え~っと、ここが藤井寺駅の
北口の方ですねえ、
あ、前にジムがありますよ。
のんさんが泳いでいるかもしれませんよ。
この藤井寺の駅前で、
自分の姿で気が付くことが
ひとつありました。
山歩きではないので大変な山靴は
履いていませんが、
ちょと今日はいている靴の底が
ペロッとはがれているんですよね。
これはいけないぞ。
このままだとヘンクツな
おじさんに見えてしまいます。
あわてて「補修用」に
ガムテープを買いました。
駅前の片隅の駐車場のすみっこで、
くつにガムテープを貼り付けると、
これがいい感じ。
見た目は悪いけど、
まあ応急処置としてはとってもいい感じです。
あ、街の片隅で靴に
ガムテープを巻いてる
へんなおっさんの姿を
想像してはいけませんよ
そうそうむかしランニング中に
新しい靴が合わなくて、
かかとに捨てられてあった段ボールを
折りたたんで入れたら
とてもいい感じになったのを
思い出します。
そしてなんとこのガムテープが
また後程とても役に立つのですが・・。
それはまた後で書きましょう
経路はこういう商店街を抜け、
西国三十三か所第5番札所である
葛井寺の横を通って進んでいきます。
そしてその先に
「仲哀天皇御陵・・」
と書かれた石が立っています。
仲哀天皇といえば前回も
雨の中を歩いた時に出てきましたし、
2016年の春に出かけて行った
堺市内唯一の国宝建造物である
櫻井神社の祭神でしたねえ。
今回はここも目的地のひとつですねえ。
そんな辛國神社の横を抜けて、
地図を見ながらくねくね進んでいきますと、
静かな住宅街の中に
いきなり小さな古墳に出ます。
これが「鉢塚古墳」です。
これは仲哀天皇陵の陪冢だそうです。
ああでもこういう古墳の存在が、
世界遺産になった後の
周りの静かな住宅街に
どんな影響を及ぼすか、
これはちょっと心配ですねえ。
ましてここのその形は
なんと小さな陪冢なのに前方後円墳。
5世紀後半の頃の古墳で、
陪冢が方墳や円墳でなく
前方後円墳というのは
まさに古墳時代の終末に
差し掛かっている古墳だそうで、
けっこう重要な古墳だから
なおさら人が集まりそうですねえ。
ここに行った時は墳頂にあがる
階段もあって中に入って
ウロウロとできそうな施設なんですが、
なんかうるさそうなおっさんが
墳頂あたりをウロウロしていたので
遠慮しときました。
河内のおっさんはうるさそうです。
そうしてそこを後にすると、
その陪冢の本体である
仲哀天皇陵本体がすぐ横に現れました。
大きな堀のある立派な古墳です。
仲哀天皇は日本の第14代天皇。
仁徳天皇の祖父にあたります。
この古墳の存在を見ても、
百舌鳥と古市古墳は
関連していることが
よくわかりますよねえ。
ここまで登ったりできる
古墳を見てきましたが、
さすがにここは立ち入りできません。
拝所の近くには管理事務所があり、
定期的にここから管理する人が
墳墓に入り整備しているそうですが、
どうもここの管理人は
墳墓の中に入ってしまうと
方向感覚がおかしくなると
いってるそうです。
何となく静かで、それでいて
強い意志を感じるような
そんな古墳ですね。
古墳の周りには鳥が飛び交っており、
静かな堀には水鳥も
たたずんでおりました。
拝所もちゃんとありますから、
手を合わせていきましょう。
さあ、ではここから次に
目指すのはなんと、
昔doironがその横に住んでいた
こともあるという「峯ヶ塚古墳」です。
遠くに藤井寺の船のような形をした
アイセルシュラホールが
見えているあたりを
今度は右折して南の方へと
進んでいきます。
電柱を見ると、この辺りは
藤井寺の「いにしえの道」という
ウォーキングコースに
なっているようですねえ。
さらに進んでいきますと
こんな道標が建っています。
ふじい寺、大坂、まきの尾、
こうや山、なら、堺などを示す道標です。
続く
おめでとうございます。
ついに、7月6日に世界遺産に
登録されたですねえ
「百舌鳥・古市古墳群」。
良かったですねえ。
待ってた人には特別ですねえ。
世界遺産になったからって
なんともないよという人もいますが
まあ、ええことじゃないですか。
doironのブログもちょうど
古墳話で盛り上がり中です。
読んで勉強してみてね~
ーーーーーーー
先日は堺の百舌鳥の
古墳群を歩いてきました。
百舌鳥の世界遺産の古墳は
全部で23基。
そのうち19基は2013年に
