かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

真の斎明天皇陵(?)の牽牛子塚古墳を観てみました。

2010-09-11 22:34:35 | Weblog
 今日は午前中仕事で、帰宅し遅めの昼食を摂った後、現地見学会が行われた牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)を観に行きました。開始時は200人のヒトが並んで大変だったそうですが、午後も3時を回ると随分人出は減って、ゆっくり観ることが出来ました。
 まず驚いたのは、古墳が自宅から歩いて3分くらいのところにあったこと。地元の新聞で一面大見出しのトップ記事になっていた対象が、こうも自分の身近に存在していようとは、思いもよりませんでした。
 そして、こんな狭い山の中に200人も並んだ、という事実。200人ばかりというとそんな大したことはない風にも感じられますが、人一人が歩くほどの狭い山道にある古墳に、そんなにヒトが集まったりしたら、案内の担当の人はさぞ苦労されたことでしょう。
 とまあそんなこんなに驚いたり感心したりしながら、案内に沿って見学しました。


まずは石室です。
大きな岩を刳り抜いて作られた石室を至近から覗くことが出来ました。でもこの巨岩、約80tもあるそうですが、この土地に元からあったものではなく、遠く二上山から切り出して、直線距離で20キロ近く、途中の川を超えて延々運び上げたもので、何故そこまでしてここまで運んで据え付けたのか、自分ちの近所がそんな土地に選ばれていたことに、何とも不思議な咸興を覚えました。



次にぐるっと回って裏側の古墳全体像です。石室を囲んでいた安山岩の石柱が一部露出しているのが見えます。手前の溝には、この古墳が「八角墳」であることを決定づけた石畳がのぞいています。まるで舗装道路のように、幅1mほどの石畳の帯が綺麗に135度の角度で屈曲しているのが見て取れました。



 更に、小ぶりな石が隙間なく敷き詰められているところもありました。何でも、古墳完成当時は、こんな白い石が墳丘全体に装飾され、見事な3段構成の八角形が見られたのだそうです。



 最後に、発掘時に撮影された写真がベニア板で急増された掲示板に貼っつけてありました。上からでは見えにくかった石室の奥などが見られたのですが、その内部の中央の柱がいかにも見事な造形物に見えて、感動的でした。

 様々な考古学的な調査により、斎明天皇陵であることはほぼ間違いない、という話だそうですが、宮内庁はかたくなにそれを認めようとはしないそうです。多分、斎明天皇が葬られたことを示す墓誌でも発見されない限りは認めないでしょう。でもそれよりも、ここを本当に斉明陵としてしまったら、天皇陵発掘の先例となることを恐れているのでしょう。今後なし崩し的に他の古墳にも発掘の許可を、という声が上がれば、さすがに今まで通り突っぱねるのも難しくなるはずで、宮内庁としても、というより、今宮内庁の中でそういった決断を下す権限を持つ席に座っているヒトは、自分が異動するまではそんな面倒や責任は極力避けたいと思っているに違いない、と想像されます。まあお役人としては当然の反応なのでしょうけれど、少しは考古学の成果も認める度量を持つべきなんじゃないでしょうか。

コメント
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