20日で東京駅が開業100周年を迎えたという。その記念行事の一つとして19日一日限りで寝台特急「富士」が運行されたとの記事が写真入りで載っていた。ブルートレイン・ブームを起こした寝台特急は来年には全て消え去るようだが、この「富士」は私には大変思い出深い。46年前、社会人となった第一歩は寝台特急「富士」から始まったのだ。
本社で新入社員教育を受けた後、東京駅で家族等の見送りを受けて「富士」に乗り、配属先である大分県の工場にある研究所に赴任した。19人の新入社員の内4人が同じ任地。日が暮れかかった午後6時半頃に発車、途中深夜で人気(ひとけ)のない名古屋駅のプラットホームを見た時には無性に寂寞感に襲われた。夜が明けると山陽本線で、瀬戸内海をかいま見ながら初めての九州に入ると列車の走りはのんびりして来た。隣りを走る国道の車に追い抜かれるような速さだし、停車駅に近づいても人影がまばらである。そしておよそ18時間を要して桜が散り始めた赴任先の駅に着いた。その後も出張などで利用したことがあり想い出深い列車である。
日曜の昼下がりに神代植物園を歩いた。陽が差して数日前のような厳しい寒さはないが、来園者は影も少なかった。歳の暮れ、園内も冬籠りに入りこれからしばらく花は乏しくなる。
神代植物園冬籠りの風景 (上左)梅林、(上中)ケヤキの大木、(上右)武蔵野の雑木林、(下左)冬の風物詩である雪吊り、(下中)パンパスグラスと枯れ芝生、(下右)早咲き種のツバキが咲いていた
[日本語教師の中国滞在記] 山東省編#6-経貿学院の紹介
今度日本語教師として着任した山東経貿学院は経済・貿易分野専攻の3年制大学で、「本科」と呼ばれる4年制と区別して「専科」または「大専」と呼ばれる。幾つかの学部がある中の一つの応用外語学部には英語科、韓国語科それに商務日本語科の3学科があり、それぞれ外国人(ネイティブ)教師が2人ずつ置いていた。
全学で9千人と大学案内には書いてあるが実数は8千人位であろうか。教職員は約500人、ユーティリティー・工務部門などの職員も合わせてキャンパスはざっと1万人の世帯である。
学生は原則的に山東省内の出身者で全寮制、キャンパス内に男女別合わせて10棟以上の学生寮があった。教職員マンションは6階建てで単身用、家族用の部屋があるが、市内から通う人も結構多い。私は1階の角部屋を与えられた。多分年齢(当時65歳で学内では断トツの最高齢)が考慮されたものと思う。
キャンパスの施設として学生大食堂が3ケ所、教職員食堂およびフードコートがあった。学内スーパーは大きくないが、一応日用品や日頃の食べ物は(酒類も)間に合った。文具店や理容所、写真屋、携帯ショップ、ATMなども別にあって、学生はキャンパス内で何とか生活はできるようになっている。ただ、大学案内に書いてあった郵便局や映画館などはなく、これは”誇大広告”であった。
中国の年度は欧米と同じで9月開始、2学期制でその間に春節休暇(日本の冬休みに相当)と夏期休暇の長い休みが入る。キャンパスは濰坊市の中心街からバスで7,8分の距離、、新幹線も停まる濰坊駅から徒歩15分ほどで、大学正門を始発とするバス路線が2本あって交通の便もよかった。
大学正門 瀟洒な濰坊駅駅舎 市中心部の商店街
キャンパス内の学生寮 教職員マンション 学生大食堂 学内のスーパー
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます