おてんきぷらぷら

ホームタウンは三鷹。気ままな旅・街散策にFC東京。

名古屋城

2015年08月22日 | NON
8月22日『名古屋グランパスvsFC東京〔J.League Division1 2ndステージ第8節〕』名古屋へ。
二十数年前、勤務していた愛知県ですが、『名古屋城』訪門は初めて。当時は子供がまだ小さかったこともありお城に行くという発想がなかったのかもしれません。天守だけは高速道路から見えていたりしてお馴染みの『名古屋城』に足を踏み入れました。
『名古屋城』は、織田信長誕生の城・那古野城跡地に、関が原の戦いに勝利した徳川家康が、豊臣方への備えとして新城『名古屋城』築城と清州から新城下への街の引っ越しを決定し、慶長15年(1610)加藤清正・福島正則ら西国大名20家に普請(天下普請)。慶長17年(1612)に、尾張初代藩主として家康の九男・義直が入り、以降『名古屋城』は御三家筆頭尾張徳川家の居城として栄えます。その後、太平洋戦争時の名古屋空襲で焼失するも、昭和34年(1959)金のシャチをいただく五層の大天守閣(約48m)と小天守閣(約24m)が再建され現在の姿になりました。また、現在「本丸御殿」の復元工事が進められており、「表書院・玄関」が公開されています。平成30年に完成予定とのこと。
日本100名城であり、正しく「名城(めいじょう)」「金鯱城(きんこじょう、きんしゃちじょう)」「金城(きんじょう)」の異名を持つ『名古屋城』。僕ら世代では映画「モスラ対ゴジラ」で、ゴジラが堀で転んで「天守」を壊してしまう場面を思い出しますが、金のしゃちほこに代表される名古屋の代名詞。この日、身を焦がす日差しと湿度の中、汗だくになりましたが、伊勢音頭で“尾張名古屋は城でもつ”と称される『名古屋城』を観光し大いに楽しむことができました。







天守













東南隅櫓



西南隅櫓



正門





表二之門



旧二之丸 東三之門



不明門



本丸御殿











清正石



清正公 石曳きの像



名古屋おもてなし武将隊 加藤清正




“備長ひつまぶし”いただきました