歩いて調査しましたが、
残りの4基についても
先日たずねて歩いてきたところです。
まあこのニュースが発表された頃は
すごい人が来たようですが、
ようやく落ち着いてきたんだと
解説ボランティアの
おじさんが言ってましたねえ。
でもまた忙しくなるんでしょう。
これから古墳巡りの
歩きツアーなんかも
旅行関係各社で
企画されていくんでしょう。
古墳カレーのおばちゃん、
騒動に巻きこまれないように
注意しないとねえと
余計な心配をしたりしています。
これで百舌鳥の方の
23基のdoironの調査は終わりました。
で、次は古市古墳群ですね。
ここも百舌鳥同様古くからあります。
古いよ、古市、古墳群
古市ではこれまで確認されている
古墳は約150基あったそうです。
そのうち、開発されずに
残されているのは今は46基ある
といわれています。
それらのうち、26基がこのたび
世界遺産に登録されました。
ここは堺の百舌鳥の
約10キロほど東のエリアになります。
築かれた時期も百舌鳥と同様に
4世紀後半から6世紀初頭の頃です。
百舌鳥が16代~18代の
天皇の墓があり、
こちらは14代から19代の天皇と
磁気的にも交互に築かれたりして、
深く関連しているようです。
以前に古市の方は、
雨の中を歩く旅行をしたことがあり、
その時はしっかり雨対策を
して歩いたんですが、
長靴は少しあきませんね。
でも来ていたアウトドア用の服は、
ぬれてもさすがに
違和感も少なく良かったようです。
雨の中カメラにはかなり
気を使いましたがね。
そんな風な歩きをしたのですが、
残念ながらその時に
きちんと古墳を眺めたことは
ほとんどありませんでした。
すぐ横を通ったり、
公園で古墳の中に上がり込んで
みたりしたのですが、
そっちに意識を送ることは
ありませんでした。
なので、今回は世界遺産対象となった
古市今墳をそっちの意識を持って
見て回ろうと企画し、
とりあえず歩き始めることにしたのです。
それらを記載した新聞記事を元に、
資料を作り順番に尋ねて行くことにします。
この辺りはかつて働いていた近くだし、
doironは羽曳野の方には
住んでいたこともあるので、
ある程度方向感覚はしっかりしています。
まずは藤井寺市役所に
車で向かいました。
ここに車をとめて古墳群の
飾りつけをしている1階のところで
こんな地図をもらいました。
折り畳みで広げると
大きな地図になっています。
これで十分回れるでしょう。
では、この地図に従って、
順に古墳を訪ねて行ってみましょう。
まず最初は他の古墳と
少し離れたところにある
「津堂城山古墳」に行ってみましょう。
市役所を出て大和川の方を
向いて北上していきます。
ああ、この道は昔西高野街道を
一緒に歩いた先輩が飲みすぎて
家まで送るときに
この道を肩を組んで歩いたなあ。
道の途中にはトライアスロン友達が
やってた居酒屋がありました。
今はもうないけどねえ。
そんな先輩の家に入っていく道を
見ながらもう少し進んでいくと、
大きな公園になってる
その古墳に出ます。
ここは4世紀の末ごろに
作られた古墳で、
古市古墳群では最古の古墳です。
奈良に古墳が多かった時代に
こちらに古墳築造をもたらした
重要な古墳だといわれています。
ここの発掘時には見事な水鳥の
埴輪も見つかり、水鳥に関する話を持つ
ヤマトタケルの墓ではないか
という説もあるようですが、
真相はわかりません。
こんな小山のある公園ような感じで、
登ると二上山なんかも見えています。
さあではここから今来た道を戻り、
近鉄線を越えて南の方へと
進んでいきましょう。
まず再度藤井寺駅の方に
向かっていきます。
続く
少し前にJRの都市近郊区間を使って、
一筆書きの激安電車旅行をしてきた。
これがねえとても面白くて、
今回の旅行の試しをもとに
またちょっといろいろと
研究してみようと思った
そんな日のことだ。
遠方を回っているdoironの携帯に、
村に住んでいる同級生が
危篤状態だというメールが入ってきたのだ。
彼は5年前に大腸がんを患い、
手術も何度かしたりしながら
頑張って生きていた。
日常生活に苦労が残るよなあ
という状態まで体を切り刻んで
きたのだが、このたび骨に
病巣がうつり、もう治療も
できない状態になってしまったのだ。
なので医者の処方の下で、
モルヒネ関係というのだろうか
そんな痛み止め注射をしつつ、
