が「計画」、四男が「完成」となっていた。正に中国共産党の幹部にして利益を得ようとする親の思惑が丸出しである。子供によくこんな名前を付けたものだと感心するやら呆れるやらである。だが、親の「方針」に従い、共産党独裁下の腐敗体制でうまく「政策」や「計画」を「路線」に乗せ、まんまと「完成」かと思われた矢先の失墜となってしまった。
8月は追悼行事が続く。6日のヒロシマ、9日のナガサキ、そして15日が終戦記念日。今日12日は日航機墜落事故慰霊の追悼式。1985年の事故で乗客乗員520名が亡くなって 今年は30周年になるという。たった4人の奇跡の生存者の中の一人、川上慶子さんはマスコミの取材が集中した後消息が聞かれなくなったが、久しぶりにその名前を見た。彼女の実兄が文芸春秋9月号に「妹・慶子と私の三十年」という手記を寄せていたのだ。それによると彼女は生き残った喜びより、同機に並んで載っていた両親と妹を失ったことに大きな心の傷を負って、マスコミから逃れるようにその後の人生を送って来たという。そしてお母さんの後を継いで看護士の道を歩んでいるとのことである。手記の著者である実兄は家族と一緒の旅行がいやだったために事故に遭わなかったことに悔悟の念が生じ、その後精神の不安定を来すことになったようだ。現在は両者ともに幸せな家庭を築いているそうだが、事故は生き残った者にも過酷な運命をもたらした。
[日本語教師の中国滞在記] 山東省編#83-卒業記念写真撮影
11月中旬、全学3年生(08級)の卒業アルバム用の集合写真の撮影会があった。中国では学年末は6月であり、経貿学院でも卒業証書授与式は6月だと聞いていた。つまり卒業写真は半年以上も前に撮るのだ。日本語科でもそうだったが、これから先3年生は実習生としてあるいは4年制大学進学の準備のため授業には出て来なくなるので、多くの学生が集合できるのはこのタイミングなのだろうと思った。日本語科では日本研修中の学生を除いてみんなが集合した。外教の我々を含めて教師たちも勢揃いをした。 服装は自由でみんな普段着である。ただし、私は紋付きの着流しで参加。他の学部・学科の学生たちの目を引いたのか、「一緒に写真を」とリクエストされ面識のない学生たちとも写真に納まった。
後から振り返って思うに、この日を境に3年生たちは一気に卒業モードになり、授業出席者が少なくなって来た。
撮影前にリラックスする1班の学生たち 2班の記念撮影の本番
日本語科教師勢揃い 2班の学生と一緒に 他の学部生と写真に納まる 英語科のケント先生
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます