グッチーの日本寸評

「わが日本を少しでもいい国、住みたい国にしたい」との思いから日本の政治、経済、世相を自由気ままに評論する。

オリンパスの不正経理調査報告に思う

2012年01月11日 | 日記
オリンパスの不正経理に関する第三者委員会の調査報告が公表された。
テレビのインタビューでは「私は知らなかった」と嘯いていた何代か前の経営トップもやはり損失隠しに関与していた。
当報告では結局19名の歴代経営陣の責任を認定、同社はこの報告をうけ19名に対し合計36億円の損害賠償を求める提訴を行った。
当該役員は損失が顕在化した時点で公表し場合によっては引責辞任すべきだったのだがこれを隠匿し世間を欺きその後も高給を食んできた罪は大きい。
賠償請求額36億円は会社に与えた損害額約860億円の5%に満たないが実際の支払い能力を考慮し決定したという。
厳しいかもしれないが当該歴代経営陣はたとえ私財を処分してでもキチンと賠償に応じるべきだ。
気になるのは現取締役の中で責任を問われなかった5名の今後の処遇である。
取締役を辞任するか否かはこれから検討するとしているがあのような法外な仲介手数料や減損処理を黙認したこと自体不正処理に間接的に加担したことになるはずだ。
やはり現取締役は全員辞任がスジだろう。

読売ジャイアンツのムチャ採り症候群に思う(その2)

2012年01月10日 | 日記
日経新聞のスポーツ面に「選球眼」というコラムがある。
昨日(1月9日)の当コラムの見出しは「巨人の豪華な選手補強」というものだが結論は「(各チーム間の)力のバランスを保つ制約を設けられないか」ということだった。
全く同感である。
本件については1ヶ月ほど前に当ブログでも指摘したのだがFA選手や契約切れ外国人選手の獲得はカネ次第ということでは各チームの戦力格差は広がる一方で著しく球趣を欠く。
また新人選手の獲得に適用されるドラフト制の意義も薄れてくるのではないか。
ホールトン、村田、杉内を遮二無二掻き集めた巨人を日本プロ野球機構はなんとも思わないのだろうか。
今のままでは同機構は読売新聞社の下部組織ではないかと思えてしまう。
シッカリしろ、日本プロ野球機構!
コミッショナーは単なる飾りではない。
気骨を見せて欲しいと思う。


政治の停滞は野党第1党にも責任あり

2012年01月09日 | 日記
年が明け野田政権もようやく本格始動の様相だがその先行きたるやどうにも覚束ない。
一番の不安要因はなんといっても民主党内の権力闘争なのだがそれ以外に自民党の「何かにつけても審議拒否」病がある。
もちろん戦術として解散要求は許容されるのだがこの国難時に税制改正一つとっても全く協議に応じないというのは如何なものか。
政府・与党が増税スケジュールや付帯条件を提示するのであればカウンタープローポーザルを準備し堂々と論戦を挑むべきだろう(いうまでもなくジャッジは国民である)。
過去2代の民主党総理もひどかったがその前の自民党3代の短命総理も似たようなものだ。
それに現執行部が立ち直ったかといえば甚だ疑問だ(論戦といえば次元の低い非難中傷に終始し小泉進次郎総裁待望論まで出るようではとても駄目だ)。
恐らく今のままでは仮に次回総選挙で政権奪回を果たしたとしても決して長続きはしないだろう。
そもそも政治の停滞は独り与党のみならず野党第1党にも責任ありと認識すべきだ。
野党第1党の役目は政権与党を引きずりおろすことだけではない。
与党と協力して国民の生活を物心ともに豊かにすること、将来に夢と希望を与えることなのだ。
結果はそのアトでついてくると思う。

民主党の新政権公約作成着手に思う

2012年01月07日 | 日記
本日のニュースに民主党の次期衆院選に向けた新政権公約作成着手がある。
新政権公約は野党から批判のあるバラマキ政策を大幅に見直し財政再建に軸足をおくとのことだ。
それはそれで結構なのだが何故もっと早く着手できなかったのか。
やはり予算の組替えや事業仕分けをもってしても財源のメドが立たないと判明したとき手を打つべきだった。
二度目の機会は昨年の参院選での敗北だった。
09年に作成した当初のマニフェストは国民の多くから否定されたのからその時点で修正するのが合理的というものだ。
それにも拘わらず「国民との約束」論に縛られ党は迷走を続けた。
分裂が怖くて今までできなかったのかもしれないがそれは今の今でも状況は変わらない。
いや迷走を続けた分反ってキズが広がってしまった。
それでも今からやらなければしょうがない。
今度はキチンと財源問題も精査し万一見込み違いが生じた場合の支出項目を遅滞なく連動させる仕組みや運用体制を具備すべきだ。