もう食事もとれなくなってきた体で
奥さんと娘二人と頑張っていたのだが、
その危篤というメールを
もらったその夜の明け方に
お亡くなりになったのだ。
彼はdoironより二週間年上の同級生だ。
祭りの12町連合を作り上げた
といってもいいくらい
活躍をしていたなあ。
村の役員もいろいろとしてくれて
本当にありがたかった。
お葬式の写真は鉢巻をまいた
彼の姿で、祭りの太鼓が
ずっとバックミュージックとして
ホールに流れていた。
そのホールも実は彼が会長になって仕切る
12町祭りの会場の中にある。
だんじり曳行にあたって、
いろいろと彼自身も
そのホールと交渉をしたのにちがいない。
そこでの自分の葬式だなんて、
なんというめぐりあわせなんでしょう。
あの世でしっかりとこれからの
祭りを見守っていてくださいねえ。
彼とは幼稚園も小学校も
中学校も一緒に通った。
そんな身近な同級生の死
というのはとても重い。
まあこんな歳だから周りの
こんな出来事に出会う機会も
これから増えてくるかも
しれないなあ。
生きて元気にしているうちに、
やりたいことは一ぱいやって
おかなくちゃねえ。
ご冥福をお祈りしてるよ~
まあここまで新車のことを書いて
さあ安全運転と誓ったところでした。
そして本日初めての遠出やなあと
早朝から車を出して高速道路に
乗って、滋賀県を目指していたのです。
「ああやっぱり高速運転なんかは
快調で気持ちええなあ」と思いつつ
ビューンと走っているその時でした。
「ガツン」と強烈な音が聞こえてきました。
え~何?
と思って音の方に目を走らせると
「ウワー、フロントガラスに
ひびが入ってるぞ~」
飛び石ですねえ。
そういえば、以前サーフに乗った時も
購入1か月くらいで
飛び石でフロントガラスが
破損したことがあります。
こ、これは継続して走れないぞ
今日は遠出をやめていったん帰宅だあ
と高速道路をすぐに降りて
一旦家に向かったのでありました。
さあ帰ってから車のディーラーに
電話をしようと思ったら
なんとその日は休みではないですか。
仕方ないので、車の手配を
お願いした商事会社の連れに
電話をしてみました。
まあ結果的にはそれでよかったんですね。
彼の指示でひびの入った写真を撮り
状況を説明してまずは
保険会社に連絡をしてもらった。
そうこの新車購入時に
車両保険に頑張って入っていたのが
ここにきて大正解でした。
これは保険支払いの対象になるそうです。
しばらくしたらディーラーの
人間から連絡が入りました。
きっと彼が連絡を無理やりつけて
手配をしたのでしょう。
「今、フロントガラスの在庫を
確認していますから
また連絡をします」とのことでした。
そういえばこの車
フロントガラスにはいろんな
物が付いています。
センサー類なんかも
衝突防止とかで細かい調整も
されているようですから
なかなか金額的にも大きいようです。
あ~保険入っていてよかったあ
今週水曜日くらいに
在庫状態がはっきりするので
また連絡がありそうです。
ディーラーには
「ガラスがないのやったら
新車にしてくれてもいいよ」なんて
いってますがねえ。
さあてどれくらい期間がかかるでしょう。
この後、ミセスや友達と
遠出とか色々計画しているのに
間に合わなければ延期やなあ。
果たしてどうなりますかねえ。
新車を買った喜び、
それが傷ついた悲しみと
新車にもてあそばれている
doironなのでしたあ
ナビの性能で、行先を
チェックしようとすれば
わからないわけではない。
なので毎日のジム通いが
いびつなデータを残したりも
するのかもしれない。
車に乗ると、
「今日も歩きに行くのですか」
あるいは
「またジムいくの~」と
言ってきたりしてね。
AI搭載のナビだったら
そんなことも言うように
なるんかねえ。
あとまあナビの能力で
この運転手はサティと近商と
万代、イズミヤの買い物を
どう使い分けているか
わかったりしてねえ。
じゃあそんな時にそれらのスーパーの
大安売りもチェックして
知らせるなんていう、
所帯じみたナビがあっても
面白いかもねえ。
自分の携帯電話も勝手につながって
車内のスピーカーとマイクで
話せる状態になるのも
びっくりするような状況だったなあ。
まあそんなことは普通の
技術なんだろうが、
自分の車でこんなことも
できるようになるってなあて感じだ。
でもねえ、この電話の会話も
いろんな問題を引き起こす
