かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

校則が悪しき統制主義かどうか判りませんが、そもそもしつけは親の責任ではなかろうかと思います。

2016-01-08 23:06:59 | Weblog
 体調はとりあえず小康状態です。というより、やっと小康状態に落ち着いたというか。お腹の具合がようやくあまり不安のないようになり、眠気やだるさもかなり解消されました。その分、睡眠時間は全体に増えて、昨日も22時半には寝て、朝起きた時は7時になってました。まるで小学生並みの睡眠時間ですが、この3連休で更にじっくり身体を休め、なんとか翌週以降は体調を良好な状態に近づけるようにしていきたいところです。

 さて、朝日新聞紙上で、学校教育の在り方をめぐり、現役の教師がそれぞれの意見を開陳、ネットでも話題になっているのだそうです。きっかけは、15年10月31日、長崎県に住む40代の教員のもので、茶髪など奇抜な頭髪した小学生が増えており、「個性の尊重」よりも「基本的なしつけ」を重要視すべきだと主張しました。すると、15年12月30日には、神奈川県に住む30代の高校教師から、高校生の茶髪やピアスを禁止することを、「教師の好みを押し付けているだけ」で、「戦中の国民服やパーマ禁止を彷彿とさせる悪しき統制主義でしかない」学校で徹底しなければならない社会のルールは、「他人に迷惑をかけない」という公共の福祉の考え方、と真っ向から反論しました。
 この記事だけでは、かたや小学生、かたや高校生を論じているように見えて、そもそも議論が噛み合っていないのではなかろうか、という風にも思えるのですが、それはともかくとしても、神奈川県の方は線引きにどうも恣意的なものが見えて、持論のねりこみが甘いように感じられました。生徒の姿形を規制する校則を悪しき統制主義とのたまってお出でですが、そもそも学校という存在からして統制主義的なものであり、特に小中の義務教育などは、子供の意思や希望に関係なく負わされるかなり絶対的なもので、その強制力たるや茶髪やピアスの比ではありません。数十人の生徒を一定時間拘束して勉学を強制するというのは、統制とは呼ばないのでしょうか? 
 その点、長崎県の方は「基本的なしつけ」重視というわりかし分かりやすい話で、日本人の一般的な感性に沿ったもののように感じますが、「個性の尊重」を軽視している点、戦前まで行かなくても、数十年前の我が国の教育環境を引きずっているようにも思えます。なんとか「個性の尊重」をしつつ「基本的なしつけ」を重視できないものか、と思いますが、茶髪・ピアスを許容して「他人に迷惑をかけない」という公共の福祉の考え方をちゃんと教えられるのか、と思うと、どうも不安にもさせられます。
 まあ私などは、その手のいわゆる若者の背伸び的行為にはまるで興味がなく、身なりなど全く気を使わない、他人からは「変わり者』としか見られない独自の謎理屈で好きにしていた学生時代でしたから、正直な所「個性の尊重」という方がしっくり来るのですが、皆が皆そんなきままな変人でもないでしょうし、学校という統制主義の入れ物には、何らかの縛りは必要になるのでしょう。でも、「他人に迷惑をかけない」なんていうしつけは、そもそも親の仕事じゃないか、と思うんですけどねぇ。

コメント
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