かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

マスコミもそうですが、気象庁も主観的な表現は止めて客観的な情報だけ出すようにしてはいかがでしょう?

2014-08-31 22:59:27 | Weblog
 今日は月定例のカラオケの日でしたが、いつも行くカラオケ屋さんがベタ混みで、部屋に入るまで1時間以上待たされました。日曜午後は比較的混みあいますが、夏休み最後の日曜日ということもあったのかもしれません。来月以降様子を見ながらになるでしょうが、長年愛用してきた店を変えてみるのも検討してみるべきなのかもしれません。
 
 さて、今日も昼間陽の下では少し汗ばんだ位ですっかり初秋モードが定着した感がありますが、大阪市、神戸市、和歌山市では、この8月中、日中気温が35度を超える猛暑日をついに一度も記録しなかったのだそうです。比較的田舎な和歌山市や、海沿いで市域は南北に狭い神戸はともかく、あの大阪市でそのような記録を作ろうとは、大変意外でした。なにせ、田舎な奈良市でさえ数日は酷暑猛暑の日があったのですから。もっとも奈良などでも、平均日数に比べると3,4日少ないそうですから、この8月は比較的暑くない夏だった、という事が言データ上は言えるのかもしれません。
 一方、体感的には台風などで雨が多く、涼しい日もあったものの、大変暑い日もけして少なくはなかった、と感じられます。暑さと涼しさで平均して平年並みだったとか、涼しかった、などというのは体感ではできるものではなく、結局、印象の強い状況に引きづられがちですが、日常的に必要とされる情報の精度からすればその引きづられた感覚で十分であり、「客観的データ」元に、この夏を平年並みとか低温だったとかいわれるのは、まことに受け入れがたい話になります。
 いっそ気象庁は、冷夏だとか猛暑だとか言うのはやめたらどうでしょう? 冷夏か猛暑かを判断するのは結局その環境下で生活する人々の感覚ですし、そのヒトの感覚が暑いと感じているのに「冷夏」と言ったり平年並みと言ったりしては、結局与えられた情報と感覚に齟齬をきたし、「気象庁の言うことはあてにならない」などと思われてしまうのではないでしょうか? オオカミ少年呼ばわりされる愚をおかす位なら、いっそ出す情報は客観的な観測データに徹し、一切それに人々の心象に影響するようなバイアスのかかる言葉を使うのをやめれば良いと思うのです。その一方で、気象情報の読み方や危険度の判断の仕方などの知識を国民全体で共有できるように、教育の充実を図り、啓蒙のための情報発信に力を入れる必要があります。よほど差し迫った危険な状況はともかくとして、日常的な気象情報の出し方としては、それで十分な気がします。まあそこまで極端に事を運ぶのもどうかとは一方で思いますが、まずは35度以上だから猛暑、なんていうふうな、何が客観的なのかイマイチよく判らない変なレッテル貼りから辞めてみてはどうでしょう?

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