かもしれないよ。
電話をしているときに周りから見たら
高齢おじさんが、運転席で
口をパクパクさせながら、
慌てふためいているしか
見えなかったりしてねえ。
「気をつけろ!急にバックするぞ」
みたいな声が周りで
飛び交っていたりして。
ま幸いdoironの場合
ロックンロールを歌っている
渋いおっさんのように
見えたりしているのかも
しれないけどね、へへ。
それからナビの現在地通報能力で、
盗難のときは少しは役に
立つのかもしれない。
まあ自動車を盗もうとしている
人間だったらそんなことは
分かったうえでのことかも
しれないけどね。
あと、何となく感じるのは
この車は4WDなのだが、
カーブ時にタイヤの回転数を
変えたりしているようだ。
このシステムにも何やら
名前がついているようで、
曲りを良くするため、
回転数で補助したりするんだろう。
なので何となく切りすぎているような
感じをたまに受けたりするのは
勘違いなのかなあ。
ミセスの軽四と交互で乗っているので、
何となく感覚を調整しないと
いけないのかもしれない。
ハイブリッドということで、
回転数なんか出ると
動き回ってややこしいので
それは出ないのかなあ
って思っていたらやはりそうで、
回転数メーターみたいなところに
エコとかパワフルとか
なんかを示す針のメーターが付いている。
まあ、これは最先端の技術の中でも
残っているアナログ技術のようなメーターやね。
でももう少しなんかエンジンなんか
モーターなのかよくわかるようなものが
運転席にあればなあと思うのだ。
いま自分の車はエンジンで
動いているのか、モーターで
静かにうごいているのか
よくわかったりしてねえ。
まあフロントの表示に
様々なものがあるようで、
これが一目でわかるような表示も、
もしかしたらあるかもしれないねえ。
まあ、こうしてなんか技術の塊で
目に見えないいろんな親切な
案内に包まれているような
気がしないでもない。
あまりにパワフルな駆動系を
やさしく運転者に伝える技術が、
とっても感動的やねえ。
でもそれもますます車の
危険度を薄れさせていないかなあ。
あまりそんな技術のやさしさに
包まれた運転に慣れてしまうと、
いけないよねえ。
それにほかの車の運転時に
支障が出ないのか、
ホンマにそんな感じを
強く受けたりするのが
最近の運転の様子なのだ。
前からずっと乗りたかった
この新車に乗れて
ハンドルを持つのがとても
たのしいんだけど、
とにかくはまあ安全運転。
それはしっかりと
確保しておかないといけませんねえ。
doiron遊びのパートナーである
新車が納車されてから
半月余りがたつ。
これまでこの車で一番遠くまで行ったのは、
おはらいで出かけた水間観音かなあ。
本来だったら孫を訪ねて
信州までという計画だったのだが、
どうもタイミングが間に合わず、
それは後日ということになっている。
まあ、これもまた車と慣れる大きな
タイミングのひとつになるだろう。
それでは今の乗車の感じはどうなのか。
いくつか気になる点を挙げてみよう。
まず最初は、パーキングブレーキがないことだ。
止まった時に引き上げたり、
左足で踏み込んだりする
あのブレーキがこの車にはない。
設定しておくと、信号で止まったり
したときに、自動でそのブレーキが
入ったりする仕組みになっている。
だから信号待ちのときなんかも、
ブレーキを踏まずに済むのだが、
これがねえなかなか慣れてこない。
はっと気が付いたらブレーキを
踏んでいたりする。
でもまあこの辺はあまり慣れすぎてしまうと、
他の車を運転するときに
変な動きになってしまうような
気がするから
注意しないといけないだろうね。
こういう動きは、この車を急遽運転する人には
軽く教えてあげないといけないやろね。
ま、それを言い出したら、
そもそもこの車の始動のボタンが、
ハンドルの左側にあることも
教えないといけないかなあ。
次に気になるのが、
この車の圧倒的な馬力だ。
やんわり運転しているときには
全く違和感はないが、
高速に乗ろうとしたときに
少し足に力を入れて踏み込むと、
座席に背中が張り付くようなほどの加速をする。
「ああ、元気なころはこんなスピードで
走っていたなあ」なんてことは全くなくて、
驚くような加速をするので
注意が必要だ。
それをスポーツモードに
入れておいたりすると、
ウヒャー車ってこんなに馬力が必要?