オリンパスの行く末を思う

2012年01月07日 | 日記
オリンパスの二十年来の不正経理を暴き再建を担う意志表示をしていた外国人元社長がその復帰を断念した。
本人は意欲満々だったのだがなんでも同社の大株主である生保や主力銀行が賛意を示さなかったというのが真相のようだ。
外国人であるにも拘わらず一度は社長の地位に就き社業全体を掌握、不正疑惑に果敢に対応するなどからして再建を託すには最適と思われたのだが現実にはそうはならなかった。
現経営陣はガバナンス不在の責任をとって全員辞任の意向だが果たして今後の舵取りは誰が担うのだろうか。
現執行役員以下から?それとも不正処理に関与していなかった役員OBだろうか。
今はあまり流行らないが取引銀行から派遣なんて手があるかもしれない。
さらに同社は優れた技術と製品を有する企業ゆえ手に入れたいと考える会社の登場も考えられる。
そもそもまもなく社を去ることになる現経営陣に気合の入った再建案が作れるのかとの疑問が残るがいずれにしても最後の大仕事、反省の上に立って真摯に取り組んで欲しい。

企業トップの年頭訓示に思う

2012年01月06日 | 日記
今年の企業トップの年頭訓示は海外市場開拓やグローバリゼーション対応強化が目立った。
やはり昨年一年の平均為替レートが1ドル=79円と円高が定着したことが企業トップをしてこのような年頭訓示を語らしめたのではないかと思う。
グローバリゼーションについて大手製造業(および一部の中小製造業)では従来から進められてきたが今では流通業、サービス業でもその取組みが顕著になりつつある。
流通業、サービス業分野は当該国の生活習慣との関わりが大きいため進出は難しいとされてきたが「もうそんなことは言っておれない」ということだろう。
一つ気になるのは最近の若者の内向き志向だ。
「海外勤務を渋る」など外国大好き人間を自認する筆者には本当に信じられない。
「一人っ子が多くそれゆえ親の面倒を見なくてはいけないため」という説があるが交通機関が発達し元気なお年寄りも多い今日そんなに大きな障害になるとも思えないのだが・・・。
いずれにせよ意欲と能力のある若者がガンガン海外に出向き暴れ回るようにならないと日本の将来はないと思う。

首相の「ネバー・ギブアップ」発言に思う

2012年01月05日 | 日記
今年の首相の年頭記者会見は故チャーチル英首相の発言を引用した「ネバー・ギブアップ」フレーズが印象的だった。
「ネバー、ネバー」を数回繰り返した政策実行への強い意志表示は好感をもって聞いたのだがねじれ現象や党内の離反活動などで首相の前途は険しいといわねばならない。
いうまでもないが「強い意志」は必要条件ではあるが十分条件ではないのである。
消費増税は少子高齢化社会の到来に向け今や大方の国民が「不可避」と考えているだろうが物事にはやはり順序がある。
国会議員の定数や公務員給与水準の低減に何らかの道筋をつけない限りとても国民から相手にされないだろう。
党内の増税反対派説得はさらに困難だ。
民主党増税反対派より自民党の方がよほど政策的に近いという珍現象下にある。
ここは何が何でも超党派的行動が不可欠だがこれも野党第一党がうまく乗ってくれるかどうか。
本当に針に糸を通すような困難な状況が続くと思うが年替り首相と政治の停滞だけはご免蒙りたい。



テレビ放送はリアルタイムで視るもの?

2012年01月03日 | 日記
1週間ほど前に我が家のテレビの1台を買い換えたのだが取扱説明書を見て驚いた。
なんと230ページもあって目次を見ると「テレビを見る」以外に「USBハードディスクをつないで録る・見る」「ファミリンク機能を使って録画・再生・視聴する/NDMI機器をつなぐ」「インターネットを楽しむ」などの章があるのだ。
テレビ受像機の楽しみ方も増えたものだ。
どうもテレビ放送との付き合い方も変わってきているようだ。
端的にいえばテレビ放送をリアルタイムで視聴するウェイトが下がっているのだ。
まず録画視聴が増えている。
通常の録画(もちろんお気に入り番組は自動収録だ)以外にオンデマンド(有料)などの利用も広がっているようだし最近では全録レコーダーなんていうのもある。
インターネット動画経由でテレビ番組視聴を楽しんだり仲間内でやりとりする向きも増えているようだ。
これではあの「視聴率」ですら再考論が台頭するのも無理はない。
今の集計方法ではいずれ見向きされなくなるだろう。

2012年初詣に思う

2012年01月02日 | 日記
大晦日の夜、紅白歌合戦もそこそこに近くの神社仏閣に出かけてみた。
いつもながらどこの神社も寺院も日が変わる30分も前にはもう参詣客が行列を成し終夜運行する近くの私鉄の駅の閑散ぶりとは対照的だ。
よく日本人は信仰心が乏しいといわれるがこの深夜の初詣客だけ見るとどうしてどうして、なかなかのものだ。
それとも信仰心がないからせめて新年くらいはということだろうか。
確かに筆者も普段から神社仏閣にはよく行くが信仰心というより史跡探索としての目的であって信仰の意味では初詣以外には初宮参り、七五三など子どもが節目に当たったときぐらいのものだ。
例大祭や夏越際などもあまり行った記憶ががない(ごめんなさい)。
ただ初詣だけは別だ。
日が昇れば多くの善男善女、数百万いや数千万もの人々がお目当ての神社仏閣に押し寄せるはずだ。
願わくば多くの願いを叶えさせる一年であって欲しい。
ちなみに筆者の直ぐ後に並んでいた若者達の願いは「就活の成就」ように聞こえた。