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お金をつかうこと

2010-07-12 16:39:07 | 作務衣はじめ 昔話


お金とは幾らあっても

人にとっては満足しない奇妙なものですね


さて、お金持ちになったことがありませんから

判らないのですが、お金持ちほど「けち」とは

よくいわれます、けちだからオカネモチになるのか

良くわかりませんが・・・

たくさんの人達が日本の国土の上に立っていますが

全国でも数える人たちしかオカネモチにはなれないのです

それは、使う人とためる人の割合をカミサマが決めているから・・
(ウソ・・)

使う人の代表に選ばれた私は、正直にその仕事を全うしたいので

宵越しの金など持っておりません(笑)

また、カミサマの指示ですから、お金持ちをうらやんだりもありません

ただ、一度で良いから

一億円の重さがどのくらいかは

この手で感じとってみたいものですが・・・

そんなわけで、宝くじだけは時々買うのです

売り場のおばさんに

「絶対当たらないのをください」などといいながら

お金を使う

カミサマの使命を果たし続けております・・・

浪費の美点は

浪費するお金があることです

そして、それはだれかのために

なっていると思う

自己満足の世界でもあります・・


貧乏人

人のためにと

見栄を張り



お隣さんから今年も枇杷をいただきました

少しは食べてあとはお客さんに

プレゼント・・・

おなかにさえ「ためる事」もできない体質に

なっているのかなぁ・・・

















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