って思うほどの勢いで加速するのだ。
羽があったら離陸するだろう。
2500ccのエンジンと
ハイブリッドモーターの
コラボレーションはおそろしいものがある。
これまで大きな車に乗っていたのに、
あまり感じたことがない超加速度だ。
これまで乗った中で、
すごかったハイラックスの加速を
こえているなあ。
エンジンはそのメーカーの
性質によってその辺の特徴は
変わるのかもしれないけど、
今回は驚きのひとつだった。
そしてこの車、運転し終わると
点数が出たりする。
「今日の運転は75点。
アクセルの踏み込みの柔らかいいい運転でした。」
などとメッセージが出たりするのだ。
なんかすごいなあ。
そしてナビの方も多種多様な
動きをしたりもする。
もともとこのナビは最初からの
サービスで、ネットとつながった
状態になっている。
なので知らない間に情報を
いろいろ取り込んでいるようだ。
朝一で車に乗り込むと、
今日の天気はこれこれです。
そして今日は何々の日です。
みたいなメッセージが必ず流れる。
さらに言えば、到着時は明日の
この辺りの天気は雨だから
傘を忘れないようにしましょう、
なんて言ってきたりもする。
まあ天気関係が多いけど、
毎日何とかの日ですというのは、
そんな情報もあるんやなあと感心させられる。
こうなったら、いっそ
「オッケーグーグル」みたいな
機能を持たしても面白いかもしれないねえ。
「doironさん、そんなに毎日ジムに行って
疲れをためてませんか」
なんていったら面白いやろなあ。
もう一つ、Tコネクトという
システムも持っている。
天井にあるボタンを押すと
トヨタのオペレーターが直接
出てきたりするのでこのボタンには
注意しておかないといけない。
小さな子供が乗ったときなんか大注意やな。
これ押したら座席が飛び出すで~
とか言っておかないといけないだろう。
だからナビと連動していて、
現在位置もつながっており、
どこをどう走って、車をとめて
どこかに歩きに行ってるのかが
すぐにわかるそうなのだ。
これはちょっとうっとおしかったりする。
で、感想はもう少しあります。
続く
実はdoironもこの吹田市で
働いていたことがありました。
一年間だけですけどね。
まあなので遠いような
近いようなそんな市なんです。
ほかにも、ここではな、なんと
水泳の100m個人メドレーの
試合も出たことがあり、
優勝したことがあります。
参加選手の相次ぐ不参加で、
なんと一人で参加した種目でした。
めちゃめちゃ緊張したのを忘れません。
全員の視線を浴びました。
バタフライは格好悪く手が
上がらないように、そこに必死でしたし、
背泳は水を飲まないように
細心の注意を。
そしてもう平泳ぎで息が上がりまくりで、
最後のクロールは半分意識のないまま
泳いでいたのを思い出します。
ゴールしたら大拍手で、
ああ、あのころから
トライアスロンにはまり込んでいきました。
そんなことを思い出しながら、
南吹田の駅を出ていきます。
広い道路を進んでいきますが、
どうも線路からは離れていきます。
というのも、線路はこの辺で
大きく曲がって、
先程わたってきた神崎川を
また北から南へと渡っていきます。
そこには人が走れる橋がないので、
遠回りとなるわけですねえ。
まあこの辺が、貨物船を改造した
この線路のちょっと変わった
ところですかねえ。
doironも少し線路から離れた橋を
へろへろと渡っていきます。
下流側にも上流側にもおおさか東線の
線路が見えています。
この歩いて渡った橋が
「新大吹橋」ですねえ。
その橋を下りたとこで
線路に向かって左に大きく曲がるのですが、
そこのコンビニがあったので
昼食に寄りましょう。
前回からコンビニの冷やし中華を
食べているのですが、
今回はローソンの「盛岡風冷麺」です。
風、とまあそれらしい
名前を付けていますねえ。
コシ、弾力、つるみのある麺ですねえ。
まあ盛岡のあの桜のお城を
思い出します。
まあ悪くない味でした。
カロリーは391キロカロリーで、
