いよいよ白内障の手術が明日(右眼)と明後日(左眼)に迫った。私にとっては待望の手術である。”待望”というのは白濁した水晶体を除去したあとに人工レンズを入れるのだが、そのレンズで私の強度の近視の程度を弱めることが出来るからである。今まで眼鏡なしではプールや温泉の大浴場では人の顔が分からないし、海水浴では帰る場所も分からなくなる。それが弱い近視に矯正できるというのである。但し私は眼鏡無しで暮らせることは望んでいない。60年近くかけている眼鏡はもう顔の一部であり、私の人相であるからだ。今日これをブログに取り上げたのは手術前の状況を記しておいて、術後にどう変わったのか分かるようにするためである。
その現状であるが、①近視としては左右とも視力0.05程度 ②眼鏡による矯正で左1.0、右0.7程度である ③字や物がにじんで見える。右眼では少しにじみ、左だけでは字が二重になる。とにかく景色が見づらく落ち着かない ④右眼で空を見上げると青空にならず白いカスミがかかる。左ではまあまあの青空として見える ⑤薄暗くなったり、蛍光灯だけだと新聞・書物やパソコンの字が読みにくくなり、眼鏡をはずして棟方志功のような格好で読むようになる ⑥総合してとにかく鬱陶しい
さあて手術後はどうなるだろうか。
[中国旅行余話] ④命の水
先月の中国旅行から帰国してひと月以上が経ってしまい、話題の色も褪せてしまったが、予定の「余話」が残っているので”消化”しておく。
中国で気が付くのは飲み水の大切なことだ。日本ではいつでもどこでも飲み水には苦労しないが、それは例外的なことなのかもしれない。いわゆる水の硬度が高く、飲料に適さない国が少なくない。中国もそうだが、水道水は始めから飲用になっていない。飲み水は「鉱泉水」、日本で言えばミネラルウォーターを飲む。家庭でも鉱泉水を飲用や料理に使う。外ではペットボトルの鉱泉水を持ち歩く人が多い。私に言わせれば「命の水」なのである。中国では街頭や駅などに自販機はなく、その代り鉱泉水を売っている店が大変多い。ホテルには必ずペットボトルがサービスとして置いてある。因みに中国では無人の自販機を置くなど考えられないという。現金が盗まれるからだ。
それはともかく旅行3日目、北京から山東省濰坊市に移動する時に「命の水」を実感した。朝6時半にホテルをチェックアウトしてから午後1時過ぎまで一滴も水が飲めず、本当にノドがカラカラに乾いたのだ。北京南の新幹線駅の待合室で買うチャンスもあったのだが、新幹線内でサービスにペットボトルが配られたことを思い出して買わずに乗った。しかしサービスで配るどころか、社内販売にも来なかったのだ。周りの客は当然のように皆ボトルを持っている。車内には飲用水はないのに、カップラーメンに使う熱湯は無料で使えるようになっている。日本と違う文化の中で私は日干しになりそうな渇きを経験したのである。
余話の中の余談だが、研修生として日本に来ていた教え子を東京案内などをしていた時のこと、彼女らは決まって自販機で飲料を買い、私にも持たせた。私には邪魔な持ち物なのだが、彼女らがボトルを持って歩くことはもう染みついた習慣なのだと、遅ればせながら気が付いた次第である。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます