かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

言葉足らずで誤解されるのはありがちな話ですが、無闇に大騒ぎになるのはネットの宿命なのか

2016-04-11 20:10:08 | Weblog
 今日は冷たい北風が強く吹いて、寒々とした一日でした。晴れとは言うものの雲が多くて日差しは遮られがちであり、日向に出ても北風が冷たすぎてまるで暖かくありません。とは言え、冬の季節風は西から吹きますから、天候の割にはあまり冬へ逆戻りしたかというような気は致しませんでした。もっとも、明日朝はかなり冷え込むそうなので、冬の再来を意識させられるかもしれません。
 そんな天候のためなのか、昨夜は夕方からまたまた妙に背筋に悪寒が走り、3月末のがぶり返したのか? と慄いてしまいました。幸いなことに熱は出ず、頭痛も腹痛もなく今朝は普通に目覚めましたが、10日前の大変さはいまだ記憶に新しく、ちょっとした事でびくびくしてしまいます。そのせいなのか今日は上司から「顔色が悪い」と言われてしまいましたし、自分で感じている以上に、少し気をつけた方が良いのかもしれません。

 さて、音楽プロデューサーで作・編曲家の福田裕彦氏がツイッターで放った「だいたい「今の日本映画はつまらない」とか「神目線」言う人間は、例えば予算のない現場で制作のスタッフがしょぼい弁当をリカバーするために必死で味噌汁作ってキャストやスタッフを盛り上げようする矜持すら知らない。俺はそんなやつらは一切信じない。勝手にほざいてろ。」というのが2ちゃんねるで盛大に叩かれているようです。総じて現場の努力云々より作品で勝負しろ、という至極まっとうな意見のようですが、福田氏のツイッターを少し追いかけてみると、どうもちょっとニュアンスが変化しているようで、実は矜持云々よりも、百把一絡げで「駄目な日本映画」というレッテル貼りをするのが気に入らない、というような趣旨のようです。また、「ダメ」というような批判は評価としてアリとしても、それが「ゴミ」とか「クズ」というような侮辱とか貶すだけのものは許容できない、という話で、それはそれでまあ納得できる話だな、と感じました。ただ、結局そこまで追いかけてやっと判る話で、最初の物議を醸した話は、やっぱりどう読んでも現場の努力の尊さこそ大事で作品の質は二の次とばかりに主張しているかのように思われても仕方ない言葉の使い方なように感じさせられます。ツイッターはしたことがないのでよく知らない部分もあるのですが、基本、投稿できる文章のサイズが最大140文字と非常に小さいというのは聞いたことがあります。さんざん言い古されたことなのでしょうが、結局中々その制限内で言いたいことを誤解されずかつ過不足なく書ききるというのは大変困難なものなのでしょう。少なくとも私ならそんな緊張を強いられる事は絶対やりたくないと思ってしまうのですが、話し言葉間隔で書くことのできるヒトは、さしたる抵抗もなくツイッターとかでもできるのかもしれません。せめて千文字、最低四〇〇字くらいは書けるようになって欲しいですが、そうなると今度は読むのが大変になるでしょうし、難しい話だな、と思ったら1万字に制限が拡大されるという話もググったら出てきました。どうやらこれからツイッターやるには、速読法を身につける必要があるかもしれません。


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