まあ言ってみればローラーで
40分ほど走るカロリーですねえ。
頑張って消費していきましょう。
暑い中を歩き始めます。
このまままっすぐ進んでいくと、
おおさか東線に到達しますので、
ここを右に曲がって線路沿いを
歩いていくことにします。
古い線路を改造していますから、
高架下の空き地なんかは
かなり年季の入った植物の様子ですねえ。
サボテンなんかも花だらけです。
しばらく歩いていきますと、
前方に阪急電車が見えてきました。
なんかにぎやかな電車を
走らせていますねえ。
入り組んだ踏切を渡っていきますと、
ああ、ぼちぼちJR淡路駅ですねえ。
この駅で新大阪と久宝寺を結ぶ
全長約20kmのおおさか東線は
すべて歩き終わったことになります。
今回はこんな感じね。
まあもともとこの線路は
貨物車が走っていたので、
全く新規に敷かれたというわけでは
ありませんでしたので、
線路とともにぼちぼち
たたずんできた町
という感じでしたね。
ーーーーーーー
最近はテレビでもこの沿線の
旅番組が結構あります。
新規のお店を訪ねたりする旅ね。
おおさか東線の利用者も増えて
発達していったら、沿線の状況も
変わってくるんでしょうか。
とりあえず現時点の沿線の状況は
こんな感じでした。
おおさか東線、おしまい
先日、おおさか東線に沿って歩いてきた。
久宝寺から淀川まで分けて歩き、
淀川からは一番最初に
JR淡路までを歩いた。
なのでおおさか東線のあと残りというと、
JR淡路から新大阪の区間だ。
ではその残りを歩きに
出かけて行ってみよう。
今回は新大阪駅から歩いていくことにする。
新大阪駅はちょっと新幹線と
在来線が交わっているし、
建物が大きいのでわかりにくい。
むかし、仕事でここにある弁護士事務所で
打ち合わせをしたりしたのだが、
車で来るのと今日のように
電車で来るのとではどうも
位置関係がわかりにくくて
はっきりしません。
それにこの駅は出入り口が
とても多いような気がするので
迷いまくりです。
今日はおおさか東線に沿って
歩いていく予定ですから、
とりあえずは在来線の位置を
よく考えて、東口の方から
外に出ていくことにしましょう。
あれ?でも外に出てみたら、
どうやら在来線の向こう側を
歩くべきかなという感じです。
向こうにわたらなきゃと、
きょろきょろと周りを見回してみますと、
向こうの方に巨大な歩道橋が
あるようですよ。
あそこをわたるのかと
進んでいきますと、トンネルのような
通路がありました。
どうも、それで在来線の下を
くぐっていけそうですから
ここに入っていきましょう。
暗い道を歩きながらようやく
北向いて歩いて行けそうな道に出ました。
ああ、この道を行けば
しばらくはおおさか東線沿いを
進んでいくことになるのでしょう。
こんな自転車置き場がすぐに現れます。
ああ、もう最初の駅の所に出るのですね。
「東淀川駅」です。
でもねえ、おおさか東線は
この駅を通過して通っているのですが、
この駅はおおさか東線の路線には
入っていないのですね。
だからここはおおさか東線の駅、
ということではありません。
この先で大阪ひがし線は東海道線から
離れて右方向へと曲がっていきますので
注意して歩きましょう。
道路と線路の間の空き地には、
ササユリのような花が咲いていますよ。
電車が種を運んできたのかなあ。
それとも開発に用いた山の土の
せいなのかなあ。
いずれにしても大阪市内で野生のユリが
咲くところというの珍しいんでしょうねえ。
その後前方に現れるのが神崎川です。
上流で淀川とつながっている
重要な川ですねえ。
たしか5時間走でも
この川沿いを走りました。
この神崎川を渡るところは
まだ東海道線と同じ場所です。
でも人間が渡れるのは
少し下流の大吹橋ということになります。
「大阪と吹田の間の橋」
という意味でしょうかねえ。
そう、そこをわたると吹田市です。
マンホールふたがこんな感じ。
花が何気なくちりばめられていますが、
中央にあの万博の太陽の塔が
刻まれていますね。
