おてんきぷらぷら

ホームタウンは三鷹。気ままな旅・街散策にFC東京。

四国八十八ヶ所霊場巡拝の旅〔其之廿五〕 第86番~第88番【結願】

2020年12月04日 | Ohenro88
  11月25日~12月4日(9泊10日) 『四国お遍路さん(八十八ヶ所霊場巡拝)の旅』 (25)

ついに、第88番・大窪寺、結願のお参りとなりました。二天門の前で、思わず愚息とハイタッチ、この旅はじめてお互いに写真撮影し合うこととなりました。思えば、10日前、巡拝の手順も読経もままならなかった我々が、結願をむかえ、全く自然体で、手慣れた手順で、灯明し、線香をあげ、納札を納め、賽銭をし、すらすらと読経し、結願の巡拝を終えることに。最後の回向文を唱えた直後には、その余りのあっけなさに、物足りなさと脱力感。しかしながら、打ち終えて境内を背にした途端に、八十八ヶ所霊場巡拝結願の達成感と充実感が、じわじわと湧いてくるよう。とりわけ、道中、大変お世話になった先達の藤沢さん(準特任大先達)と一緒に写真を撮って謝意を告げたりしていると、感極まってきました。第88番・大窪寺発行の結願の証をいただき、ひと安心。初日の出がけの三鷹は小雨模様でしたが、四国は10日連続、晴天が続き、この時期にしてはことのほか暖かく、巡拝日和。この10日間の旅路は、弘法大師"同行二人"祈りの旅、修行の旅であり、四国の観光名所を駆け足で巡る旅であり、地元の美味しい名物を食し地酒三昧の旅でありました。霊場を八十八ヶ所巡ることによって煩悩が消えたかどうかはわかりませんが、少なくとも、"十善戒"〔不殺生(命を大切にする)、不偸盗(物を盗まない)、不邪淫(性は尊く節度をもつ)、不妄語(嘘、偽りは言わない)、不綺語(飾らない本当の言葉で話す)、不悪口(悪口は言わない)、不両舌(二枚舌を使わない)、不慳貪(強欲をはらず貪ることなく感謝の気持ちで過ごす)、不瞋恚(怒りを抑え心を落ち着けて優しい気分で過ごす)、不邪見(邪な間違った考えを捨て、どの人にも平穏な気分で接する)〕だけは肝に命じました。全国的にコロナウィルス感染者が増加し、人の移動が危険視され、行動自粛が求められる中で、GoToトラベルを利用しての、四国八十八ヶ所霊場巡拝ですから、その行動責任を非難されても仕方ありませんが、自分にとっては自身を見つめ直すことができましたし、何より毎晩愚息と酒を酌み交わし、よもやま話ができたことは有意義でした。コロナ禍が落ち着きましたら、高野山へ御礼参りへ行かせていただく所存。先達の藤沢さんはじめ、添乗員の早川さん、ドライバーさん、その他今回のツアーに係っていただいた皆さんに感謝申し上げます。ありがとうございました。合掌礼拝。


【第86番 志度寺】
補陀洛山 志度寺(ふだらくさん しどじ)
 〒769-2101 香川県さぬき市志度1102
 [ご本尊] 十一面観世音菩薩
 [ご真言] おん まか きゃろにきゃ そわか
 開創は、推古天皇33年(625)、四国霊場屈指の古刹。海洋技能集団海人族の凡園子(おおしそのこ)が霊木から十一面観音像を彫り、精舎を建てたのが始まりと言われ、その後、藤原鎌足の息子、藤原不比等が妻の墓を建立し死度道場と名づける。その息子の房前が、持統天皇7年(693)、行基とともに堂宇を拡張、寺は僧侶の学問所や信者の修行の場として栄えた。能楽作品「海士(あま)」の舞台としても語り継がれている。また、志度出身の平賀源内の墓も隣接している。



仁王門


本堂


大師堂


海女の墓
藤原家にまつわる悲話の舞台。藤原房前が母のために建立。海女の墓が約20基並びます。
海女の命日(7月16日)は"志度寺の十六度市"が開催、年に一度、ご本尊が御開帳されます。






【第87番 長尾寺】
補陀落山 観音院 長尾寺(ふだらくさん かんおんいん ながおじ)
 〒769-2302 香川県さぬき市長尾西653
 [ご本尊] 聖観世音菩薩
 [ご真言] おん あろりきゃ そわか
 開創は聖徳太子説もあるが、行基の説が一般的で、天平11年(739)、行基が柳の木の下で聖観音像を彫り安置したのが始まりとされる。大同年間(806~810)、入唐にあたって弘法大師が訪れ、年頭七夜の護摩祈祷を行った。帰国後、入唐の大願成就を感謝した大師は、大日経一字一石の供養塔を建て堂宇を建立した。

仁王門


本堂


大師堂


静御前剃髪塚(義経と惜別した静御前と母、磯野禅師が当寺で得度。剃髪を埋め祀った髪塚)






【第88番 大窪寺】
医王山 遍照光院 大窪寺(いおうざん へんじょうこういん おおくぼじ)
 〒769-2306 香川県さぬき市多和兼割96
 [ご本尊] 薬師如来
 [ご真言] おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
 八十八ヶ所結願の霊場・大窪寺は、徳島県との県境に近い矢筈山(標高782m)の東側中腹に位置。養老年間(717~724)に行基が草庵を建てのが始まり。弘仁6年(815)、唐から帰国した弘法大師が、現在の奥の院にある胎蔵ヶ峰の岩窟で求聞持法を修して薬師如来を彫り堂宇を整えたといわれる。唐の恵果阿闍梨より授かった三国(印度、唐、日本)伝来の錫杖を納めて、大窪寺と名づけ、結願の地と定めた。女性の入山を許していたこともあって、女人高野とも呼ばれた。



