さて、昨日書いたとおり、ガンダムセンチネルと東方について。
そも、このガンダムセンチネルという作品が作られた背景には、MSVをはじめとするガンダムと言う作品の持つ世界観の一人歩きや拡散があったわけです。
そうした状態に待ったをかけるために作られたのがこの作品、正確にはガンダムセンチネルという模型雑誌にて模型写真と小説をあわせたコラムを連載するという企画だったそうで。
この背景が、僕には現在の東方を取り巻く状況と合致して見えるんです。
あさのまさひこ氏のあとがきには、こんな一文があります。
「本家のパロディがパロディを生み、そのパロディがオフィシャル化して"本家"化する等、もはやガンダム・シーンは言わば近親相姦の繰り返しによって"約束事(ルール)"が欠落し、『遊び』に侵食された純血の"本家"の存在は消滅しかかっていた」
「本家のパロディがパロディを生み」なんて下りはまさに二次創作が膨れ上がった現在の東方界隈にぴったりの言葉だと思いますし、「"本家"の存在は消滅しかかっていた」というのは、拡散を続ける東方というジャンルの末端部分では、キャラクターやn次ネタ、ニコネタのみが増殖して、原作としての東方が意味消失している状態を表すのに最適な言葉だと思います。
おそらく僕が寡聞にして知らないだけで、こういう受け手側と送り手側の意識の剥離は実はたくさんあるんじゃなかろうかと思います。
東方は同人、個人製作というスタンスを堅持しているので、実は弊害は抑えられてるのかも?