吹田のマンホールカードは
ガンバ大阪のキャラクターである
「ガンバボーイ」を刻んだものもあるとか。
またしっかり探してみましょう。
このさきからおおさか東線は
右側に曲がっていくはずです。
今歩いているのは線路の左側ですから、
線路の向こうにコースを変えていきましょう。
途中、線路の下をくぐる
こんなトンネルがあったので
くぐっていきましょう。
その先で左に曲がると、
向こうの方に線路が見えていますよ。
あれがおおさか東線ですね。
その下をずっと右回りで歩いていきますと、
そこにあったのがおおさか東線の
「JR南吹田」駅ですね。
ここの駅前も整備されていますねえ。
広い駅前に、あの吹田のクワイを育てた
「ドンゴロス風車」が飾られています。
風車の羽がドンゴロスで
できていたのでそう呼ばれているようです。
吹田もあの大阪万博が開かれる前は
田舎だったんでしょうねえ。
あ、ここには環境計測機の
表示がありますよ。
そういえば環境行政も
進んでいる市でしたねえ。
続く
最近、気になっていることがある。
自分の体のことだ。
といっても体調がいいとか
悪いとかそんなことじゃないのです。
どうも最近「蚊」に対して、
刺されてもかゆくならない
体になったのではないか、
ということだ。
それを免疫が付いたと
いうのかどうかはよくわからないけど
体質的にかゆくならないように
なっているのでは、
とかんじているのだ。
昔おふくろやおやじにも
聞いたことがある。
蚊に刺されてもかゆくならなく
なったわあって。
あれはいつ頃のことだろうか。
親の年齢が今のdoironくらいの
時代のことやったのか
はっきりとは覚えていない。
そしてさらにdoironの近所には
そんな人がほかにも結構いるのだ。
特に棕櫚のような栽培地で
働いているものは、
「もう最近蚊に刺されても
全然かゆくならなくなったわあ」
と10年位前から言ったりしている。
年齢的にもほぼdoironと
よく似た村の人間だ。
ま、それほど歳取って、
生物として進化してきたんやあ
なんていうか、あるいは
「いやいやそれは進化や無くて、
加齢による免疫機能の低下」
なのかもしれません。
ではまず何故、蚊に刺されたら
かゆくなるのか調べてみましょう。
蚊はまず皮膚にとんがった口を
突き立てて差し入れます。
人の毛細血管に針のような
口を突き刺すのです。
この時に蚊は唾液を出します。
この唾液には、刺した時に
人に痛みを感じさせない
麻酔作用や、血が空気に触れて
固まるのを防ぐ作用など、
色んな成分が含まれています。
これが、人の体の中に入ると、
その部分がアレルギー反応を起こし、
“かゆく”感じるのです。
これが一般的な蚊のかゆさなんですが、
レベル的には感じ方が違います。
かゆみを感じないといっても
二通りいます。
まずは何も感じない人。
もともとこの蚊の唾液に対して
アレルギー反応のない人です。
刺された痛みもわからない
ある意味ラッキーな人です。
そして二番目は、刺されたという
反応は皮膚に残るのですが、
かゆみは感じないという人です。
まああちこち刺されまくっても
免疫的な反応がない
という方ですね。
多分doironはこの部類でしょう。
先日、手に蚊がたかっているのに
築いたので、慌ててつぶしたら、
プチューとそこが血だらけになりました。
「あ~あ、こりゃかゆくなるぞ」
と覚悟したのです。
でもねえそんな気配が現れないのです。
若干そこが赤くなっただけで
かゆくはならないのです。
そんな経験を続けて二度したら、
ほぼ、確信しました。
こりゃわしは蚊の唾液に関して
アレルギーを起こさない
体になったぞとね。
そういう経験がふた月前くらいで
それ以来、蚊にかゆい思いを
させられた記憶がありません。
ミセスにそんな話をすると、
「実はわたしもねえ、
この前手に蚊がたかっていたので、
わざと血を吸わせて様子を見たのよ。
そしたら赤くなっただけで
かゆくはならなかった」とのこと。
う~ん、夫婦二人で蚊に強くなった?