二天門


本堂




大師堂





寶杖堂 (結願したお遍路さんの金剛杖の奉納堂)







〝結 願〟




大変お世話になった先達の藤沢延子(準特任大先達)さん




四国八十八ヶ所霊場巡拝の旅〔其之廿四〕 第84番~第85番

2020年12月04日 | Ohenro88
  11月25日~12月4日(9泊10日) 『四国お遍路さん(八十八ヶ所霊場巡拝)の旅』 (24)

結願に向け最終日。10日目(12月4日)は、高松市内の高松東急REIホテルを午前8時に出発。前日、第80番・国分寺の後、第83番・一宮寺を打ち終えていましたので、第81番・白峯寺、牛鬼の像がある第82番・根香寺と巡り、第84番・屋島寺をお参り後、ケーブルカー利用し第85番・八栗寺。瀬戸内海沿い最後の第86番・志度寺から内陸部の第87番・長尾寺、第88番・大窪寺で結願を迎えます。その後、午後5時頃には高松空港着。空港では愚息と最後の晩餐。おでんと餃子をつまみに地酒をたんまり、うどんで〆ました。最終便19:30発・ANA540便で羽田空港へ。10日目(12月4日)の行程は下掲しておきます。この日の巡拝で、印象に残ったのは、第88番・大窪寺はもちろんですが、第84番・屋島寺、第85番・八栗寺でしょうか。屋島といえば源平合戦。有名なのは、富士川の戦い、倶利伽羅峠の戦い、一ノ谷の戦い、屋島の戦い、壇ノ浦の戦いなどですが、ここはまさに屋島の戦いの舞台。那須与一の扇の的伝説の地です。古戦場は、波高き洋上かと思いきや、意外にも入江の中でした。この古戦場を見下ろすように峰の上に建つ屋島寺は、観光スャbトにて商業主義化し、霊場としては興ざめ気味。次に、ケーブルカー(八栗ケーブル)を利用し五剣山の山頂にある第85番・八栗寺。単純にケーブルカー乗車に、年甲斐もなく、先頭の席でカメラを構えました。実は、ケーブルカー乗車は、2018年、オーストラリアの世界遺産ブルーマウンテンズのシーニック・ケーブルウェイ以来。日本国内では、ケーブルカーに乗った記憶がありません。関東でいえば、高尾山、御岳山、箱根、筑波山など目にしてますが乗車経験なし。神戸在住時代も、六甲、摩耶と身近にケーブルカーはあったものの乗ることはありませんでした。印象に残ったのが、古戦場やケーブルカーなど、霊場そのものでないことは、少々不謹慎ですが、いよいよ結願をむかえる心の高鳴りの前でしたので、お許しを。そしてついに、第88番・大窪寺、結願のお参りとなりました。

  12月 4日(金)
     = (81)白峯寺 = (82)根香寺 = (84)屋島寺 = (85)八栗寺《ケーブルカー利用》 =
     = (86)志度寺 = (87)長尾寺 = (88)大窪寺 [結願]
     ANA 540便 高松空港 19:30発 ~ 羽田空港 20:45着


【第84番 屋島寺】
南面山 千光院 屋島寺(なんめんざん せんこういん やしまじ)
 〒761-0111 香川県高松市屋島東町1808
 [ご本尊] 十一面千手観世音菩薩
 [ご真言] おん ばさら たらま きりく
 屋島は高松市の東、標高293m火山台地の半島で、那須与一の扇の的や義経の距ャしなどで有名な源平合戦の古戦場の史蹟で知られる。屋島寺は、鑑真和上が、天平勝宝6年(754)、屋島沖で山頂からの瑞光を感得、屋島の北嶺に登り、普賢堂を建て普賢菩薩像を安置し創建。後に、弟子の恵雲律師が堂塔を建立して精舎を構え屋島寺と称し、初代住職になった。弘仁6年(815)、弘法大師が、嵯峨天皇の勅願を受け屋島寺を訪ね、北嶺の伽藍を現在の南嶺に移し、十一面千手観音像を刻み本尊として安置したことから、弘法大師は屋島寺の中興開山の祖として仰がれている。

四天門


東門


本堂


大師堂


蓑山大明神(日本三大狸"太三郎狸"を祀る神社。夫婦円満、縁結、子宝、水商売の神。)















【第85番 八栗寺】
五剣山 観自在院 八栗寺(ごけんざん かんじざいいん やくりじ)
 〒761-0121 香川県高松市牟礼町牟礼3416
 [ご本尊] 聖観世音菩薩
 [ご真言] おん あろりきゃ そわか
 屋島の東、源平の古戦場を挟み標高375mの五剣山の八合目にある八栗寺。現在はケーブルカーを利用してアクセス可能。創建は天長6年(829)、開基は弘法大師。大師がこの山に登り求聞持法を修行した際、天より5本の剣が降ってくると共に山の鎮守の蔵王権現の神託を得た。そこで5本の剣を埋めて鎮護としたのが五剣山の由来。また、入唐前に8つの焼き栗を植えて入唐求法の成否を占い、帰国後には、焼き栗全てが生長繁茂していたことから、寺名を八国寺かた八栗寺へ改めた。

八栗ケーブル山頂駅からの参道


二天門


本堂


大師堂


多宝塔


仏足石


菩提樹




八栗ケーブル