おてんきぷらぷら

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マリー・ローランサン展 ~女の一生~

2014年04月12日 | Museum
4月12日『マリー・ローランサン展 ~女の一生~ 』三鷹市美術ギャラリーにて。
昨年パリを訪れモンマルトルの空気を味わってしまい、ロートレックやモーリス・ユトリロの作品に興味がわき鑑賞するようになった自分にとって、マリー・ローランサンも気になる画家の一人。
さて、本展のローランサン作品ですが、女性の視点からの描いた情緒的な女性画が中心でした。美白美顔の女性の目、その瞳の描き方、黒くひときわ大きな瞳は印象的で、その物憂げな視線は、見る者へなにやら詩情を語りかけてきます。女性が女性を描くその独特なタッチ、マリー・ローランサンの画風に、20世紀初頭のモンマルトルの空気を感じてしまいます。
“以下、三鷹市美術ギャラリーHPより”
パリ生まれのマリー・ローランサン(1883~1956)は優雅な色彩による独自の作風で知られています。本展では、初期の自画像から始まり独自の作風が確立してからの優雅な女性像を中心に幅広い作品69点を展示する予定です。1907年24歳頃のマリー・ローランサン20世紀前半のパリを活動拠点としたエコール・ド・パリの多くの画家たちのなかでも、モーリス・ユトリロとマリー・ローランサンは図抜けて日本での人気が高い画家です。共に1883年のパリに婚外子として生を享け、二つの世界大戦を背景に独自の画業を展開し、ユトリロは1955年、ローランサンは翌56年、やはり共にパリに没しました。諸外国や地方から流れ着いた他の画家たちに比べ、この二人の生は分かちがたくパリという故郷に結びついたものであったと言ってよいでしょう。画家ローランサンの特異な点は、今では考えづらいことですが、女であるということでした。17世紀に起源を持つパリの国立美術学校が女性の入学を認めたのは1897年です。女性画家の存在は稀でした。そんな時代のパリにあって、マリーはブラックやピカソを通してキュビスムへ傾唐オ、詩人アャ潟lールと出会います。しかし刺激し合う関係も長くは続かず別離があり、ドイツ人男爵との結婚、直後の大戦勃発によるドイツ人としての亡命生活、ニコル・グルーとの出会い、終戦と離婚、そして再びのパリです。時代はまたしても暗雲漂う方向に傾きますが、マリーの明るく優美な色彩と形態は、それらをも包み込むようにしなやかな女性性を確立してゆきます。20世紀のパリに生きたひとりの女の生涯がここにあります。






〔三人の若い女〕1953年頃 97.0×131.0cm



〔ばらの女〕1930年頃 38.0×46.0cm



〔らっぱをもつ子供〕46.0×55.0cm



〔三人の乙女〕1938年頃 33.0×55.0cm



〔家具付の貸家〕1912年 油彩、画布 112.0×144.0cm



vs サガン鳥栖〔J.League Division1第6節〕

2014年04月06日 | FC TOKYO
4月6日『FC東京vsサガン鳥栖〔J.League Division1第6節〕』味の素スタジアムにて。
春は名のみの寒風に桜の花びら舞う味の素スタジアム。正直、スタジアム観客席は底冷えに震えあがる寒さ。開幕以来、スタメンを目まぐるしく変えてゲームにのぞむFC東京。この日は、CBにNo.29吉本、No.5加賀に、MFアンカーにNo.34野澤、FWは、No.17河野、No.11エドゥー、No.13平山の布陣。不動のメンバーでないだけに不安と期待が入り混じります。
さて前半は、お互いストロングャCントをつぶしあう展開。サガン鳥栖のフィジカルはきびしく野澤が痛みNo.4高橋と急遽交替があるものの、オープンで打ち合うというよりも不気味な静寂の攻守でスコアレス。ゲームが動いたのは後半5分、米本から東が左サイドを走りこむとゴール前へグランダーパス。これを河野がスルーし、ほぼフリーの平山もスルー、完全フリーのエドゥーが豪快にシュート。実はこれで決まったと確信したのですが、最終的には詰めていた河野が押込みました。久々のセクシートーキョーの先制。続く31分には平山がCKからのゴール前のごたごたから決勝ゴール。終盤、パワープレーに出た鳥栖に押込まれますが、無事、勝点3をゲット。リーグ戦ホームゲーム初勝利となりました。ゴール前の密集のごたごたからの2得点、一方、ゴール前のごたごたを必死に守りきったFC東京。従前からの弱点を払拭したかのよう。素直に喜ぶこととしましょうか。次節、広島戦はホントの意味で今年のFC東京を占う試金石。楽しみは尽きませんネ。







後半5分 エドゥーが、いいえ決めたのは河野!!









後半31分 太田のCKを高橋経由、平山。どたばた後、ゴール!!