かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

遺伝的資質がなにより重要だと思いますが、まだ人にそれを適用するのは時期尚早だと思います。

2014-04-26 23:50:47 | Weblog
 今日はカラオケ定例会の日。2月、3月といろいろ忙しくて参加できなかったので、3ヶ月ぶりのカラオケでした。あんまり久しぶり過ぎて準備の段階から何をしていたか忘れてしまって随分と慌てましたが、なんとか遅れずに集合、8時間のカラオケを楽しんできました。また来月も是非思い切り歌いまくりたいですね。

 さて、ノーベル賞学者である江崎玲於奈博士が、教育において遺伝情報を重視する指導の必然性を説き、人間にとって重要なのは、生まれた後の環境や教育より持って生まれた遺伝的資質だ、というようないわゆる「優生学」を唱えられたそうです。今や人間の遺伝情報が解析され、持って生まれた能力がわかる時代になってきている。いずれは就学時に遺伝子検査を行い、それぞれの遺伝情報に見合った教育をしていく形になる、というようなことも口にされたそうです。

 私は個人的にその考え方は正しいと思います。為末大氏も以前公表されていましたが、特にスポーツの世界は体の作りがそもそも十分に備わっていなければ舞台には立てないわけで、努力だけでは乗り越えられない巨大な壁がそこにあることは自明のことです。頭の作りについてもやはり同じようにいわゆる向き不向きはあるはずで、それに応じた教育方法があってしかるべきだ、と思うのです。ただ、現在の遺伝子解析の能力はとても人の向き不向きを的確に判断できるほどの精確な情報解析能力を有しているとはいえないように感じます。将来的には遺伝子解析でその人に向いた教育方法が採用される時代が来るはずですが、現時点では時期尚早というよりも、まだまだ夢物語に近いのではないか、と思うのです。
 人は平等、と言うのは、倫理や文化としては正しいでしょうが、能力としては全く間違っている話で、今の教育はそこを強引にまぜこぜにしてごまかしているだけなのではないでしょうか? ただ、国全体の力を高める上で国民全員が一定水準の教育を受けている、というのは大事な話なので、そこは義務教育で担保すべきものなのでしょう。それ以外の特殊な才能については、わかった段階で早めにピックアップして、その能力にふさわしい教育プログラムを用意して育成に務める、という能力主義があってもよいでしょう。そんなプログラムを用意できるほど今の学校に余力があるのか疑問はありますが、それはまた精度の問題であって、ようは国民の総意として、そういうような能力に応じた多彩な教育プログラムの設定を容認するのかどうかを、これから議論していくべきなのではないでしょうか?

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