ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

北アルプス 追悼の涸沢2

2019年09月08日 20時53分39秒 | ウォーキング

9月2日。

いよいよその日がやってきました。
体の方も、準備の方も
この旅行に向けてそれなりに
仕上げてきました。

これで大丈夫だろうと、
心にしっかりと確信を抱いて出発です。
何かあっても首藤さんがしっかり
守ってくれるだろうと祈りつつ
出発しました。

ミセスには全然大丈夫やからねえ~
と安心した顔を前面に出して
出発していきます。

今回の出発時の姿は、
モンベルの赤い短パンに山用の靴下を履いて、
上は半そでTシャツの上に、
そう40年前くらい前に
はやったようなチョッキを
羽織って出かけます。

まあこんな姿はもう今の山には
あまりいないでしょう。

リュックも40年前のカリマーだしね。



さあ、今日はJRでバスの出発地の
梅田まで行きましょう
と思ったらそのときです。
環状線内で事故が発生し、
動きが悪いとのことです。

T本さんにJRやめて南海本線で
おいでと連絡です。
T本さんは和歌山市に住んではるのです。

難波で無事に合流し、
満員の地下鉄御堂筋線で
リュックを担いでひんしゅくされながら、
ようやくバス乗り場に到着です。

コンビニで明日の朝飯と
夜のビールとおつまみを買って、
がらがらの夜行バスで
午後9時30分にさあ出発です。

このバスにはちゃんと
トイレが付いていますから、
心配は何もありません。

ただ、もう乗った段階で
カーテンは閉められ、
明かりもほんのわずかで、
さあ旅だ旅だというような
感覚はありませんね。

ビールをいただきながら
眠くなったら寝るという感じで、
旅は始まりました。

新大阪、京都を出た段階で
doironもバスに揺られながら
熟睡の世界に入っていくのでした。

そして翌朝、静かなタイマーの音で
目が覚めました。

あと30分くらいで到着です。
釜トンネルの入り口だったと思います。

客室はまだ密室で真っ暗。
窓のカーテンを無理やり開けても
森林の影が見えるだけで
なかなか景色も楽しめません。

まあこの辺は帰りに楽しむことにしようと、
静かに乗車していました。

そして5時30分。
予定通りにバスは上高地に到着です。
うっすらと明るい状態でした。

天気はどうかなあ、
と思っていると突然に
ザアアアと降り始めます。
もう災害級の雨ですねえ。

それがまた5分もすると
深い霧の中に景色が隠れていきます。

ここは標高1500m。
多分僕らは雲の中にいたんだと思います。

さっさと朝食を食べて
すぐにスタートしてゆきます。

ここから、明神、徳沢、横尾と
1時間間隔で道が続いていきます。
ただこの辺りは、
上高地までやってきて景色を楽しむ
観光客も歩いていたりするので、
傘を差しても歩いていくことは
全然可能です。

doironたちは、リュックに
ザックカバーをかぶせて、
モンベルのカッパに全身を包み、
傘をさして進んでいきましたがね。

スタートは午前6時ちょうどでした。
まずは、バス停からすぐの
ところにある河童橋です。



上高地と言えば、まずこの橋ですねえ。



この橋は何度も架け替えられています。
荒々しい自然の中で、
消耗が激しいのでしょうねえ。

昔々にdoironが見たのは
4代目の橋でしたが、
今の河童橋は平成9年に
かけ替えられた橋です。



ではなぜ河童橋というのでしょう。

「その昔、ここに河童が住んでいそうな
深い淵があった」とか、

「橋のなかった時代、衣類を頭にのせて
川を渡った人々の姿が、河童に似ていた」
など諸説ありますが確実ではありませんし、
昔ここに橋が架けられた時期も
わからない謎の多い橋なのです。

樹木の伐採作業は江戸時代からも
行われていたという歴史があったりします。

今はこの橋も、
時期によってはものすごい人たちで
おおわれるほど人気なんだそうです。

続く