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四国八十八ヶ所霊場巡拝結願 お礼参り 〔慈尊院〕

2021年10月07日 | Ohenro88
『四国八十八ヶ所霊場巡拝結願 お礼参りの旅(10月7日~8日)』 慈尊院
昨年GoToトラベルを利用し11月25日~12月4日に巡拝した「四国八十八ヶ所霊場」結願後の高野山お礼参りに、約1年越しとなりましたが、高野山を訪れました。その間、新型コロナウィルスは、年末&年明けからの第3波、春先の第4波、夏休みにピークが最高を迎えた第5波と猛威を奮っていましたが、ようやく10月を迎え落ち着きを見せています。第6波が来る前にと「高野山 奥之院」にて弘法大師さまに結願のご報告をすべく待望のお礼参りを決行した次第。まずは、弘法大師のお母さまが祀られ、かつて高野山が女人禁制だった頃は女人高野とも呼ばれた『慈尊院』を参拝です。『慈尊院』は、弘仁7年(816)弘法大師が、高野山開創に際し、高野山参詣の要所にあたるこの地に表玄関として伽藍を草創し、庶務を司る政所、高野山への宿所、冬期の避寒修行の場所とされました。息子の姿を一目見たいと大師の母公(玉依御前)が香川県善通寺より訪ねて来るも、当時の高野山は女人禁制であったため、この慈尊院で暮らすことに。また、母公の身を案じた弘法大師は高野山より月に九度、慈尊院を訪ね来られたことから、この地が九度山という町名になったと伝えられています。承知2年(835)2月5日、母公は83歳でご逝去。弘法大師は母公のために弥勒堂(御廟)を建て弥勒菩薩を安置。時代とともに弥勒菩薩が母公の化身と崇められ、高野山に上がれない女性の信仰を深め「女人高野」として親しまれてきました。慈尊院とは弥勒菩薩の別名で、これより表向きに『慈尊院』となったとのこと。また、女性の象徴である乳房型の絵馬を奉納すると願いが叶うのだそう。弥勒菩薩像は国宝に指定され、平成16年(2004)7月ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』として、慈尊院ならびに慈尊院弥勒堂が登録されています。ちょうど「くどやま件p祭2021」が開催されていて、表門の暖簾や拝堂に艶やかで美しい装飾が散りばめられており、いかにも「女人高野」らしき雰囲気を味わうことができました。

【別格本山 慈尊院(女人高野)】
 〒648-0151 和歌山県伊都郡九度山町慈尊院832
 [ご本尊] 弥勒菩薩
 [ご真言] おん ばいたれいや そわか

表 門





本 堂 弥勒堂 【世界文化遺産】


みろく石(心願成就:左手で撫でるとご本尊弥勒菩薩様と縁が結ばれ願いが叶います)


乳房型絵馬 (子宝 安産 授乳 乳がん平癒など)


水向け地蔵さま (無病息災 交通安全 先祖・水子供養)



大師堂 四国堂



拝 堂





多宝塔(和歌山県指定文化財)



高野山案内犬ゴンの碑 修行大師像

昭和60年代、慈尊院をねぐらとした野良犬ゴン。朝、慈尊院を発ち、夕方、高野山大門まで参詣者を道案内し、夜に慈尊院に戻る毎日を送ったことから、約1200年前の弘法大師の案内犬伝説の再来として親しまれた。


土 塀(和歌山県指定文化財) 五輪石塔二基



世界文化遺産登録記念碑




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