まあ同じものを食べてるし、
同じような時間を過ごしているから
そうなったのかなあ。
今のところ二人にかゆくなったという
最近の事案は起こっていない。
二人が進化したのか、
あるいはdoiron家の周りの蚊に
そんな力がなくなったのか
どちらかであろう。
あ、こういうのんて
皮膚科で試したりするような
パッチテストなんかはないのかなあ。
まあいずれにしてもこの夏に
その辺の答えはきっと
出てくるに違いない。
でもなあ、かゆくなくなったから
といって喜んでばかりも
いられないよ。
デング熱とか蚊で媒介される
伝染病もあるのだから、
やはり注意もしないと
いけないんやろねえ。
ああ元気に生き続けるのって
むつかしいもんだ。
百舌鳥耳原三陵の天皇の
系譜を調べてみますと、
まず仁徳天皇は日本の
第16代天皇で履中は
仁徳の第1皇子で17代天皇。
そして反正は第3皇子で
18代天皇にあたります。
百舌鳥耳原の中陵が仁徳天皇陵で、
南陵が履中天皇陵、北陵が
反正天皇陵にあたります。
まあこれらの御陵は以前にしっかりと
歩いて尋ねて行ってます。
でもねえ、古墳ができた時期を
考えると少しおかしいんですよねえ。
仁徳が5世紀中ごろに作られたのに対し、
履中が5世紀初頭までに
作られているそうです。
お墓ですから、亡くなった後に
誰かが作ったのでしょうか。
時期がぐいちになっています。
仁徳天皇の方が長生きだったんですかねえ。
このころはまだ年代や没年が
はっきりしませんので、
ちょとおあやふやなんです。
次に訪ねようとしている寺山南山古墳は
その履中天皇陵の少し北にあります。
地図を見ながらこの辺りかなあ
と思って歩いていきますと、
フェンスのところに案内板が
張られていました。
どうもグランドの奥にあるのが
その古墳のようです。
履中天皇陵の陪冢といわれている、
方墳です。
まあこれはやはり近寄れなかったから、
見逃していたのでしょう。
これで未踏4陵のうちの
3陵を確認しました。
世界遺産の百舌鳥古墳群も
それで一応ひととおり眺めてきた
ことになります。
では今回最後の古墳である
「銭塚古墳」に向かっていきましょう。
地図では大仙公園を東に抜けて行って、
阪和線沿いの近くにあるようですが、
どうもその辺は堺支援学校の
ようなんですがどうでしょうかねえ。
堺シティマラソンのゴールにつながる
最後の外周を西向いて歩いていきますと、
都市緑化センターの前を通ります。
ああ、ここではホタルの鑑賞会を
やっているんですねえ。
来年は調整して見にこようかなあ。
そんなところを通ってやっと
阪和線のところに出てきました。
ああ、キティちゃんの電車が
走っていたりするんですねえ。
「ハルカ」だから関空行きかな。
南海のラピートなんかも
いろんなラッピングをして
走ってるもんねえ。
それにしても銭塚古墳はどこなんやろう。
地図や現地の案内地図を見ながら
探っていきますと、どうやら
支援学校の中のようですねえ。
フェンス越しに中を眺めて行きますと、
ああ、あそこのようですね。
学校の中にこんもりした山があって、
その横に石の案内のようなものが
立っています。
あそこだったら見逃しているでしょうねえ。
あとで図書館で借りてきた
こんな資料を見てみたら、
やはり学校の中のようでした。
発掘調査から堀のあったことも
確認されており、前方後円墳なんですが、
前方の部分は学校建設で壊され、
後円部だけが残っている状態だそうです。
さあ、これで未踏の古墳は
すべて訪ねました。
百舌鳥古墳群の世界遺産は
すべて行ったということですねえ。
都会の中の深―い歴史と
触れ合うことができました。
次は古市古墳群ですね。
では、今回の旅を終えましょうと
阪和線の百舌鳥駅に向かうことにしました。
でもねえ、食事がねえ
できていないんですよ。
その店は堺シティの大仙公園から
駅に向かう途中でした。
通りから少し入ったところに、
「古墳カレー」と書かれた看板を
挙げているところがありましたよ。
これはせっかくですから
寄っていきましょう。
中に入ると様々なメニューが
張ってありましたよ。
右上の天空カレーはブロッコリーの塊です。
古墳カレースパもあるようです。
doironは普通に古墳カレーを
いただきました。
それにしてもすごいカレーです。
実はお皿も古墳の形に
ご飯を盛る容器も、
店のママさんが焼いたんだそうです。
新聞なんかにも取り上げられたようですよ。
え~古墳カレーには副葬品で
ビールもつけましたよ。
おなかいっぱいになったので
では店の人にさよなら言って返りましょう。
いやあ、古墳に込められた思いや
そこに居る人々と触れ合った楽しい旅でした。
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百舌鳥の古墳群は
公園なんかと絡めて
うまくというかそれなりに
管理をされていました。
では古市はどうですかねえ。
近々出かけていくことにしましょう。
百舌鳥古墳群はおしまい