ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

北アルプス 追悼の涸沢11

2019年09月19日 20時50分36秒 | ウォーキング

お風呂でとろけた後、
部屋でお酒を飲んでいました。

この徳沢ロッジは昭和31年から
開かれているそうです。



ということはdoironと
同じ年じゃないですか。
頑張ってますねえ。

でもねえ最近、客の少ない
こんな状態だったら寂しいよねえ、
なんてしゃべっていたら
あれよあれよという間に
他の客が入ってきます。

相部屋ですからね。

そしたらあっという間に
5人入ってきて、8人部屋に
7人となりました。

ああ、こうでないと経営は
苦しいでしょうねえ。
入ってきた人たちに
話を聞けば九州からの団体さん4人と
千葉県からの1人でした。

九州の人は松本空港経由で
飛行機で女性も一緒にやってきて、
明日は蝶ケ岳の方に登るらしいです。

また千葉の人は僕らと一緒で
涸沢から下りてきたそうです。

話をいろいろしていたら、
この辺の山小屋は今でも
どこもいっぱいなんだそうです。

電話をかけてやっとここが
とれたと千葉人は言ってはりましたよ。

T本さんは九州のおじさんの話に
熱く反応してましたねえ。
78歳のおじいさんで、
職場の仲間をつれてきているとのこと。
若い人も一人いるので
頼りになりますねえとか
言ってはりました。

さてそんな話をしているうちに
いよいよ食事の時間となりました。

午後6時半から広い食堂で
いっせいに食事が始まります。
こんな食事です。



涸沢よりはかなり豪華です。
しかもなんと、明日いただきに行く
予定のイワナの塩焼きも
ついているじゃないですか。

早速いただきましょう。



頭からがぶりと被ると、
まあ少し硬い部分もありますが
なかなか美味です。
お酒が進みますねえ。

ああ、こんな山にしょっちゅう
来てたらアル中になりそうです。

ハンバーグはというと
これはかなり強く固められていますから、
お箸じゃわりにくいほどでした。

千葉人と色々話しつつ
おいしくいただきました。

食後は、こんやは首藤さんも
入れて宴会だあと思っていたのですが、
なんとここの宿も
午後9時消灯です。
さほど頑張って飲み続けることも
できないまま、消灯を迎え、
我らは深い眠りの中へと
落ちていくのでありました。

翌朝、薄曇りの中で目を覚ましました。
窓から外を見ますと、
森の中にはオゾンが充満
しているような雰囲気です。

昨日散々下ってきたので
足が少し筋肉痛です。
と思っていたら、
T本さんも激しく筋肉痛でした。
部屋は2階にあるのですが
階段が厳しいです。

朝食はこれ。



まあ普通の民宿の朝食って感じですな。

食後は乾燥室から荷物を
全部引き上げてパッキングし、
七時半ころに上高地に向けて
出発をしました。



歩き始めるとなんか天気も
回復してきました。
前からくる人たちもまた
リュックにカバーを付けているので、
下も好天ではなかったようです。



携帯で天気予報を見てみると
ここから2日間くらいは
天気がよさそうです。
川の方向を見ると明神岳も
その姿を現しています。



いいなあ、これから登る人は
また素晴らしい景色を
目にするんやろなあ。

といっても今は行く気しませんけどね。

下りで疲労した足は、
石段を下りたりわずかな
下り坂を進むときに、
おお~っと力を入れてしまいます。

登ってくる人に

「おはようございます」

とあいさつしつつ1時間ほど歩くと
明神に到着です。

この時ベンチの前に
一人で山に来たおばさんが
話しかけてきました。

「明日から天気よさそうですね。
そのニュースを見て思わず飛び出してきて
しまいました。
東京から一睡もしないで車で来て
早く山小屋に入って眠りたいです」とのこと

一睡もしないでって驚きですよねえ。

まあでも二日間一睡もしないで
萩を走りとおした人が
いうのも変な話ではありますがね。

さあここからは、往路で来た時とは
違う道に出ますよ。

小屋から狭い山道に入っていくと
明神橋が梓川にかかっています。
その橋を渡って梓川の右岸を
進んでいくのです。

これがその明神橋。



ここから明神池の方にさらに
向かっていきますと、
左手に古い山小屋が現れます。

それは「上條嘉門次小屋」なんです。



実はこの小屋に関して
doironには懐かしい思い出が
あるのです。

続く