[帰国して3日目、元の生活に戻りつつあるがまだ”フォレスタの散歩”には至らない。引き続き中国での話題を綴ることにする―その4]
8月29日(木)
昨日の大学訪問に当って先生方への連絡や晩餐のセッティングなどの労を取っていただいた事務主任のS氏が、昨日は友好大学の応対で時間がなかったとして、本日出勤前にホテルで朝食を一緒に食べることになった。
S主任は、私の子供が中国に遊びに来て私と山東省内の旅行をすると聞き、2人だけでは道中不安として中国人教師で一番日本語が上手なT先生を大学の公務扱いで全行程同行させてくれるなど、いろいろ配慮をいただいた人である。
朝食後、9時半に教え子の日本研修でお世話になった労務派遣会社の出迎えを受けた。旧知のW部長を案内役にまだ20代の若いG社長自らの運転であった。W部長は3年間の日本研修の経験があり、女性ながら20代で幹部になり、社長も20代。グループ企業の一部门とは言え、日本では考えられない若手起用である。G社長は丁度ご自身の結婚式の準備で休んでおられた中を面会に出てみえた由で、研修生派遣の日本側での協力の依頼を受けた。また、過去に遡って教え子を紹介したことに対する謝礼金をいただくことになり、心強い旅行の軍資金になった。
誘われた昼食は海鮮料理を希望、日本で言う”生け簀料理”のような店でご馳走になり、次の訪問先のデパートまで送ってもらった。
写真左:海鮮料理に舌鼓。エビやシャコやアワビなどがとても美味しかった
写真右:2010年のW部長の結婚式。左端が後述のBさんの叔父の当時の社長だ
デパートの腕時計売り場に勤めているBさんは大学とも学生とも関係のない個人的な知り合い。潍坊市内のジャスコの名品売り場に勤めていた時、品定めをしていた私の口からふと出た日本語を聞いて、「日本人ですか? 私も日本で1年間研修をしていました」というのをきっかけに、中国語―日本語の勉強相手になったのだ(私の中国語は上達しなかったが)。
家族が私に会いたがっていると言い、丁度勤務交代の時間になったので家に招かれた。ご主人は弁護士、子供さんはヤンチャ盛りの小学3年生である。たどたどしい中国語でご家族と話を交わした。
中国では夫婦共稼ぎが普通で、子供の世話は祖父母が担うのが一般的。当家でもご主人のお父さんが同居していたが、お歳を聞いてびっくりした。70代半ばか後半に見えたのだが、何と60代最後の私より歳下であった。
前記の労務派遣会社は当時Bさんの叔父さんが社長をしていたので紹介してもらい、また日本研修中であった姪子さんとは日本帰国後に交流するようになった。縁というのはどのように広がるか分からないものである。
左下:招かれたBさんの家の家族と歓談?(そんなに中国語は上手いはずはない!)
右下:ジャスコの売り場にいた当時のBさんと(2009年)
・・・と、時間を追って綴って来たがここまで教え子が全く登場しない。今回の旅行の主目的は教え子達との再会であり、これからが”本番”になるのだ。
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