ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

月日の流れは1

2019年09月26日 21時03分13秒 | 生活

ああ~日常の中で不意に
人生がガラッと変わるような
そんな連絡が飛び込んできたりする
ことがたまにありますよねえ。

先日も三時間走の打ち上げで、
おいしい料理とお酒を
飲んでいるとき、携帯に
びっくりするような連絡が
飛び込んできました。

連絡があったのは、
昔からマラソンやウルトラを
楽しんできた仁Oさんからだ。

宴会の中でみんなから
最近は仁Oさんもあまり
見ないねえとか
話をしていたところだった。
まあdoironは行きつけの
飲み屋さんで仁Oご夫婦に
よく合うのでみんなよりは
馴染みがある。

生ビールをクイっとあおったその時に、
その仁Oさんからの電話があったのです。

その話しの内容は驚くべきもので、
いつも通っていた居酒屋の
ママさんが亡くなったとのお話だ。

一瞬何の話をしているか
わからなかったほどの驚きだ。

ここで話を進めていくためにも
すこしこのママさんの話をしてみよう。

ママさんが松ノ浜でエイという
お店を始めたのはもう今から
44年も前のことだ。

そんなお店にdoironが通い始めて、
もう31年が経つ。
毎週木曜日の夜は、
プールでゲホゲホと泳いだ後は
いつも飲み会をおこなっていたのだ。

年間50回行ったとして
1500回くらいは
ここに通っていることになるわけだ。

オープンして40周年の時には
首藤さん、T本さんと棕櫚竹で
お祝いをした。



まあ、44年も店をやっている
ということは、doironの就職機関より
長いということやからすばらしい。

でもこの話にはすごい続きがあって、
ママさんはこの店開店の資金を
稼ぐために、若い時に和泉府中で
寿司屋さんで働いていたことがある。

その話をママさんから聞いているときに
「あ~じゃその店だったら、
doironの親父の会社の
すぐ近くやなあ」というと、
ママさんの顔がギョギョ~と変わった。

「え?それじゃもしかして
doironのお父さんは
あの会社の人?
ウヒャー、それだったら名字から見て
うちの前の店の大ご贔屓さんや。
doironさんはあの人の息子?
めちゃめちゃおどろきやあ」といいながら、
焼き鳥のくしにおでんの大根を
指すようなうろたえぶりです
(そんなことはなかったけど)

そう、そんな会話が交わされたのは、
僕がエイに通い始めて
10年くらいしてからのことで、
ママさんの頭の中でdoironの顔と
親父がつながったんだそうで
なんと親子2代でママさんには
お世話になっていたのですねえ。
まるで安物の大衆小説のようです。
帰って話を親父にしたら、
親父もしりもち着くくらいに驚いてました。

まあ親父も酒をやめているので、
もう店には行けないけど
何度か顔を出していたそうです。

最終介護になってその頃には
一緒に行けずじまいだったのが
悲しい思い出ですね~。

そんな歴史のあるママさんだから、
年齢も70台後半でかなり高齢と
なっています。
いろいろ体にも支障が来ていて、
晩年は注文がなかなか
一言では通りにくい
という状態になっていました。

そうそう、木曜日のエイには
終了間際には男前の旦那さんが
仕事帰りに店にやってきて
食事をしていました。

春ごろにはそんな状態の中、
常連だった首藤さんが亡くなり、
悲しい飲み会が続いてたり
していたのでした。

今年はほかにもいろんな出来事が
ママさんの周りにも起こり始めました。

大変だったのは、夏前に旦那さんが
入院したことでした。
一週間くらい休んだので、
「ああママさんちょっと体調
悪くしたのかなあ」と
思っていたのですが、なんと
旦那さんが末期のがんだったようです。

病院に入ってすぐの6月くらいに
亡くなってしまわれました。
ママさんのショックは大きかったようです。

心がふさがったまま
仕事をしつつもある日転倒し、
肩の骨を折ってしまう
という事故にあってしまわれました。

そのまま入院し、
この夏は1か月以上も
店は閉まったままだったのでした。

続く



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