飯島一孝ブログ「ゆうらしあ!」

ロシアを中心に旧ソ連・東欧に関するニュースや時事ネタを分かりやすく解説します。国際ニュースは意外と面白い!

北方領土の択捉島共同管理案めぐり日露の有識者が激論!

2010年02月23日 10時40分06秒 | Weblog
 終戦から65年たっても未解決の北方領土問題について、国際法学者の村瀬信也・上智大学教授が北方四島最大の択捉(えとろふ)島を日露で共同管理する案を今年1月7日の毎日新聞紙上に発表、注目を集めている。その共同管理案に関する研究会が先週末、東京・市谷の法政大学で行われたので、その概要を報告したい。

 この研究会は、ロシア政治の第一人者、下斗米伸夫・法政大学教授が所長を務める日露関係研究所が開いたもので、東郷和彦・元外務省欧亜局長、吉田進・環日本海経済研究所理事長,サルキソフ山梨学院大学教授、モロジャコフ拓殖大学客員教授ら日露双方の学者、ジャーナリストらが参加した。

 始めに村瀬上智大教授が提案理由、共同管理実現の条件などについて説明した。この中で「時間の経過は日本の立場を不利にするばかりだ」として、両国の主権を尊重しつつ、両国関係の建設的発展の契機になる案を考えたと述べた。

 北方四島は意外に大きい。最大の択捉島は沖縄本島の約2・6倍あり、2番目の国後島も沖縄本島より少し大きい。逆に歯舞、色丹島は小さく、両方合わせても四島全体の面積の7%しかない。

 村瀬提案の骨子は、歯舞・色丹・国後の3島の主権は日本に帰属するとし、四島最大の択捉島への主権を凍結して日露両国民の「雑居」を認め、両国政府の共同管理にする、という内容。これは南太平洋に浮かぶニューヘブリデス(1980年に独立し、現在はバヌアツ)をモデルにしている。この島には17世紀以降、移住してきた英国人と仏国人との間で対立抗争を繰り返していた。それを解消しようと1906年、両国は共同管理に関する条約を結び、教育・法律・通貨・入管などで完全な平等を実現した。成功した理由は、この地域に勢力を伸ばしてきたドイツの脅威に対抗する必要があったうえ、英仏両国民の数が均衡していて、その後観光客が増大したことだ。

 これを択捉島にあてはめた場合どうなるか。ロシア人は現在、約6,400人住んでいるのに、日本人は1人も住んでいない。そこで今後日本人をどうやって定住させるのかという課題が生じる。さらに、同島の非武装化、自由貿易地帯化が必要だ。共同管理の問題としては、それぞれの国が行政・司法制度を作る必要があり、コストが高いこと、両国民の間に親近感がないこと、などがあげられる。

 村瀬提案に関連し、東郷氏は1998年に小渕恵三首相(当時)が訪露した際、ロシア側から北方四島全部を共同管理する案が出されたことを紹介。当時、日本側は「歯舞、色丹島まで共同管理とするのは認められない」などと反対し、立ち消えになったが、2島返還プラス国後・択捉の2島共同管理案ならロシアも検討するとの見方を示した。

 一方、ロシア人参加者からは「共同管理に国後島を含めないとロシア政府の検討対象にならない」との意見が強く出された。サルキソフ教授は「ロシア側の回答は2島返還だ。主権凍結はロシア側の敗北となるので絶対できない」と共同管理に否定的な姿勢を見せた。また、ロシア側から「すでに領土問題解決の時期はすぎた」との強硬意見が出されると、東郷氏が「大統領との交渉でこれまでに2回解決するチャンスがあった。今後も解決の可能性がある」などと激しく反論する一幕もあった。

 領土問題解決には日露双方の「痛みわけ」が必要で、今回の共同管理案も選択肢の一つといえる。だが、これまでに出ている四島の面積2等分案、日露の主張を二で割った3島返還案などとと同様、ロシアが乗ってきそうな状況ではない。まず、日本政府が早期解決の機運を作り、ロシア側を本格交渉に引き込む強力な戦略が必要だ。
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